四国遍路の寺の紅葉は11月末でもまだ・・2012年12月08日 22時17分59秒

四国遍路58番仙遊寺山門
 私たちの四国遍路も今回62番で終わった 11月の下旬から12月にかけての歩きでもまだ紅葉が残っていた

 「歩き遍路」は辛い 雨の日も風の日も予定通り歩くしかない 国道の水たまりの水を車にかけられても、知らない道を間違えても耐えるしかない

 荷物を担ぎ先の分からない山道を歩くつらさ、くじけそうな急坂も休みながら歩くしかない そういう道でもところどころ心が安まる場所がある

 それが心に残る、美しい景色である この写真の第58番仙遊寺も長い山道を上った先にあった やっと山門に着いたらまだ紅葉が残っていた その後も長い急階段を上るのだが、ここでリフレッシュできた そういう風景の写真である

四国歩き遍路の出会い2012年12月29日 18時36分08秒

四国遍路番外札所・文殊院
 以前にも書いたが、私たちの「四国歩き遍路」もすでに第62番札所がすみ、延べ歩き距離873kmを越えて終盤に近づいた それでも後26ヵ寺と最後の高野山詣でが残っている 真冬の歩きは辛いので、再開は来春で来年中には結願(けちがん)すると思う

 ここまでの思い出は、何と言っても一番は苦しかった風雨の中の歩きであったが、二番目は善意ある人々との出会いである 四国の方々は優しく、「お接待」してくださることが多かった 畑で作業しているお婆ちゃんは、「重いけどこのミカン持って行きなさい」と木からもいでたくさん下さった  通勤途上の年輩サラリーマンはわざわざ自転車から下りて鞄からミカンとお菓子を下さった また優しく声をかけてくださる人もいた

 そういうなかで忘れられないのは、ある三十代と思しき男性のことである 愛媛県大洲市にある道の駅「ポケットパーク札掛」の休憩所で休んでいた私たちの所に駆け寄ってきた人がいた 「あの~私にお接待させて下さい」 私たちもこういうのは初めてだったので、思わず「はっ?」「私も以前四国を遍路しました これはお接待です」と言いながら500円玉を渡して下さった

 彼は車での配達をしていた途中らしく、仕事着を着たままお接待をして下さったのである 遍路していてお金を貰うのはこれが初めてだったが、断る理由もないので有り難く受け取った お礼のお札はもちろん渡した 私たちは「どうしようか?」「次のお寺でお賽銭にしたら・・」と話し合った

 さて私たちはそれから歩きに歩き松山市に入っていた 松山市も遍路のお寺が多くセッセセッセと回っていた その途中に番外札所があった 私たちは番外札所まで回る事にはしていなかったが、道脇だったし「四国遍路の祖・衛門三郎縁の寺」ということで寄ってみた

 少し逸れるが、そのむかし、衛門三郎は空海(後の弘法大師)が托鉢をして四国を回っていた時、冷たくあしらって追い返した人である その後子どもが続々死んで自分の非を悟った衛門三郎は四国中を空海を追い求めて歩き回ったという これが遍路の始まりということになっている

 さて、その寺前には三十代の男性とその母親らしき五、六十代の女性がいた ふと気が付くと男性がじっとこちらを見ている そしてこちらにやってきてこう言った 「あの~確か岡山から来られた方ですよね~ 覚えていらっしゃいますか?」「はっ?」「大洲市で接待した者です」「あ~ああの方ですか その節はどうも・・・・」

 彼が私たちに「お接待」したのは50km以上離れた場所、それから何日も経っている しかもたまたま立ち寄った寺である 母親らしい人はこう言った 「あなたがお接待した人たちも多分もうこの辺に来ているね・・と話していたばかりなんですよ」 彼は仕事が休みの日だという 何という偶然であろうか?! 私たちは重ね重ねお礼を言って別れた 縁である

 こういう人たちとの縁で、我らが先輩歩き遍路者は「お四国病」に成っているに違いない