今年も咲いた!月下美人2010年07月05日 22時52分22秒

端正な月下美人の花
 一週間前から蕾が大きくなっていた「月下美人」が咲いた この花は名前通り夜しか咲かない しかも夜も更けてから満開になる さらに色白で姿も美しい まさにこのネーミングはぴったりである

 こう書いてもお分かりでない方はまず写真をご覧頂きたい 綺麗な花であるが、写真では分からないことがある それはその香しい香りである 世に香しい香りの花は多くある

 私の家にも他にラヴェンダー、クチナシ、ジャスミン(数種)、キンモクセイなど香りが高い花がたくさんあり、それぞれの満開時には辺り一面良い匂いに包まれる 今もラヴェンダーやクチナシが咲いている それでもこの月下美人には敵わない

 何故か? それは姿もあるが、香りの質が違うのである キンモクセイやジャスミンの様な強烈さもなく、さりとてお手洗いにも飾れるクチナシとも異なる 香りを文字では表しにくいが、比喩的に言えば「貴婦人の香り」である どことなく品があるのである

 しかも蜻蛉のように命が儚い 夕刻に咲き始め、深夜には花は閉じ始める 概して命が短いものほど人の心をうちやすい 夜にそっと咲きそっとしぼむのである 我が家ではこういう花が一株でワンシーズンで計二十以上も咲くのである 今年も秋の終わりまで楽しみが続く

「鎌倉五山」は山か?!2010年07月07日 19時05分38秒

鎌倉・円覚寺境内の石仏、五輪塔
 数日前行きつけのフィットネスクラブで話をしていた
「ひさしぶりですねえ」
「鎌倉に行ってたもので・・」
「紫陽花の寺ですか?」
「そうなんです 雨に降られましたけど、いい感じでした
 長谷寺なんかとくに良かったですよ」
「わたしも長谷寺に行ったことがありますけど、梅雨のころ
には行っていません 残念でした」
「ああそれから、鎌倉五山にも行きましたよ」
「鎌倉の山にも登ったんですか?」
「・・・・・・・・・・・・・?」

 彼女は「五山」だから山登りをしたと思ったのだろう
私のように中高年組でよく寺社参りをする者には分かっているが、
若い人でそんなに寺にも行かない人が誤解するのも仕方がない

 初期仏教や浄土宗などを除けばたいていの寺には
「山号」がある ◆◆宗〇〇山●●寺のように呼ばれている
また歴史に登場するが、鎌倉・室町時代「五山制度」が確立した

 しかし普通の人はそういうことも学校卒業と共に消え去ってしまう
だからそのこと自体は大したことではない 
それにしても、「ものごとを他人に説明するのは難しい」
ということを改めて実感させられた一件であった

→「山号」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%B7
→「五山制度」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B1%B1

やっぱりスゴイ安土城2010年07月25日 23時58分55秒

安土城天主跡
 この度かなり久しぶりに安土城に行ってきた たぶん日本人ではこの城を知らない者は少ないだろう あの有名な織田信長の城であるが、今は石垣しか残っていないのである それでも小学生までが名前を知っている

 世界遺産で国宝の姫路城ならいろいろなシーンやマスコミにひんぱんに登場する 現存十二天守のひとつであるが、その姿の美しさや縄張り・設計の巧みさ、スケールなどどの項目から見ても「日本最高の城」である 

 私も旅行好きなので海外の城、城館などもまま見るが、姫路城だけは胸を張って外国人にも紹介できる また再々の焼失や落城の危機から逃れた運の良さもこの城の特質である

 それでも私はすでに姿を失った城にもおおいにロマンや魅力を感じる
すでに姿を失った主な理由もいくつかの種類がある

1 江戸期までの戦闘ですでに落城、焼失して再建されなかった物
2 江戸初期の「一国一城令」によって取り壊され他の城の材料や寺の門に移築、移転された物
3 江戸期に落雷などで焼失、再建されなかった物
4 明治初期の「廃城令」によって民間に払い下げられ取り壊された物
5 第二次大戦時米軍の空襲などにより焼失した物

 この安土城の消滅はもちろん最初の理由である だから無くなってから長く放っておかれ戦後になってから掘り出された その「御陰」で比較的よい保存状態であった 反面確かな証拠書類がないため、他の文書や言い伝えでしか名称場所の特定ができないことである

 私の親HPに数葉の写真を載せているが、「伝豊臣秀吉屋敷跡」や「伝前田利家屋敷跡」など伝承がほとんどで確かな情報が少ない 従ってこういう城跡では、事前の予備知識や「豊かな想像力」を働かせて補うしかない

 この写真は山の最上部にある天守閣(天主)跡の物である 礎石の多さや周りの石組みの大きさから言っても、フロイスなど宣教師の記録や各種の史料どおりかなり雄大な物であったことは、容易に想像できる

 此処に立って近江盆地や琵琶湖を見下ろすと、天守閣に立った信長の考えや野望を勝手に想像できる楽しさがある 情報が少ないほど想像力は増すのである

内部リンク:「安土城」
http://konotabino-tabi.sakura.ne.jp/photoalbum2/2010JPNAzuchijo/top.htm

カナダ・バンフのエルクの話2010年07月28日 16時40分00秒

カナダ・ウィスラースキー場の雪景色
 暑中お見舞い申し上げます このサイトを見て頂きありがとうございます 昨今のような暑い時は涼しいものを口に入れるか、涼しい場所に行くか、もっとも安上がりでは涼しいことを想像するかですね 写真は冬のカナダ・スキー場のウィスラーの写真です これを見て少しでも涼んでください

 さて、たまたま部屋を整理していたら、「バンフ・タイムズ」という在バンフの日本人が発行しているミニコミ紙が出てきました ウィスラー・オリンピックまではかなりひんぱんにスキーに行っていた時の物です

 その記事にこういうのがありました
「エルクは危険!」(1996/9下旬号)というものです(以下引用)
「9月1日より10月15日まではエルク(オオツノジカ)の交配期とされており、雄のエルクはこの時期非常に危険です 発情期のエルクは何の前触れもなく攻撃してくるので、写真を撮ろうと近づくのは論外、少なくとも30mの距離を置き、絶対に近づかないようにしてください バンフの常識です・・・・・・」

 真冬のスキーシーズンでも、エルクは平気で町中に現れて、目抜き通りのど真ん中を自由に歩き回ります そうなると自動車はおとなしくいなくなるのをじっと待ちます クラクションさえも鳴らしません バンフは町自体が国立公園内ですので、あくまで動物が「主人公」です 日本以上に動物との距離感が近いのです こういうシーンを筆者は何度も見かけました

 我が国でも山の熊や猿が里に下りてきて、大騒ぎになることがあります どの国でも人間が自然に進出して、動物との接触が頻繁になっていますが、カナダではある意味「日常茶飯事」なのです 「人間と動物との共存共生」とはよく言われることですが、実際は難しいことですね