ヨーロッパ戦線の「英雄」・パットン将軍の墓2008年07月26日 15時04分35秒

ルクセンブルグ・アメリカ軍墓地・パットン将軍の墓で
 「ベネルクス三国ドライヴ」時の話
 私はベイビーブーマーなので、第二次大戦ごろの歴史も大好きだ 戦争は大嫌いだが、その時代のことには大いに関心がある 

 私は古い映画ファンでもあるので、戦後からしばらくの映画は大体見てきた そのなかで、アカデミー作品賞受賞作品「パットン大戦車軍団」(原題「PATTON」)がある 強烈な個性で米軍第三軍を率いてヨーロッパで活躍した将軍である

 彼のモットーは「行け!進め!」の猛勇型指導者で、「戦場で震える兵士は臆病者」という考えのもと、兵士を殴打したのでも問題になった
 しかし戦績が素晴らしく、北アフリカからイタリアへの進軍は猪突猛進で、被害も大きい代わり戦果も上げた

 しかし彼の言動はたびたび問題を引き起こす とくに「反共」であった彼はアメリカの同盟軍であった旧ソ連軍を侮辱したため、「謹慎状態」におかれた しかしナチ(ドイツ軍)に包囲されたバストーニュのアメリカ軍を不眠不休で救ったことから、一躍「英雄」になった

 しかし時代は彼のような「無骨豪胆」だけの軍人はもう必要とされていなかった むしろ政治や社会に目を向けられる「バランスのとれた」人物が歓迎されるようになっていた 日本で言うと、加藤清正ではなく石田三成なのである

 そういう「歴史上の人物」を描いた大作映画であったが、その「英雄」はアメリカ軍人なのにワシントンのアーリントン墓地ではなく、ルクセンブルグの米軍墓地に眠っていたのだ 

 私たちのこのドライヴの最終目的地はこの墓地のパットンの墓であった 尊敬はしないが、大変興味深い人物として墓参りをしたのだった

マイHP内部リンク:
ルクセンブルグアメリカ軍墓地:
http://konotabi.com/photoalbum/Lux_Patton/Americancemetery.htm

素敵なアムステルダムの人々の暮らし2008年07月05日 19時07分29秒

アムステルダム運河の家族が乗ったボート
 2年前の夏、レンタ・カーで「ベネルクス三国」を周遊した その時は主に<美術館・博物館めぐり>が目的であった なにせゴッホを生み、フェルメールを生み、レンブラント・・を生んだ国である やはり地元の美術館には多くの名画が収蔵されていて、十分堪能した

 しかしそういうことの他に、人々の「足が地に着いた生活」が垣間見られて、ずいぶん考えさせられたのである 今回はオランダのことだけについて書く オランダは私たちが学校時代に「干拓で土地を作った 国土のかなりの部分が海面下である・・・・」などと習ったものだ 入試問題には「干拓地ポルダー」がよく出題された

 旅行中各地のキリスト教会も見たが、ほとんどは「プロテスタント」で「勤勉こそ大事な物」という精神が散見された 狭い土地に多くの人口(高い人口密度)で土地自体ももともとは肥沃ではない 働いて貯蓄し、勉強して学問を究め、土地と富を求めて海外に進出した 

 さらに歴史の中では、スペインに長い間「植民地」にされて苦しみ、やっと「独立」した そういう土地では市民の自覚が高いし、自治という意識も高かった そういう意味では、日本と最も長いつきあいがあるが、中身は最も相違の大きい国である

 さてアムステルダムでは、以前から行きたかった「アンネ・フランクの家」に行った やはり「超有名観光スポット」で世界中から人が来て、この建物を取り囲み入場を待っていた その前は運河で、町自体が「運河の町」と言っても過言ではない その近くの写真が上の物だ

 夕方になると、人々は家族ごと小さなモーターボートに乗り、こうして運河を行き交う 他の家族は自転車に乗って、また赤ちゃん連れは三輪自転車に子どもを乗せて、自転車専用道を走る 郊外では運河で子どもたちだけのヨットが歓声を上げて滑るように行き交う それはフツーのことである

 日本人から見ると、羨ましいくらい「スローライフ」「エコライフ」が身に付いている 戦後、私たちはアメリカ人の生活にあこがれ、「物質優先」の生活を追求してきた しかしそれは行き詰まってきた 地球環境や天然資源などの問題が大きく騒がれる今、オランダの人々のような「足が地に着いた」堅実な生き方も大いに参考になるだろうと思われる

(マイHP内部リンク)
アムステルダム市民の生活2006CivilianLife
http://konotabi.com/photoalbum/NL_Amsterdam_peoplelife/urbanlife.htm
アムステルダム2006Amsterdam
http://konotabi.com/photoalbum/NL_Amsterdam/fotoandlinks.htm

リストのデス・マスク2008年06月30日 10時27分21秒

リストのデス・マスク
 作曲家で偉大なピアニストのリストはハンガリー出身である 彼に関するストーリーはいくらでもある 曰く「ピアノの詩人・ショパンとパリでつきあっていたとか、彼のピアノ技巧は超人的であったとか、彼のムスメ、コジマは一度指揮者フォン・ビュローと結婚したが別れてワーグナーと再婚したとか、彼の名前の音楽院があるとか、国立歌劇場入り口に全身像があるとか・・・・・書ききれないくらいである

 閑話休題、ブダペストに行ったときに「リスト記念館」に行った そこは世界遺産・アンドラーシ通りに面する古い建物の二階にあった 本当にこぢんまりした記念館で、とても大音楽家のものとは思えなかった それでも肖像画、ピアノ数台、自筆譜など一通りは揃っていた

 そういうコレクションで少し「ギョッ!」となる物がさり気なく置いてあった それが写真のデス・マスクである 当然「功なり名とげ」た後だから、老人の顔であった 私たちが小中学校時代に音楽室の壁に貼ってあったあの「ハンサムで長髪」の「若い顔」ではなかった

 その老人顔がやや薄暗い棚の下段に置いてあるのは、気持ちよくはない あのベートーヴェンや有名人の「死に顔」もたくさん見たけれど、なぜか日本人の感性には合わないような気がする やはり「狩猟民族と農耕民族」の差なのだろうか?

関連マイHP「このたびのたび」:
 フランツ・リスト記念博物館2005FranzLisztMemorialMuseum
http://konotabi.com/musicandauschwitz/artist/listzt/museum.htm
 ハンガリーの音楽家の墓2005HungarianGreatComposers'Tombs
http://konotabi.com/musicandauschwitz/artist/hungary/farkasreti.htm
 世界遺産・アンドラーシ通り界隈2005AndrassySt.&StateOpera
http://konotabi.com/photoalbum/hungaryandrassy/alongstreet.htm

24年ぶりに会った人2008年05月05日 08時23分34秒

 24年ぶりにある女性に会った 私がアフリカにいた頃、教えたことがある元「小4生」である その国はイスラム教社会、小さな日本人社会、外部との交流が殆ど無い狭い交友関係、ほとんど入ってこない日本語での情報のという事実は「特殊な社会」といわざるを得なかった

 そういう中で、父親の仕事の関係で「遠い異国の地」で暮らさざるを得なかった子供たちにとって、「日本人学校」はまさに「毎日行きたい場所」であったに違いない まず日本語が使えること、次に友人に会って話が出来ること、その中には「日本にいるおバアちゃんが送ってきてくれた少女マンガの交換」も含まれる 日本国内の学校と違って持ち物検査も制約も校則もなにもない「小社会」であった

 給食もない学校であるから、当然弁当である 一クラス3,4名から5,6名の小さな学年であるから、机は円形向かい合わせで食べる 中にはオカズにソーセージやハムが入っている これは当地ではスゴイことだ 

 イスラムでは豚は「忌み嫌われる動物」であるからポーク製品は売られていない 家族がパリなどヨーロッパに出張・旅行をして買ってきた「貴重品」である 「わあーいいんだ!欲しいなあ~」「ウンいいよ 昨日たくさん食べたから・・」こうしてオカズの交換が始まる

 そういう「小さな社会」であるが、まさに「手作りの学校」「兄弟のような友人関係」であり、それだけに密度が濃かった いくら仲良くなっても「友達の家に遊びに行く」こともあまりなく、仮に行くことになる場合も、親が送り迎えする それだけに学校にいる時間がいちばん楽しい時間なのであった

 話を戻そう 「小四生」の彼女はたくさんのことを調べてきて、授業中に活発に手を挙げた 教育熱心な母親が引っ越しのときに、日本から多くの教材を持参していた アラブ語の放送しかないテレビを見ることもなかった 塾もなかった 必然的に家で「お勉強」をすることになる クラス全員が皆そうするわけではなかったから、親の教育方針だったのかもしれない

 その「小四児童」も現在は35歳になった ポイントを押さえて明るくはきはき話をする姿を見て嬉しかったとともに、当時のことが走馬燈のように浮かんできた 彼女は今、某新聞で活躍している中堅ジャーナリストである そしてその日本人学校も今は存在しない

ドイツ・メルケル首相の「勇気ある発言」2008年03月25日 17時03分32秒

 世界のニューズウォッチャーの方にはすでに旧聞に属するかもしれないが、去る3月18日にドイツ首相として初めてイスラエルの国会で演説し、かつてナチが行った「ユダヤ人大虐殺」についての謝罪をした

 その要旨を少し長いが毎日新聞のHPから紹介する(以下引用)

【エルサレム前田英司】メルケル独首相は18日、イスラエル国会(クネセト)で演説し、ナチス時代のユダヤ人大虐殺(ホロコースト)について改めて謝罪した。また、イランの核開発問題やパレスチナ武装勢力のロケット弾攻撃にさらされるイスラエルの安全保障に強い理解を示し、ドイツがイスラエルに対する支援を続ける姿勢を強調した。

 メルケル首相は16日から18日までイスラエルを訪問。両政府の主要閣僚が一堂に会して初の政府間協議を開き、関係強化を確認したほか、外相会談や国防相会談なども並行して行い、中東和平やイラン核開発などについて協議した。パレスチナ自治区は訪問しなかった。

 メルケル首相は演説で、「ドイツ人はホロコーストを心から恥じている」と率直に語り、「犠牲になった方々、生き延びた人を助けてくれた方々すべてに頭を下げる」と謝罪した。
(ここまで引用:毎日新聞 2008年3月19日 東京夕刊)

 私はさらにその時の映像も見ていた これまでにもドイツ要人では、男性の二人の大統領が同様に謝罪した しかし一部の国会議員がドイツ語の演説に反発し退場している 今回は女性の首相としては初めてである 日本のマスコミ報道では「抗議の退席」は見えなかった

 メルケルはCDUのリーダーであるが、2005年の総選挙では当時の与党シュレーダーSPDに僅差で勝利した しかし単独では政権は成立しないため「緑の党」と連立協議したが不成立、結局はこのCDUとSPDの二党が「呉越同舟」大連立して政局は落ち着いた そのためメルケル内閣は<「仇敵」が内閣内に半数いる>という不思議な内閣になった

 ふつうなら「連立内閣」のリーダーの指導性は強くない 強いリーダーシップは取れない それでも彼女はむかしの「鉄の女」英・サッチャーに近い 米・露の指導者と会見し、今話題のチベット亡命政府のダライラマと昨秋ロンドンで公式会見し、「チベットの自治要求」に一定の理解・指示を示した 当然のことながら、このあと中国政府はこれには不快感を示したが・・

 さて話は戻る メルケルは演説中「パレスチナ武装勢力のロケット弾攻撃にさらされるイスラエルの安全保障に強い理解を示し、ドイツがイスラエルに対する支援を続ける姿勢」を強調した これは演説した場所<ユダヤの地>に対する配慮もあっただろう

 しかし「パレスティナ難民地区には行かなかった」・・とういうから、どう見ても「イスラエル側の味方」であるというのに等しい この結果、EUの中心国ドイツの「お墨付き」をもらったイスラエル軍の今後の行動が心配になってくる さらにパレスティナ側の先鋭急進派のテロも激化するかもしれない ドイツ側に引け目があるにしても、ある意味「罪作り」ではある

 それにしても、こういう「勇気ある発言」は時として、一国のリーダーのあり方に示唆を与えてくれる なぜか今の日本の某首相は「訪日予定の中国首相」に配慮してか、「ギョーザ事件」のきちっとした「詰めと解決」もできなかった 様々な国内事件、案件処理にも評論家のような「第三者的発言」を繰り返すだけで、理念も指導力も決断力も無い(ように見える) また党内政府内でも統率力が無く、無責任な週刊誌によると、現職大臣でさえもう「次の首相?」と仲良くしているという 
 
 こういう「外国にアピールも出来ない、国内でも指導力不在」の総理大臣を持たざるを得ない日本は不幸である 首相には理念がないのか、発言できない環境なのか、生来気が弱いのかよく分からない 政局はただ空転しているだけである 野党第一党の不可解な行動とも合わせて見ると、日本はとても「先進国・民主主義国」とは言えない感じがする

リンク:アウシュヴィッツ強制収容所
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/auschwitz/toppage.htm

ますます元気な高年層!負けました!2007年09月03日 23時08分27秒

 一昨日、ニュージーランドのスキー・ツアーから帰国した 私はこの4月から年金の一部を貰い始めた「高年・初老」のいわば「Gさん」だが、このツアーのメンバーがすごかった ほぼ半数近くが私より年長であったのだ

 自己紹介の時、私は「40歳からスキーを始めました・・」と言ったが、そんなのは大したことではなかった スキーを始めた年齢は、40数歳、60歳、65歳・・そういう人も何名も居たのだ

 夫婦参加のカップルに話を聞くと、北海道出身で奥様はかなり前に入院して大手術をしていた ご主人も遅れて胃ガンになり、胃の三分の二を失っていた それでもリハビリに専念して、山に登るようになり、山スキーにも情熱を傾ける人になっていた 私より十年ほど上のその二人が驚くほど軽々と上手に滑っていた しかも夫婦仲も良い 「割れ鍋にとじ蓋ですよ」とご主人は笑って言った

 他の方も年長で大元気である 滋賀県のやはり私より10年ほど年長の男性は単独参加で、関空から一緒だった 彼は山男で、すでに「日本二百名山」の百四十山を制覇しているとのこと 最愛の奥様をすでに失われ、気持ちを山に向けられたらしい スキーにもはまるようになったが、「スキーは奥が深いです」と仰った

 七十五歳の方と年下の二人連れは大学の先輩と後輩で、囲碁将棋のつながりで参加したそうだ その穏やかな語り口は「良い人生」をおくった人だと感じさせる 「スキーはまだ初心者・・」と謙遜されるが、海外スキーにまで挑戦される意欲は「素晴らしい」としかいうことは出来ない 「青春」とは年齢でなく、「心の持ち方」だと言うことが分かる

 こういう人生の諸先輩の中では、私はまだまだ「ヒヨコ」または「門前の小僧」である おかげで「当分の人生の目標」ができた この旅もまたまた有意義な旅であった

卒業してから38年、そして三十年?ぶりの3人同窓会2007年07月02日 13時10分03秒

 一昨日、泊まりがけの同窓会に行った 同窓会といってもたった3人、もちろん学校も同窓会組織とも無縁である そして3人が大学を卒業したのが昭和44年3月、そういう私たちは昭和21~22年生まれの団塊世代第一期生である

 卒業後3人はそれぞれ故郷に帰って同じ職種を選んだ 何年も経ってから大分県のK君から、「家を買った 愛媛のO君と来ないか?」と誘いがあった もちろん行かないわけがなかった K君は別府市内在住だったが、行ってみて驚いた 「風呂は24時間入れるから・・」という 温泉付きの建て売りだった 羨ましいやら驚くやらで、しばらくは堪能させてもらった

 あれからいつの間にか数十年が経った 私は海外勤務も経験し、後の二人は最後に「一国一城の主」にもなった その間年賀状や手紙は細々とながら続いていた 年賀状の下にはいつも「今年は会いたいですね」と書きあっていた それもいつの間にか「慣用接尾辞」のようになっていた

 昨年末から今年にかけて、マスコミも「2007年問題」とかで、技術の伝承が途絶えるとか、組織の再構成とか、高齢化社会が進むとか、生き甲斐のある老後、退職金の運用・・と喧しかった 私はすでに定年に8年も早くリタイアしていたので、関係ないことではあったが、「同級生たちがもうすぐ出てくるなあ」という認識はあった

 そういうなか、5月になって定年退職の挨拶状が数葉来た  その中にO君K君からの物があった 「どうしているかな?会いたいなあ」と思った矢先、K君から電話があった 「どうしてる 一回会わないか?O君も入れて・・」もちろん異存はなかった それどころかこちらから電話しようかとさえ思っていたのだ

 話はすぐに進展し、再会が決まった 私とK君は今や完全フリーだが、O君は嘱託のような一種の名誉職で再雇用され、しかも自家田圃の田植えがあった そのため、「繁忙期後に実施」ということでここまで延びていた 場所は3人の中間地点でO君の今治市になった

 実は私には不安があった もう30年も会ってはいない 子育てや仕事上のいろいろ、長い年月云々で、すでに学生時代のようなお互いに「すーと入っていける」感じではないような気がしていた 「会ったら何から話そうか?」「どんな話題が良いのだろうか?」などを案じ、「昭和22年生まれ」という本を持参することにした  

 JR今治駅にはO君が迎えに来てくれた K君は自家用車に乗って九州からフェリーで駆けつけた それぞれ顔にしわはでき、カミや頭も年輪を感じさせたが、一端話し出すとタイムマシーンを回したように、昔の感覚、昔の話し方で話題が進んでいった 案ずるよりも産むが安しであった そこには仕事場所でのような一種の気配りや遠慮や気を回すというような物はいっさい要らなかった

 こうして話に花が咲き、風呂も忘れてホテルで夜中まで話し込み、旧交を温めたのは言うまでもない そして、次回の「同窓会」は大学と我々の下宿のある町に決まった 短いけれど長い,そして長いけれど短い二日間であった

温故知新:儒学者・山田方谷に学ぶ2007年03月19日 14時58分53秒

 先日、写真を撮りに岡山県高梁市を訪ねた メインは国重文の備中松山城、現存する天守閣を持つ全国12城の一つで、最高海抜430mの「日本三山城」の一つでもある この城への登り道の途中に「山田方谷・私塾跡」という石碑があった

備中高梁あれこれ・方谷私塾跡写真:
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/BichuTakahashi/miscellaneous.htm

松山城写真:http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/BiMatsuyamaJo/Gagyuzan.htm

 江戸後期1805年ここの城下で生まれた方谷は、朱子学を学んだ後、21歳で藩主板倉氏より奨学金をもらう英才であった のちに彼は藩の郡奉行や元締や執政などの要職を歴任する ところが儒学者だった彼が偉大なのは、その政治手法と内容である 

 藩主から信頼の厚かった方谷は、借金だらけだった藩財政を立て直す そのときの手法が詳しく下のサイトに載っている
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%96%B9%E8%B0%B7

 お読みになれば分かるが、すばらしい政治姿勢・手法である 自分の身の回りもきれいにして毅然と財政改革に取り組んだのである 昨今のある国の首相やある大臣の????が付く発言や「せこい手法」は真っ赤になる内容である 現代の日本には「平成の方谷」は居ないのだろうか?

中高年ばかりのイタリアのスキー場2007年02月09日 19時26分49秒

イタリアアルプス・スキー場のレストラン
 写真は北イタリアのアルプスにあるコルティナ・ダンペッツォのスキー場である ここはヨーロッパでも有数の高級レゾートといわれる その規模は日本の普通のスキー場が100くらい集まっても、この地域のスキー場には歯が立たない さらに山も2000-3000m級でしかも形がユニークで見飽きない そういう素晴らしい場所であるが、もっと日本と違うことがある

 スキー場の客の大半は中高年であり、引退したような老夫婦が多い 女性の中にはなんと毛皮を着て滑っている者さえいる 日本やカナダに圧倒的に多い若いフリーター・学生風のスノー・ボーダーの姿はごくごく希である おかげで私のようなスキーヤーは全くストレスなく滑ることが出来る またコースの割に人が少ないので、怖い思いをすることがない

 さて、写真の説明になる ここはスキー場の中の山小屋風レストランである 食べている人は案の定、中高年ばかりである しかもワインをゆっくり飲みながら大きな皿をのんびり平らげている 食べた後もデザートをとり、コーヒーなどをゆっくり飲む その後もそのままおしゃべりするか、雄大な景色を観賞している 近くに置いてあるデッキチェアで昼寝する中高年も多くいる

 私たちのように日本からスキーツアーで来た者たちは、食事が済むと急いで滑り始めるが、彼らのペースはまるで違うのである まるで今まで急ぎながら働いてきた分を取り戻すかのようにのんびりのんびりしているのだ これが日本の退職者ならどうだろう? きっと一日中何もしないでじっとしているのが苦手ではないだろうか?または夫婦でゆっくりワインを飲みながら、お話するのが出来ないかも知れない

 「日本人の年収はアメリカを追い越した」といわれたのはずっと以前のことだ だから日本人の生活は「世界レベル」かと言われると、どうも疑問だ 私もアメリカのリタイアした老夫婦やオーストラリアの退職者の家に「ホームステイ」したことがあるが、庭や家の大きさがまったく違う ドイツの中流家庭の庭には当たり前にキャンピングカーが置いてあった 夏は犬まで連れて地中海まで家族で行くのだそうだ フランス人の「ヴァカンス」は一ヶ月以上あるという オランダ人は倹約で有名だが、家族の絆はたいへん強固である

 物の量とか外見だけ先進国をまねても、日本は先進国にはなれない もっと心のあり方や家族のあり方や生活の質や老後のあり方を考えてゆかないといけないのではないだろうか もうそういう時期に来ている

サイト・オーナーからごあいさつ2006年09月02日 16時45分08秒

アトラス山脈の春(アルジェリア)
   <新ブログ開設のご挨拶> 
 みなさん、こんにちわ ようこそこのページにいらっしゃいました。
わたしが、当ブログの総支配人、”Goforit_minder”です。「旅大好き人間」です。 実は私はすでにHP「このたびのたび」を持っています。できてから5年9ヶ月になろうとしています。外国生活(仕事)時の旅行や個人の旅行写真を取りためて、それを元に文をつけたりしています。このHPはそれで何とかアクセスも頂いているのですが、その性質上「旅の裏話、苦労話」などは書きづらく、またアップするのにスピードを要するものは扱いにくいと思っていました。

 それでこのたび、「ホームページ付属ブログ」として立ち上げることになりました。これからは「旅のエピソード・こぼれ話・裏話・役立ち情報」などを短く読みやすい話として載せようと思っています。 またそれらに関して、ご質問等あれば「コメント」をお寄せください。善意のものであれば、できるだけお答えしてゆこうと思っています。(なお商業サイト・メールはお受けしておりません。)

 とりあえず、私のHPを見ていただければ、どういう種類・性格のHPか分かっていただけると思っています。左上のバートップにURLがありますので、クリックしてください。それでは皆様、今後ともよろしくお願いします。
                           
            当ブログ総支配人、”Goforit_minder”