ナチによるブッヘンバルト強制収容所 ― 2011年08月22日 10時40分05秒
5月から6月にかけてレンタカーでドイツ・チェコを回った いろいろ見たのだが、その中の「異色」はドイツ・ナチによるKZ・強制収容所(記念館)である
強制収容所といえば、フツーの日本人は「アウシュヴィッツ」しか知らない人が多い 実は何十もの収容所が作られ、殺された数も多大だが現在に至るまで正確な集計はできていない 一説によれば約280万人とも言われるが、もっと多いと言う研究もある
人と話していると、意外にも「アウシュヴィッツはポーランドにある」ということを知らない方も多い 私は2003年に一人でリュックを背負って列車旅をした 大変時間が掛かったが、やはり行って良かったと思った 「良いものを見た」のではなく、「見なければならない物だった」からである
さて今回の旅である かつて「ドイツで歴史上もっとも優れた憲法」が作られた町がある その町ヴァイマール(日本語ではワイマール)から車を走らせてしばらく、山の中にその強制収容所跡はあった 名はKZ・ブッヘンヴァルトと言う
二次大戦中ドイツ国内にも多くの収容所が作られたが、ここは大変町に近い場所にあった ここではアウシュヴィッツとは異なり、やや「軽度の囚人」を入れたらしい 戦争末期、SS親衛隊は他の収容所に囚人を移動させたが、アメリカ軍が解放したときには、21000人は生きて残り、55000人が死体になっていたという
私たちが此処に来たときに、入り口に大きなポスターが掲示されていた その写真が上の物である それを見て不思議に思ったことがあった 全員が比較的穏やかな顔をしているのだ 「殺される前にしては・・・・・?!」と思っていたら、何と解放されたばかり(1945/4/16)の姿らしい 道理で怪訝ながらも穏やかな顔をしているわけだ
収容所跡の主な建物はすでに破壊され撤去されているが、一部は残っている それをこの国は費用をかけて整備し無料で一般公開している 金もかかるがそれでも他の収容所も含めてこれらを維持している それは 目にしたくない物でも「歴史の教訓」として後世に残す必要があるからである
ドイツでは今でも「ナチ」「ヒトラー」などを口にし文字にし、ハーケンクロイツ(鈎十字)などを使用することは法律で禁止されている そしてドイツ政府は長い間ユダヤ人たち犠牲者の多額の賠償をしてき、近年それが終了したそうである
どこかの国のある政治家のように、最近「A級戦犯は戦争犯罪人ではない・・」などと言って近隣の国の神経を逆なでにはしない ドイツはかつて酷いことをした国だが、今は「良識のある国」になっていると言えよう そういうことを考えさせられる旅であった
内部リンク:ブッヘンヴァルト強制収容所
http://konotabi.com/photoalbum2/2011DB_CZ_Buchenwald/top.htm
内部リンク:アウシュヴィッツ強制収容所
http://konotabi.com/auschwitz/toppage.htm
強制収容所といえば、フツーの日本人は「アウシュヴィッツ」しか知らない人が多い 実は何十もの収容所が作られ、殺された数も多大だが現在に至るまで正確な集計はできていない 一説によれば約280万人とも言われるが、もっと多いと言う研究もある
人と話していると、意外にも「アウシュヴィッツはポーランドにある」ということを知らない方も多い 私は2003年に一人でリュックを背負って列車旅をした 大変時間が掛かったが、やはり行って良かったと思った 「良いものを見た」のではなく、「見なければならない物だった」からである
さて今回の旅である かつて「ドイツで歴史上もっとも優れた憲法」が作られた町がある その町ヴァイマール(日本語ではワイマール)から車を走らせてしばらく、山の中にその強制収容所跡はあった 名はKZ・ブッヘンヴァルトと言う
二次大戦中ドイツ国内にも多くの収容所が作られたが、ここは大変町に近い場所にあった ここではアウシュヴィッツとは異なり、やや「軽度の囚人」を入れたらしい 戦争末期、SS親衛隊は他の収容所に囚人を移動させたが、アメリカ軍が解放したときには、21000人は生きて残り、55000人が死体になっていたという
私たちが此処に来たときに、入り口に大きなポスターが掲示されていた その写真が上の物である それを見て不思議に思ったことがあった 全員が比較的穏やかな顔をしているのだ 「殺される前にしては・・・・・?!」と思っていたら、何と解放されたばかり(1945/4/16)の姿らしい 道理で怪訝ながらも穏やかな顔をしているわけだ
収容所跡の主な建物はすでに破壊され撤去されているが、一部は残っている それをこの国は費用をかけて整備し無料で一般公開している 金もかかるがそれでも他の収容所も含めてこれらを維持している それは 目にしたくない物でも「歴史の教訓」として後世に残す必要があるからである
ドイツでは今でも「ナチ」「ヒトラー」などを口にし文字にし、ハーケンクロイツ(鈎十字)などを使用することは法律で禁止されている そしてドイツ政府は長い間ユダヤ人たち犠牲者の多額の賠償をしてき、近年それが終了したそうである
どこかの国のある政治家のように、最近「A級戦犯は戦争犯罪人ではない・・」などと言って近隣の国の神経を逆なでにはしない ドイツはかつて酷いことをした国だが、今は「良識のある国」になっていると言えよう そういうことを考えさせられる旅であった
内部リンク:ブッヘンヴァルト強制収容所
http://konotabi.com/photoalbum2/2011DB_CZ_Buchenwald/top.htm
内部リンク:アウシュヴィッツ強制収容所
http://konotabi.com/auschwitz/toppage.htm
コメント
_ 旅好きおばさん@神戸 ― 2011年08月28日 22時42分22秒
「アウシュヴィッツ」今回の「ブッヘンヴァルト」両強制収容所。読ませて頂きました。私はミュンヘンの「ダッハウ強制収容所」に行ったことがあります。一緒に行った彼女は看護婦長(現師長)経験者ですが、少し覗いて、私はよう見ないから外で待っている。と言うので私は急いで見て回りました。私が残酷なのか?心を痛めながら見て回りました。長くは感想書けませんが、ドイツが起こした負の遺産を隠さず公開している事に感心しました。二度とあってはならない事ですから。今のドイツ人は凄く親切です。
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