古代山城・日本百名城・鬼ノ城(岡山県)2015年03月18日 15時08分20秒

古代の謎の城 鬼ノ城 岡山県総社市
 岡山といえば日本三名園の「岡山後楽園」、倉敷美観地区と大原美術館くらいしかご存じない他県の方も多い 京都、奈良ほどの著名で古い歴史もなく、諸大都市のディズニーランドやユニバーサルスタジオのように大きなスポットもないのである

 かといって、富士山、阿蘇山、大雪山、八甲田山などの偉大な山もないし、利根川、木曽川、琵琶湖、洞爺湖、霞ヶ浦のような心に残る水場もない やっと魚のうまい瀬戸内海があるくらいで、それも他県にはやや及ばない

 ただ歴史好きには少しだけ胸を張ってお知らせできることがある まず古代では地方の大勢力であった吉備(政権)地方である 日本の大古墳では日本第4位の造山古墳(岡山市)が墳丘長が360m、第9位の作山古墳(総社市)が同286mとベスト10に2つも入る これは畿内政権の規模から考えると大変なことである

 そしてこの写真の城である 名前は鬼ノ城(きのじょう)という 時代は定かではないが7c後半~8c頃と言われている 「定かでない」のはこの城が日本の古代歴史書に全く登場しないからである 一般には663年朝鮮半島の「白村江の戦い」に破れた日本が、唐などに対する防御のため全国に作らせた城の一つであろうということになっている 

 それでもそういう12の城にも入っていない「その他の城」の扱いである ところがご覧になれば分かるが、その規模はそれら12の城と比べても最大級の縄張りである 城内面積が30haもあるのである

 岡山には「桃太郎伝説」があり、桃太郎が鬼を退治したことになっている 古代の時代にこの山に「温羅」という鬼がいて、それを吉備氏が平定したとの話もある ところが伝承のみで地元にもはっきりした文献はない

 城そのものは朝鮮式で温羅も渡来人という 古代吉備氏との関係ももう一つはっきりしない そのあたりがどう繋がってくるのか依然謎は残る そういう「古代のロマン」が残っている「謎の城」が岡山にあるということが岡山人の誇りである

  ・・・内部リンク「鬼ノ城 2015」
   http://konotabi.com/Photo2015/2015JPNKinojoMar/top.html

戦国時代の「常山女軍」の墓2015年03月28日 00時07分07秒

戦国時代の「女軍の墓」
 最近、「歴女」とか「お城ファン」などいろいろな方がいらしゃる むかしから城巡りや寺巡りが好きな筆者としては嬉しいことである 同好の士が増えるからである かといってサークルを作ろうとか連絡を取ろうとか言うことは全くない それぞれの楽しみ方が違うからである

 県南で桜が知られる岡山市の常山に登ってみた たかだか307mの小山であるが、頂上からは海を隔てた高松市や屋島、讃岐富士や坂出が見渡せ、瀬戸大橋まで見える 反対側には岡山平野が一望できる

 むかし、そういう場所に城があった 戦国時代のことである 1575年城主上野隆徳の軍は総勢7千の毛利勢に包囲された 退路も断たれた中、城主の妻が侍女たち34人を引き連れ長刀をもって城外に出て奮戦する しかし多勢に無勢、追いつめられた後城内で自害した

 そういう女たちの供養のため作られたのが写真の墓である 古そうに見えるが大正時代の物だという 傍の桜は今はつぼみ、もうすぐ満開になって女軍たちを慰霊するだろう

  外部リンク:臨済宗妙心寺派豊岳山久昌寺のサイト「常山女軍」
       http://www.tamano.or.jp/usr/kyushoji/tuneyamajogun.html
           注:久昌寺は常山の真下にある地元の名刹