彦根城の夜景 ― 2017年07月12日 22時22分20秒
以前から行ってみたかった城(跡)が二つあった 一つは石田三成の佐和山城ともう一つは浅井長政の小谷城である
彦根には何度も行っているが、近くの佐和山城は行けていなかった 小谷城は相当むかしに行っていたが、HP用のいい写真が残っていなかった そういう訳で今回行くことにした
梅雨の合間なので、天気をみながら彦根に宿をとった 写真はそのホテルからの彦根城の夜景である 堀脇のまことにロケーションのいい宿である
閑話休題、翌日まず佐和山城に行った 登り口には龍潭(りょうたん)寺がある 井伊家が浜松から来るとき、分家したような寺で、現在も彼の地の井伊谷に同名のご本家がある
その山門脇には石田三成座像があった そこから墓地を通って山道を上がる 途中にも廓はあまり残っていない 山上の本丸跡にも何もなかった ほんの少しの石垣と井戸跡があるだけだった
関ケ原後、当地に転封された井伊直政以後、この城や他の城から材料を持って行って彦根城を作ったからである 良く言えば「廃物利用」だが滅んだものは儚い
小谷城には昼から行ったが、そこの方が廓跡や石垣が多く残っていた 城主はもちろん信長の妹「お市」の夫の浅井長政である 最後には信長に滅ぼされた この城で自害して果てた まことに儚い
それでも3人の娘たちはそれぞれ後代の歴史を作ったことがよく知られっている 戦国の世は数えきれないストーリーを持っている
(内部リンク)
近江国・石田三成居城・佐和山城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaSawayamajo/top.html
近江国・浅井長政居城・国史跡・小谷城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaOdanijo/top.html
彦根には何度も行っているが、近くの佐和山城は行けていなかった 小谷城は相当むかしに行っていたが、HP用のいい写真が残っていなかった そういう訳で今回行くことにした
梅雨の合間なので、天気をみながら彦根に宿をとった 写真はそのホテルからの彦根城の夜景である 堀脇のまことにロケーションのいい宿である
閑話休題、翌日まず佐和山城に行った 登り口には龍潭(りょうたん)寺がある 井伊家が浜松から来るとき、分家したような寺で、現在も彼の地の井伊谷に同名のご本家がある
その山門脇には石田三成座像があった そこから墓地を通って山道を上がる 途中にも廓はあまり残っていない 山上の本丸跡にも何もなかった ほんの少しの石垣と井戸跡があるだけだった
関ケ原後、当地に転封された井伊直政以後、この城や他の城から材料を持って行って彦根城を作ったからである 良く言えば「廃物利用」だが滅んだものは儚い
小谷城には昼から行ったが、そこの方が廓跡や石垣が多く残っていた 城主はもちろん信長の妹「お市」の夫の浅井長政である 最後には信長に滅ぼされた この城で自害して果てた まことに儚い
それでも3人の娘たちはそれぞれ後代の歴史を作ったことがよく知られっている 戦国の世は数えきれないストーリーを持っている
(内部リンク)
近江国・石田三成居城・佐和山城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaSawayamajo/top.html
近江国・浅井長政居城・国史跡・小谷城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaOdanijo/top.html
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