24年ぶりに会った人2008年05月05日 08時23分34秒

 24年ぶりにある女性に会った 私がアフリカにいた頃、教えたことがある元「小4生」である その国はイスラム教社会、小さな日本人社会、外部との交流が殆ど無い狭い交友関係、ほとんど入ってこない日本語での情報のという事実は「特殊な社会」といわざるを得なかった

 そういう中で、父親の仕事の関係で「遠い異国の地」で暮らさざるを得なかった子供たちにとって、「日本人学校」はまさに「毎日行きたい場所」であったに違いない まず日本語が使えること、次に友人に会って話が出来ること、その中には「日本にいるおバアちゃんが送ってきてくれた少女マンガの交換」も含まれる 日本国内の学校と違って持ち物検査も制約も校則もなにもない「小社会」であった

 給食もない学校であるから、当然弁当である 一クラス3,4名から5,6名の小さな学年であるから、机は円形向かい合わせで食べる 中にはオカズにソーセージやハムが入っている これは当地ではスゴイことだ 

 イスラムでは豚は「忌み嫌われる動物」であるからポーク製品は売られていない 家族がパリなどヨーロッパに出張・旅行をして買ってきた「貴重品」である 「わあーいいんだ!欲しいなあ~」「ウンいいよ 昨日たくさん食べたから・・」こうしてオカズの交換が始まる

 そういう「小さな社会」であるが、まさに「手作りの学校」「兄弟のような友人関係」であり、それだけに密度が濃かった いくら仲良くなっても「友達の家に遊びに行く」こともあまりなく、仮に行くことになる場合も、親が送り迎えする それだけに学校にいる時間がいちばん楽しい時間なのであった

 話を戻そう 「小四生」の彼女はたくさんのことを調べてきて、授業中に活発に手を挙げた 教育熱心な母親が引っ越しのときに、日本から多くの教材を持参していた アラブ語の放送しかないテレビを見ることもなかった 塾もなかった 必然的に家で「お勉強」をすることになる クラス全員が皆そうするわけではなかったから、親の教育方針だったのかもしれない

 その「小四児童」も現在は35歳になった ポイントを押さえて明るくはきはき話をする姿を見て嬉しかったとともに、当時のことが走馬燈のように浮かんできた 彼女は今、某新聞で活躍している中堅ジャーナリストである そしてその日本人学校も今は存在しない

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