「金儲け」に執心でない「町並み保存指定」城下町・岡山市足守2007年03月03日 22時07分37秒

観光案内所でもある備中足守まちなみ館
日本には数えきれないほどの「城下町」がある 正確に言えば、江戸末期で約300弱の大名がいただろうから、その数に近い「城下町」があったはずだ そして大名でも「城」持ちの大名と館に近い「陣屋」持ちの大名があるから、規模もピンキリだ その内でもピンは国宝姫路城の城下で、キリは小さな田舎の町であろう

そういうキリのひとつがおそらく岡山市のはずれにある「足守」地区であろうか というのは町の人口が現在8000人だけでなく、今まで観光的には「全国区」ではなかったからだ 地元岡山でこそ名前はまあまあ知られていて、中高年を中心に静かなブームを保持しているが、他県の方にはあまり知られていない

ところがこの小さな田舎の町出身者がそこそこ「ビッグ」なのである もちろん現代の話ではなく、歴史上の話である まず一人が歴史の教科書にも出てくる緒方洪庵である 幕末の蘭学者、医学者で大阪で「適塾」を起こし、福沢諭吉、大村益次郎などの有名人を育てた あの漫画家手塚治虫(医師免状保持)の曾祖父もここの門人だったそうである その塾が学校になり、後の大阪大学医学部に発展した

もう一人が明治期の大歌人木下利玄である 最後の藩主の弟の第二子として生まれ、のち宗家の家督を継いだ 今流に言うと「殿様になった」のである 明治の身分は子爵、それで上京して学習院初等科、のち東京帝大文科に入学した 佐佐木信綱に師事して短歌を学ぶが、逸材として認められた 武者小路実篤や志賀直哉とともに「白樺」を創刊した・・・

田舎の小さな町で、この二人だけでも逸材といえるが、遡ればこの足守藩は実は秀吉正室北政所の実兄木下家定の藩なのである だから現在でも豊臣家ゆかりの品々も「足守文庫」に現存している

足守はこういう「陣屋城下町」であるが、訪れると意外と「俗化」していない もちろん既述のように「メジャーではなかった」のも大きな理由だが、町中の展示物の建物がほとんど「入館無料」なのである パンフレットだけは50円だったりするが、基本的にはタダなのである そして駐車場もすべて無料!である 目抜き通り周辺にも「観光客相手」の店・・土産物店やレストラン、喫茶店、ファーストフッドの店が見えない

もちろん「客が少なくて商売にならない」のも一因だろうが、町の人にも「積極的に儲けよう」という姿勢が見えないような気がする あるご婦人に訊いたらこう仰った 「もちろん儲けようという人も居るにはいますが、そこまでして金儲けしなくてもねえ・・」 町の人はそういう姿勢にはやや冷淡な反応を見せるらしい 「あの倉敷みたいになりたくないのですよ」 「あの倉敷・・」とは「チボリ公園」であり「倉敷美観地区」のことである そして心の奥には「ここは元・武家の町、天領で商人の町・倉敷とは違う」という意識があるのである
一種のプライドなのかもしれない

もうひとつの理由はこれである 建物・施設のかなりが岡山市の所有であったり教育委員会の管轄なのである だから「シャカリキに」金を儲けなくてもよいのだ もちろんそれは「県民の税金を使う」ことになるのだが、そういう金の使い方に異論がある方は少ないのでないだろうか それは結果的に県民の「文化的・歴史的財産を保持する」ことになるからである

さらにもうひとつ大切なことがある それはこの町を愛する人たちのグループが存在し、ボランティアで施設の一部を維持運営し、荒れ果てた木下利玄の生家修復運動を推進し、募金活動をやっていることだ 「自分の町は自分で守る」のである 

ゴミがほとんど落ちていないこの町には、「ゴミ拾い専門員」がいる訳ではないらしい 別のご婦人はこう言われた 「ゴミが落ちていたら道路際の家人が拾います そのままだとそこに観光客のゴミが集中しますから・・」 「私が捨てたゴミではないから私は拾わない」のではなく、すぐに掃除するのである それは「郷土愛」がなければできないことである 

そしてこの町は「大きすぎない町」であるからお互いの顔を知っているし、下校時の小学生にも声をかけている 四季の花が咲き、小学校のそばに歴史的建造物があり、歌人木下利玄の生家が窓から見えるこの「大きすぎない学校」からは明るい遊び声が近隣に響く こういう町がもっと日本にあっても良いであろう

当ページの記事関連写真:「木下氏二万五千石足守藩の町・岡山市足守
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/KibijiAsimori/spring2007.htm

だんだん楽しくなくなる国際線2007年03月08日 17時47分58秒

ドイツ上空の航空機から見る景色
最近ますます国際線搭乗前の検査が厳しくなった
参考:「国際線航空機客室内への液体物持込制限導入に関するお知らせ」(成田空港公式サイト)
http://www.narita-airport.jp/jp/whats_new/070209.html
上記サイトによるとこうである
「100mlを超える、あらゆる液体物(※1)の客室内への持ち込みは禁止です。手荷物検査場で破棄していただくことになりますので、あらかじめ航空会社にお預けになる手荷物にお入れ下さい。
ただし、以下の物品の持込は可能です。・・」

そうでなくても検査も厳しくてあれこれ大変なのに、自前のお茶のボトル一本さえ持ち込めないとは大変不便である 持ち込めるのはたった100mlである たった二口である 乳児のミルクなど例外があるが、困ったものである

これも多くの方は「仕方がない」とか「安全になるので良いんじゃないですか」とか意外と理解があるのだ しかし抜け道はいくらでもある たとえば、最近の私の経験では「機内もちこみ荷物」のアルコール(酒)のボトルがまるまるOK(通過)とか、別の方の飲みかけのただのお茶が没収された-とかなのである 偶然かもしれないが、大変心許ない

それに爆破、爆弾犯人が「やる気になったら方法はいろいろある」だろう たとえばパレスティナあたりで見られるように、「自分も死ぬ気になれば」どんなことでもできる チェックト・バゲッジにx線で透視しても、金属探知器でも分からない爆発物を入れられたら防ぐ術がないのだ そうなるとあとは運だけしかない

だれもどうすることもできないこのことは、「世界が平和になる」しか最終的な解決策はない 先進国と発展途上国間の「貧富の差」とキリスト教徒によるイスラム教徒に対する差別など、差別される側ではどうしょうもないことが多すぎる 私たち日本人もあまりにもそういう事象に無神経すぎる せっかく多くの日本人が海外旅行に出かける昨今、もっとそういうことにも関心を持ちたいものである

危ないカナダ製ボンバルディア機、またまた車輪トラブル、今度は胴体着陸!2007年03月13日 12時08分00秒

オーストリア航空傘下チロリアン航空の同型機ダッシュ8-400
今朝、大阪伊丹発の全日空系エアセントラル社のANA1603便(ボンバルディアDHC8―Q400型機)で高知・龍馬空港に着陸前に前輪が出ないというアクシデントが起こった

リンク:DHC-8 (航空機) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/DHC-8_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

機は「タッチアンドゴー」で前輪を出そうとしたが失敗、上空を旋回しながら燃料を消費したりを空中に捨てたりしながら、二時間以上経ってから後二輪だけで着陸した 機は前部をこすって火花を出したが火事にはならず停止した 乗員乗客60人は全員無事だった 着陸時は一斉に拍手が起こったという この様子は早くからリアルタイムでテレビ中継されたので、ご存じの方も多いだろう

それにしてもこのカナダ製ボンバルディア機、故障が多いので有名だ 世界中でも使われて故障が数多く報告されているが、日本だけ見ても平成15年に導入されてからの故障は42件、車輪だけでも12件あるという 

このボンバルディアという名前はそんなに知られてはいないが、全日空のローカル線ではよく使われている 以前は「戦後ただ一つの国産機」YS11がその仕事をしていたが、老朽化に伴ってカナダ製のボンバルディアに取って代わられた 

既述のごとくトラブルの多い機であるから、全日空の整備点検が手抜きだった訳ではないだろう 問題は同じ故障をすぐに改善せず結果的にほっておいたボ社の姿勢であるし、ボ社に「改善要請」だけという手ぬるい対応の国交省も責任の一端はあるだろう

それにしても「全員が無事」というのが「不幸中の幸運」であろうか 乗員の乗客に対する落ち着いた態度と36歳という若いパイロットの「訓練通り」の冷静な操縦は称賛に値する パイロットはアナウンスで「日頃から訓練していますから大丈夫です」という意味のことを落ち着いた声で言ってから「作業」に入ったらしい おかげでパニックもなかった 本当の危機に面したときにこそ航空乗務員の真の力量が試される

このニュースを見ているときに、先日のJ社のニュースを思い出した 四十代のパイロットがお茶を持ってきた28歳のCA(キャビンアテンダント:昔のステュワーデス)を自分の席に座らせてから操縦桿を握らせ、「記念写真」を撮ったという それがマスコミに報道されたが、いくら「自動操縦中」とはいえ、そういうたるみきった姿勢は、「一事が万事」といえるかもしれない

さてすでに書いたように、この機は地方空港と大都市間の路線に使われている 「日に一便」という小さな空港の発着も多い そういう所では「他社便に乗る」と言う選択肢もない 仮にあっても、対抗J社の便も同型機だったりする JRも高速バスもない離島なら尚更不安が広がるだろう この際徹底点検をして欲しいものである

話は戻る 大変な金も掛かるが全日空もそろそろ機体を変えたらどうだろうか?どうも製造時に問題がありそうなので、これからもこの種のアクシデントはつづくだろう それにしてもYS11がない現在、他にこのクラスの機種・対抗馬がないというのも不安だ

今は専門家はパイロットの冷静さ・操縦を評価しているし、乗客は誰もANAを非難はしていないが、今後こういうことが続くと信頼信用も落ちてくる 現在これだけ業績が順調な全日空だから、早く手を打った方がよいのではないだろうか

参考:ページトップの写真:オーストリア航空傘下チロリアン航空の同型機ダッシュ8-400

やっぱり危ない!!ボンバルディア機、全日空と国交省2007年03月15日 12時15分17秒

 前回書いてから事情が変わってきている まず事故当時の新聞、TVの当初の「機長・乗務員のすばらしい仕事」に対する賞賛から、問題点が明るみにでるに連れて論調も変わってきている

 昨日国交省の調査委員会は「前輪格納庫のドア開閉場所のボルトが外れ、ボルト保護の金属管が飛び出し、扉の開閉ができなくなっていた」と発表した ボルトははじめから無かったか途中から抜け落ちたか分からないし、またボルトも発見できていないと言う

 ここで問題なのは、そういう大事な場所にある大事な部品の日々の点検がなされていなかったことだ そのボルトは外から見えない場所にあり(袋部分)、点検用の窓もドアもないこと、これは生産時の基本的欠陥だ また二重・三重の安全装置で飛んでいるはずの飛行機が、一本のボルトが原因で手動装置さえも動かなかったことだ 

 また日々業務時に点検しているはずの全日空の点検リストにも入っていなかった また今朝のTVニュースでは、乗員組合の話として「この機種はフライト間の出発点検はしなくて良い機種」だったという 恐ろしいことだ

 日頃私たちは航空会社に「命を預けて」乗っている その信頼感を失墜させる行為と言わざるを得ない まだ代替交通機関がある場所ではJRなり高速バスが使えるが、離島ではそうはいかない

 さらに驚くことは、事故の翌日にANA高知便が同じ時刻に同型機で、事故機が留まっている駐機場を横目で見ながら着陸したことだ 乗客の気持ちはどうだったのか?マスコミが言うように、取りあえずは別の型機(B737やエアバス)を使って運行するとか、同型機も「調査結果」が確定するまで使わないという姿勢が見られない やはり「命より儲け」なのか?

 全日空乗員組合は以前から会社にもっと「点検・検査」など安全面の強化を要請していたが、会社は改善措置を執らなかったという いまはライバルJAL社の不祥事を後目に、「一人勝ち」状態でノッテいるANAだが、こういう姿勢は乗客にも、ひいては航空業界にも不幸だ また同様事故があって死者が出たらどうするつもりか

 機体を作ったボ社の広報担当は日本のTVの取材に対して、「今は詳しくコメントすることはない この機は世界中で飛んでいるが評判も良い 日本のような短距離路線、発着回数が多い場所用に開発された機であり、十分考えて生産されている 機体の欠陥は考えられない 今は調査の結果を待っている」と強気にのべた

 前回も書いたが、YS11がない現在、この分野ではこの機は「一人勝ち」である 航空会社の方も機体の選択肢がないのだ また一端導入すると費用が掛かってなかなか変えることはできない 

 またこの機を形式承認した米航空局(FAA)のHPを見ても、今回のことも記述もないし、安全注意情報にもコメントがない 日本の国交省航空局のほうも、昨年来トラブルが多発するこのボ機を「結果が出るまでは取りあえずは機体を使用しない」ように指示もしなかった 

 「一人勝ち」した航空会社が、「一人勝ち」した会社の検査もしない「欠陥機体」に「選択肢なし」に乗るしかない地方の人間はどうしたらよいのであろうか?

温故知新:儒学者・山田方谷に学ぶ2007年03月19日 14時58分53秒

 先日、写真を撮りに岡山県高梁市を訪ねた メインは国重文の備中松山城、現存する天守閣を持つ全国12城の一つで、最高海抜430mの「日本三山城」の一つでもある この城への登り道の途中に「山田方谷・私塾跡」という石碑があった

備中高梁あれこれ・方谷私塾跡写真:
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/BichuTakahashi/miscellaneous.htm

松山城写真:http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/BiMatsuyamaJo/Gagyuzan.htm

 江戸後期1805年ここの城下で生まれた方谷は、朱子学を学んだ後、21歳で藩主板倉氏より奨学金をもらう英才であった のちに彼は藩の郡奉行や元締や執政などの要職を歴任する ところが儒学者だった彼が偉大なのは、その政治手法と内容である 

 藩主から信頼の厚かった方谷は、借金だらけだった藩財政を立て直す そのときの手法が詳しく下のサイトに載っている
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%96%B9%E8%B0%B7

 お読みになれば分かるが、すばらしい政治姿勢・手法である 自分の身の回りもきれいにして毅然と財政改革に取り組んだのである 昨今のある国の首相やある大臣の????が付く発言や「せこい手法」は真っ赤になる内容である 現代の日本には「平成の方谷」は居ないのだろうか?

春の京都に行きました2007年03月31日 22時41分53秒

清水寺境内茶屋の母子
 今年のJR「青春18きっぷ」は記念切符でなんと8500円、史上最安値!です 買わない人は知らないか、「スローライフ・コンシャス」でない人でしょう 行き先は「きっぷを買ってから考える」ということで、まず気の向いた京都です 新幹線なら一時間ちょっとの京都ですが、2回乗り換えの手間と3時間余の時間は安いと考えるか、高いと考えるかは人によるでしょうね

 ということで、最初は京都市美術館の「大エルミタージュ展」に行くつもりが、京都駅についたとたん気が変わって金閣寺に変更です 昼過ぎだったので、金閣寺真ん前の「*麓亭」に入りました お品書きを見ると、「天丼」が690円と安めです さっそく頼むと、なんと4cm位の小エビが2匹、その5倍もある大きなコロモがついてベチョベチョのご飯の上に載っていました 腹が空いていたので我慢して食べました 皆さんはここへは行かない方が良いでしょう

 入山料を払って入ると、人出は意外と少ない でも韓国人、中国人の団体さんが多いのが驚きでした やはり京都は「世界ブランド」です 次に清水寺に向かいました ところがここは参道から超満員です 清水は別格でした しかも外国人が4割くらいで、白人がその半分、アジア系が残り半分です とにかく日本の観光地ではダントツの国際スポットです

 ここは東山地域なので祇園・八坂神社から近く、多くの舞妓さんが目に付きます そうすると外国人はあちこちから走って寄ってきます 写真を撮る者、いっしょに写真を撮ろうとする者、すごい人気です そういえば「芸者ガール」は外国語になっていました

 「清水の舞台」は思ったほど高くなく少しガッカリしましたが、これはたくさんの写真を見すぎてイメージがふくらみすぎた私の「落ち度・ミス」でした ここは外国人だけでなく若い人も多く、清水寺の人気の高さを再確認しました もう一つは外国人の日本文化や京都の知識の高さでした かなり事前に調べてから訪問しているようです 

 京都は他の地域より寒く、桜は二分咲きでしたが、写真もまずまずで満足して帰途につきました 今度は各停の電車で4時間もかかって帰宅しました それにしても、京都は素敵です

金閣寺の写真
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/Kinkakuji/Kinkakuji.htm
清水寺の写真
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/kiyomizudera/kiyomizudera.htm