「日本人は最良の宿泊客」大手インターネット社調査2009年08月06日 10時40分45秒

トルコ・カッパドキア・本文とは関係ありません
 少し旧聞で申し訳ないが、日経新聞の7月分の記事である
(以下引用)
 「世界最大級のインターネット旅行会社エクスペディアが世界各国のホテル経営者や従業員らに行った調査によると、宿泊客として最も評価が高いのは日本人、最下位はフランス人だった・・・・(略)・・・・日本人旅行者は礼儀正しさ、清潔さ、静かさ、苦情や不満の少なさなどでトップ。総合点で英国人が2位、カナダ人が3位で続いた。4位はドイツ人、5位はカナダ人。フランス人は外国語への順応性、寛大さ、チップの額などが27カ国中で最下位。・・・(略)・・・」

 筆者も海外旅行は大好きで1970年代末から行っているが、明らかに日本人観光客の質も変わってきている 80年代前半までは「海外旅行に行くのは一部資金にゆとりがあり海外の文物に大変関心がある人たち」が中心だった 当然マナーは良い方であった

 ところが「バブル時代」になると「猫も杓子も海外」というようになる 特にツアー客には「国内も飽きたから海外」という感じがあって、幅広い層が参加した そうなると当然マナーも悪くなる 更に日本人は「旅の恥はかき捨て」の意識があり、「ツアー客」にはそういうところが顕著だった そのころ、スイスなどではホテルなどに「日本人お断り」という動きが出始めてマスコミに取り上げられた

 そのころになると、新興工業国のなかで先に発展した韓国人が多く海外旅行するようになった 当然旅慣れていないから、日本人以上にマナーは悪かった ほとんどはツアーだったが、大声は出す、ぶつかっても誤らないなどと眉唾物であった

 やがて日本のバブルがはじけると観光客は減り、ほんとに好きな若干生活にゆとりのある中高年者やリタイア組が増えた 彼らはツアーであっても比較的マナーは良い このころまでに若者の中には「物見遊山」ではない「貧乏旅行」をする者も増えた

 最近(21c)になって中国が大きく経済成長して「金持ち」が増え、それに伴って海外旅行者が増大した 彼らも二種類あって、「金持ち」は個人旅行や豪華ツアーで比較的マナーが良いのに対して、庶民の団体さんのマナーは大変ひどい そういう一団に数年前オランダであった つばを吐く、上半身裸に近い、大声で話しまくる、道路の歩き方も雑・・とまさに「大ひんしゅく物」であった

 「日本人が評判が良い」のは嬉しいことであるが、これも長年掛かって変わったことである 「旅のマナーは民度の高さ」であると筆者は思っている 日本人が団体ツアーでなく個人旅行をしだしたら、もっとマナーも評判も上がるだろう 言葉さえできたら・・

 先の調査に戻るが、調査は「先進国とトルコ・ギリシャのEU関係の国」ばかりである これに中国、インド、ブラジル、ロシアなどBRICsも調査していたら、フランスもビリにならずに済んでいたかもしれない (つづく)

フランス人があふれる世界遺産・高野山2009年08月23日 21時31分18秒

外国人の多い金剛峰寺
 日本にも多くの世界遺産(ユネスコ・文化遺産/自然遺産/複合遺産)があるが、私が全く行けてないのは白神山地と石見銀山である あとの場所は完全ではないが、それらの一部は行けている 「一部」というのは世界遺産の指定の幅が多すぎて、「完全制覇」できないからである

 他の場所では、「行ったのだが残る場所がある」箇所がある所がある 例えば、「紀伊山地の霊場と参詣道」という指定で、「熊野」は行ったが「吉野」と「高野山」は済んでいなかった それでこの盆に「高野山」に行くことにした

 高野山はご存じ「空海・弘法大師」縁の場所、日本でも有数の宗教的・霊的な場所である 仏教徒や歴史好きなら一度は訪れているに違いない 高野山は行けば分かるが、けっこう奥が深い 同時代の「仏教者」の最澄の山・比叡山と比べると遙かに山が大きいし、都から離れている

 そういう日本人にとっても「奥深い場所」であるが、行ってみて分かったことがある 今回泊まったのは宿坊でも人気のある「福智院」という温泉宿坊であった 何とそこではフランス語が飛び交っていた しかも客の何分の一も居たのである

 次の日総本山金剛峰寺に行くと、またまたフランス人がたくさんいた これもおざなりでなく、手にガイド本を持って熱心に観察していた 見ていてその訳が分かった フランスの旅行ガイド本の「ギド・ヴェール」(英語でグリーン・ガイド」に「高野山が星三つ」で紹介されていたのだ

 フランス人はドイツ人と並び「アジア」に関心を持っている 「シルク・ロード」という呼び名は元はドイツ人が付けた ドイツ語の「ザイデン・シュトラッセン」の英訳が「シルク・ロード」である ドイツ人のリヒトホーヘンが「名付け親」である 私も行ったが、フランスではパリに「ギメ美術館」という「シルク・ロード」関係の博物館がある 中国西域の展示が多かった

 そういう国であるから、「ギド・ブルー」や「ギド・ヴェール」や「ミシュラン」などで推薦されると「行ってしまう」に違いない 「宿坊」という宿は「お寺に泊める質素な宿泊場所」であるからトイレも風呂も共用で、「個人主義の権化」のフランス人も流石に苦手な宿であろう それでも泊まるのはよほどのことだろうか?

 宿の人に訊くと流石に「トイレが部屋にない」とか、「部屋に鍵がかからない」といった類のクレームがあるそうだ それでも途切れずに来るのは、どういう魅力なのだろうか? 残念ながら、今回は訊くことができなかった ご存じの方にはご教示願いたい

 内部リンク:高野山金剛峰寺:
http://konotabi.com/photoalbum/2009JPNKoyasan1/Aug.htm

「世界地質遺産」も全部行きましたぞ!2009年08月23日 23時16分52秒

 今日の共同通信社公式サイトに「世界地質遺産に国内3地域」という記事があった それによると、「洞爺湖・有珠山」、「糸魚川」、「島原半島」が指定され、認定式が来年4月にマレーシアで行われるという

 この「世界ジオパークネットワーク」(事務局パリ)の「地質遺産」は、「世界遺産が保全や保護を重視するのに対し、教育や観光を通じた地域振興にも目を向ける」のが目的だという

 いずれにしても、世界的遺産に日本の場所が選ばれるのは嬉しいことである こういうことから、日本人が「我が国土に関心と愛着」を持ってくれると喜ばしい

 そういうニュースを見ていて気がついた 三つともすでに行っているのである ユネスコの「世界遺産」は数が多い上、毎年驚異的に増えている 「行っても行っても追いつかない」感じである そういう意味では「三つ」というのは「有り難い」のだ まだ調べていないが、世界ではどのくらいの「地質遺産」があるのだろうか? またこれからの私たちの旅に新たな「選択肢」ができた

五輪スキー三冠王・トニーザイラーの死を悼む2009年08月26日 09時48分47秒

オーストリア・アルプス
 あのトニーザイラーがインスブルックで亡くなった 享年七十三 高年者でスキーが好きな方なら名前くらいはご存じだろう 彼出演のスキー映画「白銀は招くよ」は日本でも大評判になり、そのハンサムな顔と優しそうな雰囲気と素晴らしいスキーの技量に、当時のスキーファンは酔いしれた

 彼は1956年冬、イタリア・コルチナダンペッツォ五輪の回転・大回転・滑降の三競技に立て続けに優勝し、大きなニュースとなった その時の回転で次いで二位になり、日本初の冬季五輪メダリストになったのが、現IOC副会長である猪谷千春氏である

 ザイラーは日本とも縁が深い 1959年には日本の映画祭に参加したあと5ヶ月も滞在した 彼が設計したスキー場は数多く、「八ヶ岳ザイラーヴァレースキー場」(現シャトレーゼリゾート)、白山瀬女高原、安比高原などが知られる

 さてまた「白銀は招くよ」にもどる あのときの相手役がまた美人であった 彼女の名はマルギット・ニュンケ ミス・ドイツ、ミス・ヨーロッパで、1955年ミス・ユニヴァースで4位になった人で、派手ではないが知的な美しさが当時の日本人にも受けた そして何よりも同名の主題曲が訳されて日本でも大ヒットした スキーをしない人もメロディーだけは耳にしているかもしれない

 私個人は年齢的には少し下なので、当時公開された映画は見ていず、後になってロードショウやDVDで見ることになった 今からみると板は大昔の木製板で、恰好もクラシック、滑り方も現在の洗練されたそれではない それでも「懐かしい青春時代」を見るようである

 過年スキーツアーでオーストリアへ行った 何よりも映画に出てきた場所である 心は弾む 映画ではレッヒ(タール)が舞台であった そこでも滑った 下部にある町の観光案内所で尋いた 答えはこうであった 「実際の映画はキッツビューエルで撮りました・・」と 来るまではほんとにレッヒで撮っていると思っていた 彼が仕事の本拠地にしていたキッツで撮っていたのだった

 また別の時に、イタリアのコルチナダンペッツォに行ったときには、彼が優勝した時の急なコースを降りたことがあった 「ここをあのザイラーや猪谷が競って滑っていった!」と思うと感無量であった それら諸々を思いだしながら、スキーの大ヒーロー・トニーザイラーの冥福を祈りたい

内部リンク:
イタリア・コルチナダンペッツォ:
http://konotabi.com/photoalbum/ITDolomiteSuperski/Superski1.htm
オーストリア:アールベルクのスキーエリア:
http://konotabi.com/photoalbum/austriastanton2/stanton2.htm