米潜水艦パンパニートと旧アルカトラス監獄2011年09月08日 23時12分51秒

監獄島アルカトラスと潜水艦パンパニート号
 今やっている「整理中のちょっとむかし写真」の一枚である 2001年に日系人の方たちの話をまとめるため、カリフォルニアに行ったときの写真である その町は郡部のワインで有名な小振りな町だったが、帰りに二度目のサンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフへ行った

 ここには美味しい海鮮物を食べさせるレストランもたくさんあるが、大きな港である以上海軍の艦船や有名な吊り橋やあのアル・カポネで有名な元監獄アルカトラス島なども見逃せない またそこに行くまでのケーブルカーにぶら下がるように乗るのも楽しい

 港でたまたま公開中のミサイル・フリゲート艦「ポート・ロワイアル」を見学した後、波止場から撮った米海軍旧潜水艦「パンパニート」と沖合の監獄島の写真である この監獄は「脱出不可能」といわれた凶悪犯収監の場所だが、映画撮影にもたびたび使われたのはご存じだろう

 太陽は明るいし、坂の多い町はなにかチャーミングだし、空は広いし、食べ物も旨いし、海がワーッと広がって開放感がある 路上をジーと見なければSFOはいいまちである

 内部リンク:「戦争で人生が変わった日系人たち」
 http://konotabi.com/japamerican/ja1top/japame1top.htm

娘のしつけ・教育に失敗した女帝・マリア・テレジア2011年09月09日 20時27分50秒

神聖ローマ帝国「女帝」マリア・テレジア像
 写真はオーストリア・グラーツの武器博物館にある神聖ローマ帝国共同統治者(オーストリア帝国)女帝・マリア・テレジアの肖像画である 如何にも傲慢で自信に満ちた顔つきである 「私がヨーロッパだ」といわんばかりの顔である

 人は顔だけではないが、この方も娘時代はけっこう「カワユイ」のである それは当時オーストリアの「属国」であったハンガリーの首都ブダペストにある西洋美術館・ロビーにある全身像は、例えて言うなら日本のタレント・優香をバタ臭くしたような雰囲気である

 だが実際には彼女は「女帝」に即位したことはない 本当は皇帝フランツ一世シュテファンの奥方に過ぎないが、当主ハプスブルグ家の家督相続人であったため、名実ともに「政権担当者」であった そういう意味では、これも歴史に名を残したロシア・ロマノフ家の女帝・エカチェリーナ(エカテリーナ・キャサリン)とは「家柄」というか立場が全く違っていた

 彼女の子沢山は有名だが、特に列記すべきはまず長男・神聖ローマ皇帝・ヨーゼフ二世である 「啓蒙専制君主」として知られる彼は、当時としてはまあ民衆寄りであった あの映画「アマデウス」にでてくるモーツァルトの擁護者でもあった 母が良くも悪くも「大物」であったため、歴史上ではやや評価が低いが、決して「凡庸」ではない

 それに比べると、多くの妹たちの一人である政略結婚でパリのベルサイユに赴いたマリー・アントワネット(仏・ルイ16世妃)は出来が悪かった 彼女は「お嬢様」のため当時のフランスの国情には全く疎かった そのため状況が急進的・流動的に変わっているにもかかわらず、宮廷内で悠々と過ごしていた 

 当時の「第三身分」である市民やもっと底辺の下層民衆からは「憎むべき敵」の一人にあげられた 後年、彼女の言葉ではないとされたエピソードも、当時は彼女の言葉とされて非難が集中した それが有名なこれである
デモをしている民衆を見て、「あの者たちは何をしているのか?」「パンがないので寄こせと言っております」「パンが無いのならケーキやクッキーを食べたら良いのに・・」

 この言葉が「民衆」を怒らせた 為政者は国民の実態・心情が分からなければ、その地位を保持できないのは世の東西でも事実である まして封建社会・身分社会が大きく揺らぎ没落しつつあった時代に、こういう発言はまさに「無神経」そのものであった 

 かくしてフランス革命では彼女は夫共々「逮捕」され、後日「断頭台(ギロティン)」の露と消えた いかに当時のヨーロッパ王家が政略結婚で結びついていたとはいえ、もう少し「下々」の立場を理解する人間を育てるべきではなかったか 翻って,「議会民主制」の現代ではあるが、ヨーロッパの王家であるオランダやスウェーデン・ノールウェイ・デンマークなどはそういう「教育・しつけ」がきちんとできている

 内部リンク:意外と可愛い?若き日のマリア・テレジア;
 http://konotabi.com/photoalbum/budapestmuseum/top.htm#mariatheresia

コロンブスが大西洋を渡った航海船:サンタ・マリア号2011年09月10日 23時10分16秒

コロンブスのサンタ・マリア号復元船
 写真はスペイン・バルセロナ港にあるサンタ・マリア号の復元船である 埠頭横にはコロンブスがアメリカ大陸を指さしている高い全身像がある

 私たちは学校時代に「いよー国が見えたぞ、コロンブス」(1492)なぞと言って年号を覚えたものだ 授業では「西洋人が初めてアメリカ大陸の到達した・・」というような授業を受けた

 しかし現在は「最初にアメリカに達したヨーロッパ人はヴァイキング」ということになっている それもコロンブスよりも500年も早い時期だという そうなると、コロンブスの歴史的意義は何なのだろうか?これは取りあえず置く

 さて日本人が言う「コロンブス」と言う人名は、正確には正しくない フツーの人は彼がスペイン人だと思っているがこれも違う 彼は一応ジェノヴァ生まれのイタリア人である 本当の名前は「コロンボ」、クリストフォーロ・コロンボが正しい でも何か聞いたような名である 

 あのTVの刑事シリーズ「コロンボ」と同じなのである だから逆に言うと「刑事コロンブス」でも良いわけである 主役のピーター・フォークは今年の6月23日に亡くなった

 少し脱線したが、此処スペインではコロンブスは「コロン」と呼ばれていた 後年作られたパナマ運河の片側の出口にある町が「コロン」という まさにコロンブスという町だ

 彼の出身地であるイタリアはヴェネツィア、ジェノヴァといった海運・航海の伝統があり、「アメリカ」の名の元になった航海者・探検家:アメリゴ・ブスプッチもイタリア人である

 では日本人だけが言う「コロンブス」という名前はどこから来ているのだろうか? 英語表記はColombus, Christopherである これもクリスタファー・カランバスと発音し、コロンブスではない 海外でコロンブスといっても誰も分からない 日本人は綴り字どおりに読んだのであろうか

 話は戻るが、コロンブスの歴史的意義は何なのだろうか? これ以後スペイン・ポルトガルが南北アメリカ大陸を簒奪し、金銀を含む多くの財宝を本国に持ち帰った その富でしばらくは両国は繁栄をする

 新大陸にとっては「イイ迷惑」な話である あのインカ帝国も滅ぼされたし、性病などの多くの病気ももたらされた 現在も公用語はスペイン・ポルトガル語になっている

 さて、話は写真の船に戻る これが正確な復元船かどうかは分からないが、大洋横断にはかなり小さい しかも食糧不足、ヴィタミン不足の壊血病や船員の反乱などがつきまとった あと何日か航海が続いていたら、歴史は大きく変わっていたかもしれない そういうことも考えながら写真を見ると、別な感じになってくるのである

白く美しいソバの花2011年09月18日 18時49分59秒

信州・白馬のソバ畑
 車で600km以上走って信州の白馬に行って来た 縁者が持つ白馬の別荘に滞在して、八方大池と栂池自然園へ行き写真を撮った 私は冬のスキーにしかこういう所に行かないので、これらは長年の懸案でもあった

 その別荘近くにもソバ畑があった 一つひとつはどういうことがないささやかなソバの花であるが、畑全体のマスで見ると薄目のグリーンに真っ白な小花が爽やかで美しい 以前北海道に行った時もあちこちでずいぶん楽しませてもらった

 そういうソバも秋の後半になると、「新ソバ」として日本全国の蕎麦どころで蕎麦好きたちを喜ばせる 私の場合は出雲の蕎麦祭りで食べた二八蕎麦が印象に残った また兵庫の出石町で食べた蕎麦も美味かった また今年もそういう季節になった
 
 内部リンク:「初秋の栂池自然園」
 http://konotabi.com/photoalbum2/2011JPNHakubaBota/top.htm

白馬はもう秋2011年09月20日 09時37分54秒

白馬のススキ
 白馬の栂池自然園と八方池を歩いてきた それらは「季節の端境期」で、完璧にはまだ秋にはなっていなかった それでも気の早い植物たちはもう秋を感じていた ナナカマドの赤い実はその代表だ

 「下界」に下りて「塩の道」を走った そこには蕎麦の白い花が全開で、来るべき「新蕎麦」の季節を告げていた そして路傍のススキはもうすぐ全開を告げていた 雲はまだ夏らしい雲だが、季節は確実に変わりつつあった 数ヶ月すると雪が降り、今年もまたスキーの季節が来る

白馬の八方池2011年09月21日 20時54分22秒

白馬・八方池
 信州白馬といえば山登り、山歩き、野鳥観察、高山山野草、温泉、トレッキング、温泉巡りなどのアクティヴィティが好きな方々にはメジャーな所である 土産店やレストラン、観光関係の会社も多い

 しかし私は毎年のようにここに来るが、まず冬である 私の独断では、スキーをする人間にとって日本を代表するスキー場といえば、この八方、志賀高原と北海道のニセコであろう しかしこれも人によって異なり、蔵王だ、安比高原だ・・・・と他の大きなスキー場をあげられる方も多い

 それでも白馬の八方スキー場は「長野冬季オリンピック」のメイン会場になったように、「日本を代表するスキー場」にあげても決しておかしくない もちろんコースの多彩さに加えて、首都圏からも名古屋圏、関西圏からも近く、雪質もまずまずという総合点からきている

 そのうえ、国内の他のメジャースキー場と同じく、温泉数も半端ではない 八方に隣接する白馬山系の他のスキー場もすべてリフト・ゴンドラ乗り場から歩ける距離に温泉が複数ある 車で来て泊まらずに帰るスキーヤー・ボーダーにとっては嬉しいことだ またかなりの宿泊施設にはまず「源泉かけ流し」があったりする

 そういうウィンター・スポーツのメッカとも言える白馬も、最近は夏の客も多くなった その原因は「やまのぼりブーム」であり、メインは中高年である 彼らは時間もお金も若者たちより少しだけ?多く持っている さらに最近の「熟年」は大変元気である 海外ツアーの客の大半は中高年である しかもリピーターばかりである

 だから今回の「山あるき」でも、歩いていたのは五十代~七十代ばかりで、たまに会う若者たちは大学のサークルかゼミのグループであった たまに若い親子連れに会うと妙に感心した きっとパパの休みが平日で、妻と可愛い子どもを連れてきたのだろう オジさんの子ども時代は、父親は働くばかり(働くしかない状況)で何処にも連れて行ってくれなかった そういう話である

 内部リンク:「初秋の八方池」
 http://konotabi.com/photoalbum2/2011JPNHakubaSep/top.htm