変わりつつあるニセコ・スキーエリア2014年02月24日 23時57分28秒

ニセコスキー場
 写真は北海道のニセコスキー場のニセコヴィレッジ(旧東山)コースです 毎年のように滑りに来る「ニセコ」もかれこれ二十数年になります その間に色んなことが変わりました

 最初の頃は同じヒラフコースでも場所がはずれると、リフトが別会社の管理になり別のリフト券が必要でした 今はそういうことはありませんし、「全山券」であればすべてのコースが滑れます

 当時はアンヌプリコース下に元気だった日航のホテルがありました 隣の東山コース(現ニセコヴィレッジ・コース)はこれまた元気だったプリンスホテルの支配下にあり、本館と新館がありました 現在は両方ともそれぞれ明治海運グループとヒルトンホテルグループの経営になっています

 また最初はなかった「花園エリア」も新しくでき、ボーダーを中心に若い人たちが滑っています ここも現在はオーナーが香港資本のレゾートになっています 館内のアナウンスも中国語、英語が入っています

 最初の頃は老舗ヒラフコース下付近には多くの民宿風山荘や個人経営のロッジがありました この頃は宿の予約を取るのも大変でした のちにペンションも増えました ところが、スキーブームが終わると「閑古鳥」が鳴き始め、個人経営の宿は経営を止め、国内大資本やオーストラリアなどの資本に譲渡するようになりました 私が「愛用」した山荘も消滅しました

 客もオーストラリア人がゲレンデに溢れ出しました レストランやスキー場内のレストハウスも日本語に英語を併記するようになりました やがて韓国人や中国人も増えだしアジア人も多くなりました

 今はやはりオーストラリア人が個人、団体も含めて重要な地位を占めていますが、昨今は国際情勢の変化で中国本土人、韓国人が大幅に少なくなった感じがします 反対に香港人、台湾人、そして東南アジアの人がたくさんいるような気がします さらに時々ロシア語が聞こえてきます

 以前、あるロシア人に訊いたことがあります・・・・ 
「ロシアも今は冬なのになぜわざわざ日本に来るのか?」
 「私はシベリアだがスキー場が小さいし良いコースがないのだ」
「カムチャツカ半島にスキー場があると聞いたが・・?」
 「あそこは寒くて氷ばかりでスキーしても楽しくないのだ」
「日本に来るには時間もお金もかかるが・・?」
 「それでもニセコは気に入っている 良い雪で滑りたい 食べ物も旨い」
 ・・・・こういうお話でした
  
 平日のニセコは外国人ばかりです 彼らは本国でも箸は使っているらしく、「玉子丼」や「月見うどん」や「カレーライス」をすべて箸で上手に食べています フォークやスプーンではありません 日本食は「ヘルシーフード」でも知られ、外国人にも好評です

 ここで話は二週間前に行った信州の野沢温泉スキー場に変わります
リフトの上で若いオーストラリア人カップルと話しました・・・・
「なぜ日本でいちばん有名なスキー場に行かなかったの?」
 「初めて日本に来たが、たまたま本に載っていたのでここに来た」
「近くに白馬八方と志賀高原というメジャーなスキー場がある 次はそこが良いよ」
 「知らなかった いろいろ情報有り難う」
「初めての日本の感想はどうか?」
 「雪も良いし、食べ物も旨い 日本人も親切だ 日本が好きだ」
「それを聞いて嬉しい 私も貴国に何度も行ったが大好きだ・・」

 外国人たちはおしなべて「ニセコの雪が良い」「日本食は美味しい」「日本人は親切」「温泉が好きになった」・・と褒めるのです お陰で地元も潤うし、日本に外貨も入ってきます 彼らは大切なお客様です きっとリピーターになるし、次は家族や友人も連れてくるでしょう

 もともと自己宣伝が下手で苦手な日本(人)ですが、これは良い方向に向かいそうです いずれ「東京オリンピック」が開かれます 今後、英語表記や他言語表記を増やし、交通機関の連携をすすめ、宿泊施設、社会資本を充実させてゆくことは肝要です

 また各国語による案内図、マップ、観光ガイドなども大量に必要でしょう さらに外国語を話す人が増えれば言うことはないでしょう 最後は人間同士の交流ですから・・・・

 →内部リンク:「ニセコ・ユナイテッド・スキーエリア」
     http://konotabi.com/photo2014/JPNNisekoSki/top.htm

アウシュヴィッツ収容所の毒ガス缶2013年09月10日 22時52分38秒

アウシュヴィッツ収容所の毒ガス、ツィクロンB
 このところマスコミでシリア政府軍が使ったとされる毒ガスの報道が絶えない もし事実なら国際法違反だけでなく、人道に対する罪といわざるを得ない 大変残念なことである しかもそれが自国民の虐殺に使われたのだから不幸この上ない

 類似の事件はイラクのフセイン大統領派が、国内のクルド人に対して毒ガスを使用し虐殺したことがある また国内ではあのオームがサリンを使った無差別殺人がよく知られる また戦争中に各国が盛んに毒ガスを開発し、第一次大戦以来多く使われた 旧日本軍もこの中に入る またアメリカがヴェトナム戦争で使用した「枯れ葉剤」も広い意味でこの分類に属すると言える

 毒ガスはもともとは農業など害虫駆除を目的に使われたガスであり、設備投資も簡単で、他の兵器とくらべて極めて安価に製造できるという 分かりやすく言えば、肥料工場でも毒ガスを作ることができるという

 従ってアメリカ、ロシア、中国などといった軍事大国でなくても、製造保有できるという特徴がある 軍事予算の少ない小国だけでなく、アルカイダなどテロリストも使えるのである 実はアメリカが恐れているのは「シリアの国民の生命」などではなく、「自国民に対して使われる」ことではないのだろうか?

 さて写真であるが、筆者がかなり前に訪れたポーランドの「アウシュヴィッツ収容所」(現国立博物館)に展示されていた「ツィクロンB」という青酸系毒ガス缶(使用済み)を写したものである 収容所が解放後、連合軍が発見したものだという 山のようにあるが実はほんの一部らしい

 万人の知るあの「ナチスによる大虐殺」もほとんどがこのガスによる まさに「害虫退治」のためのガスが、ナチスによってユダヤ人のみならず同性愛者、ジプシー、社会主義者、反体制運動家たちを「害虫」として殺した道具であった

 通常兵器も恐ろしいが、核兵器やこの毒ガスは更に一層恐ろしい 単にアメリカだけではなく、国連が各国の利害を超えて主導権を持って一括管理、さらに廃止に向かって活動をして欲しいものである

   →内部リンク:「アウシュヴィッツ強制収容所」
    http://konotabi.com/auschwitz/toppage.htm

「オール電化住宅」推進社会の脆弱さ2011年03月23日 19時18分50秒

 本日の読売オンライン(ネット)に以下の記事が出ていた

<オール電化住宅、普及裏目…原発2基分の消費増
東京電力が、給湯や調理などすべてを電気でまかなう「オール電化住宅」の普及を推進してきたことが、今回の電力不足に拍車をかけている。この3年間で戸数が倍増し、最大で原子力発電プラント2基分にあたる約200万キロ・ワット分の電力消費能力が増えた可能性がある。東電は、東日本巨大地震後、計画停電をせざるをえない状態で、オール電化の普及策は抜本的な見直しを迫られている。・・・以下略>

 国策に沿って「無公害・エコ・省資源・・」推進のため<オール電化>を押し進めた東電であるが、その増大する電力消費をバックアップしたのが<原発>であった これは原発依存度の低い他の電力会社も同様である

 いかに原発事故の原因が大地震であったとしても、またその後の相次ぐ津波のよって追い打ちをかけられたとしても、すべての非常時対策・補助電源・各種安全策等が一瞬にして「無用の長物」になってしまう状態はかなり危ない 原発が実はここまで「綱渡り」で運用されていた-と言う事実が今となって露呈したのだから

 そういう意味では、「未来の日本は原発を基盤とした電力による<オール電化>社会」の幻想はまさに崩壊したと言えよう かといって今すぐ代替エネルギーがすぐに浮上するわけではない 「自然エネルギーの活用」も合い言葉ほどうまくはいっていないが、やはりロングスパンでは開発しなければならない

 今はやはり電気という単独のライフラインに依存するのではなく、炭化水素系の都市ガス、プロパンガスにもやはり引き続き頼らざるを得ない 「計画停電」では「オール電化の家」はやはりダメージが大きかったのだ 今後電力料金は必然的に上昇してゆくだろうが、私たちも「痛み分け」もしなければならないだろう

 しかしいずれにしても今回の事故が世界各国に与えたインパクトは大変大きい 「チェルノブイリ」の放射能拡散の結果ドイツでは「核の恐怖」が喧伝されて、今ではすべての原発が停止している 石油危機であってもすぐにドイツで原発が再開されることはないだろう

 他のアメリカやフランス、イギリスでも核に対する様々な意見が出てきている 「世界でただ一つ核の被害を受けた国」と言ってきた日本が、再びその核(放射能)の恐ろしさを世界に伝えざるを得ない現状はどう考えてもつらいものがある 今こそ国民的な問題として真剣に考えるしかない

日本名門スキー場の最近の動向2010年02月10日 22時15分05秒

白馬・八方スキー場の最大難度の黒菱コース
 今年になって日本を代表するスキー場で滑ってきた もちろん人によって評価は異なるだろうが、筆者は「ベスト3」のうちの2つは長野県・白馬・八方スキー場と北海道・ニセコスキー場だと思っている

 筆者は西日本在住なので、上信越・東北周辺スキー場はまったく知らない 従って、残りのひとつは断定できない それでも先述の2つはまず確定だろう それはそれらのスキー場の特性から来ている

 話は遡るが、筆者がスキーを始めたのが二十数年前、つまり「スキーブーム」の頃だった もちろん中年になって始め、先生もいなかったのだから、今でも決して上手くはない 腕前はまあ中級くらいだと思っている 
 
 その頃地元で大山とか滑ってきて数年後、西日本の湿った重い雪に飽きて北海道に行った 「札幌ステイ」で札幌国際やテイネなどで滑った そこで出会った地元スキーヤーに「北海道人が本気で滑る時はどこに行くんですか?」と訊いた その答えが「ニセコ」だった

 翌年私たちはニセコで滑っていた そこは雪は良い、スケールが大きい、景色(蝦夷富士)がよい、上部が森林限界上ですっきりしていた スキー場としては大満足だったが、リフト待ちの場所に漂うタバコの煙が嫌だった

 そこで翌年、タバコの煙に厳しいカナダに行った 日本では溜まるストレスは全くなかった レストランも「完全分煙」されていた 嬉しかった 日本よりもずっと快適環境であった しばらくは「カナダ通い」が続いた

 前置きが長くなりすぎた 話を日本に戻そう ニセコはもう十年近く前にオーストラリア人が増加したことは、このブログやマイHPでも書いた ここ数年はオーストラリア人がやや減って、アジア系が増えた それはアジアの経済発展と関係している

 今年以前に泊まったアンヌプリ地区のペンションに泊まった その下に新しく豪華な別荘が建っていた 訊くと中国人弁護士の物だという 数千万円以上一億円未満だろうという 中国も急速な経済発展で、アメリカ型の「訴訟社会」になったのだろうか

 ゲレンデやロッジにも中国語を話す人が多い 時々韓国語も聞こえてくる ただここのリピーターに訊くと、「中国人のマナーは最低」と言い切った かなり昔日本人もマナーが悪くて、ヨーロッパで「総好かん」を食らっていた時代があった それはその国民の「民度」と関係している

 さて、もっとも新しいニセコ・「花園ゲレンデ」は東急グループから買収したオーストラリア資本が、すでに中国系資本に売り渡されていた それでも今回そこのロッジに行ってみると、客の90%はまだ白人だった 東山地区の「旧プリンス・ホテル旧館」も数年前に中国資本に買収されている

 次に白馬・八方スキー場だが、ここはかなりニセコとは様子が異なっていた もともと外国人はニセコより少なかった それでも昨年くらいまでは韓国人が多く、中国人もいた 今年は外国人が減っていた 珍しいことにロシア人がけっこういたのである 彼らのロシア語はゴンドラ・キャビン内で響き渡る また彼らのマナーは白人中最低である

 では白馬・八方ではどんな人たちが多いのか? それは日本人の中高年組またはその夫婦づれである 彼らを見ると、定年退職したような人たちが多い もっと若い時のスキーブームでスキーに熱中し、子育てが済んで時間が出来ると、夏は登山、冬はスキーという感じである 彼らはがむしゃらには滑らない あくまでも「マイペース」である

 しかしやはり若い人も多い 彼らはほとんどが中上級者である また他のスキー場よりボーダーがかなり少ない ここのスキーヤーにはボーゲンなどの初級者はまずいない 流石、長野オリンピックの男女滑降コースを持つ名門だけある 上写真にある「黒菱コース」は通常急斜面と巨大なコブで、全国の「足自慢」が集うのである

 それでも平日はゲレンデは「貸し切り状態」である やはり確実にブームは去っていた これからはアジアなどの外国に宣伝すると同時に、温泉旅館・スキー場・道の駅・地場産業・登山団体・地方自治体・観光協会などが有機的に連携して発展するしかないようである

信濃路でたくさん見かける道祖神2010年02月04日 18時24分02秒

信州白馬八方の道祖神
 写真は道脇の道祖神(どうそしん、どうそじん)である 特に甲信越や関東の方々にはふつうに見かける「路傍の神」らしい しかし「神話のふるさと・出雲」では少ない-とウィキペディアは言う 基本的には村の守り神、子孫繁栄、旅・交通安全などを祈願する神らしい

 日本人はいろいろな神々を信仰してきた 太古からの自然崇拝、八百万の神、聖徳太子頃以後の仏教、そして儒教、中世の陰陽道、また陰陽石信仰や神仏が合体した形の宗教、山岳宗教、また変形、分化した形の神道、ザビエル以降入ってきたカトリック、明治期から広まったプロテスタント各派のキリスト教、そして近代・現代の新興宗教などなど多彩な宗教世界であった 

 そういう日本でも、地方を中心に生活のなかに生きているのが、この「道祖神」であり、「庚申(こうしん)塚」である 庚申塚は中国・道教の流れであるという 忙しい人たちが気づかず通り過ぎるような上の「路傍の神」の写真を見てみよう

 道祖神はむかしから男女一対の像が多いという また「道祖」の字を彫ってある物もあるが、これらの字はそれぞれ「男女性器」を表すという インドの古代の神も「男女の交接」そのものを表す像で多く残されている 古代では何処もこれらは豊穣、豊饒を願って作られたと解釈されている そしてその根元は男女(とその性)なのである

 写真をもう一度見ると、面白いことが分かる 石像まえに備えられている多くの木の枝である 必ず三つ又の枝であって、さらに真ん中に男性器を表す小さな突起か女性器を表す縦線があるのだ これらは決して「卑猥」ではなく純粋に「信仰」なのである

 そういう物が小さな集落に一つ以上はある そういう道祖神の前をランドセルを付けた小学生や鞄を持った生徒たちが通ってゆく そういうのが日常の風景なのである

参考内部リンク:信濃国・千国街道・塩の道2009(長野県)
http://konotabi.com/photoalbum/2009JPNHakubaShio/top.htm

クイーンズタウンの戦争犠牲者慰霊碑2009年09月12日 19時24分50秒

ニュージランド、クイーンズタウンの慰霊碑
 ニュージランド南島の南部アルプスにあるクイーンズタウンは素敵な町である 名前の通り、「女王様も好きになるだろう町」なのだ 氷河は湖やアルプス風の山並みを作った 何度来てもまた来たくなる町なのだ それに中心地は「歩ける範囲」なのが良い

 私が毎年泊まるホテルは、「・・・・レイクサイド」の名のとおり湖畔にある 朝な夕なに湖畔を歩くと、海でもないのにカモメや水鳥が集い姦しい 人々もパンくずを持ってどこからともなく湖畔に集まる 鳥たちはあまり人間を恐れない あまり虐められたことがないのだろう

 そういう湖畔には遊歩道がある 毎年歩いていた道だが、今年はふとアーチ(小さな門)のレリーフの字に目がとまった それにはこう書いてあった 「1914-1918 SERVICE ABOVE SELF」、そして門の左右には「戦没者の氏名」が彫られてあった 要するに一般で言う「戦没記念碑」である

 第一次大戦当時、英連邦に属していた自治領ニュージーランドとオーストラリアは、初めての対外戦争として三国協商側 に参戦した 多くの戦闘のなかでドイツに支援されたオスマン・トルコとの「ガリポリの戦い」はあまりにも有名である 結論から言うと、死者数は同等であったが、イギリス・ニュージーランド・フランス・オーストラリア側の大敗北であった かくして連合軍はトルコから撤退する

 この時参加した二つの自治領軍はアンザック(ANZAC)軍と呼ばれたが、大半は志願兵(volunteer)であった この戦いでの戦死者はオスマン軍86000余にたいして、イギリス軍21000余、フランス軍10000、豪州軍8700でニュージーランド軍は2700であった ボーア戦争以外初の対外戦争であった両国では従軍記者により戦況が詳細に報道され、大苦戦の様子も逐一伝えられたため、両国民に衝撃を与えたという 現在「ガリポリ上陸の日」を両国とも「アンザック・デー」として祝日としている またこの戦いは映画にもなった

 話を戻そう 上記の碑(門)はその戦いの戦死者を慰霊するために作られた物であろう 第一次大戦も同盟・協商両側とも「完全な正義の戦い」とはいえないが、徴兵でもない志願兵が多数死んでも、「国に為に尽くした」として町中の公園に出身者を慰霊しているだ

 翻ってわが国では、「国家」が国家護持のため死んだ者を皇居近くのある場所に弔っている 国のために命を捧げた者を鎮魂するのは当然だが、あの場所には「国家に楯突いた」西南戦争の兵たちは祀られていないという そうすると明治維新に「日本のためにおおいに働いた」こともある偉大な西郷隆盛は祀られていないのであろうか 何かおかしい

そう考えてみると、慰霊碑、慰霊場所は仰々しい建物に祀るより、出身地の町中にさりげなく置かれる方がよい 後世の市民生活の場所にあることにより、彼らの行いと記憶は永久に生き続ける そこには特定の宗教もたいそうな儀式もない 彼らは市民と一緒に生きている 目にする人々の「愛国心」も増すだろう 西洋諸国を旅すると同様な慰霊碑を目にすることが多い(もちろん聖堂・教会内にも慰霊碑もメモリアルはあるが・・)

 先日、高野山の奥の院に行った 参道両側には大名などの立派な墓が並んでいた それらの中に島津氏による「(慶長の役)高麗陣敵味方戦死者供養碑」というのがあった 日本に攻め入って日本人を殺した敵兵も併せて祀る-というのが「日本武士道の鑑」といわれているという 同様な物が博多湾岸にあった 「蒙古兵の首塚」といわれる物である 「死んでしまえば敵も味方も同じ」という発想である そういう意味では「敵ながら天晴れ」という日本の「武士道」の伝統も明治以後は衰退したということであろうか
 
参考文献:「ガリポリの戦い」(Wikipedia)

「国際的」ニセコスキー場の最近事情2007年01月24日 17時07分46秒

ニセコスキー場
北海道最大規模、いや日本有数といってよいニセコスキー場は主に4つのスキー場からなる複合体である 筆者が齢四十でスキーを始めた「スキーブーム」のころは、3つしかエリアが無く、しかも、その3つのリフト券はそれぞれ別で「相互乗り入れ」はできなかった さらに中心的なヒラフ地区では小さな谷を境にリフト券が違っていた つまり規模は大きいが、スキーヤーからいうと使いにくいスキー場ではあった それでも自然が雄大で、雪質も比較的良いので通っていた

最近は事情が全く異なってきた それについては過年すでにHPの方に書いた
「ニセコスキー場・昨今」
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/niceshortstory/story13/nisekoskiarea.htm

毎年一回は訪れるスキー場ではあるが、やはり少しずつ様子が変わってきた 先述のリフト券でいうと、「全山共通リフト券」ができて相互乗り入れができるようになったことはもちろん、上の記事で書いたように外国人が極端に増えたことである そのなかでいちばん増えたのはオーストラリア人、次に韓国人、中国人(香港人)、台湾人であり、たまにアメリカ人がいたりする

その理由はいくつか考えられる 
1オーストラリア資本がスキー場の一つである「花園エリア」を買い、彼ら用のホテル・ロッジなども充実したこと
2オーストラリア経済が好調で、彼らの年収が増えた上、対円レートが極端に良くなったこと(安く日本に旅行できる)
3オーストラリアの季節は日本と逆で、彼らには「夏にスキーができる」こと
4オーストラリア側のスキー・ツアーが多くでき、宣伝が行き渡ったこと 最近は家族連れや幼児帯同の若夫婦が増えた
5ニセコの雪質の良さが口コミで喧伝されたこと
6日本側について言えば、スキー場のロッジやレストランなどで英語表記の対応が十分できるようになったこと(一部韓国語・中国語表記もできた)
7同様に日本側のアコモデーション(宿)の一部にホームページ内に英語で海外から申し込めるページができたこと(一人旅の若者はこれを利用している)
8他のアジアの国では工業生産が向上し、経済的に海外旅行できる層が増加したこと
9それぞれの国からの札幌・新千歳空港への直行便が増え、アクセスが向上したこと

さて今年は一段と外国人、とくに白人が増えていた 昼過ぎのスキー場ロッジはまるで海外のスキー場である 数少ない日本人も肩身が狭そうにボソボソと食事をしている こうなると「数は力」である 大きな声の英語が飛び交う ほんとに国際的なスキー場になった

ここまでは良いのだが、いくつかの問題も見えてくるようになった 彼らは家族又は団体でやってくるので、「彼らだけの世界」があって日本人を含む他の人たちとは会話もしない つまり「ツアーで外国を旅する日本人たち」と全く変わらないのである 外国を旅することはその自然だけでなくその人々と話をする(交流する)ことも大切なことなのだ それと同時に英語しか使おうとしない バスの運転手にも窓口の女性にも英語だけで会話しようとする 

「アメリカ人は世界でいちばん外国語収得が苦手な国民だ」と以前から言われる それは世界中で英語が通用するからである オーストラリア人にもその傾向が見える もちろん日本語は独特な言葉だから、なかなか難しいだろう それでも英語だけ使って、相手の日本人に目を白黒させるのも何か変である また自分たちのやり方を周りの無関係な日本人に「強要」するのも奇異だ

それはともかく、リフトで一緒になったオーストラリアのボーダーの若者との話である 彼は「シドニーから来た」と言った 驚いたことに、かれはシドニーから直接来たのではなかった 「大阪へ来て、それから京都の寺を見た」と言った 印象は?と聞くと、「雰囲気がすばらしい 歴史を感じる・・」という わたしは白人の若いボーダーがまず京都の寺を訪れてから北海道に来たことに驚いた ただ滑るだけでなく、他の目的ももって日本に来ている

わたしがその日のスキーから宿に帰っているとき、一人の白人ボーダーが荷物をいっぱい持って道路上で立ち往生していた 「ユースホステルを探している」という 看板を見るとわたしが行く方向である 「大丈夫 一緒に行くよ」と一緒に歩き出した 彼はアメリカ人でカリフォルニアから来たという 「アメリカにはたくさんすばらしいスキー場があるのに・・、カリフォルニアだったら、レイク・タホがあるだろう?」というと、「ここはまた別の魅力があるから・・」という それに日本にも興味があるらしい 金のない若者はけっこうYHを利用する 

このように日本のスキー場に来る外国人(とくに若者)はスキー・ボード以外の目的ももっているのが傾向となっている 帰宅後テレビを見ていると、秋葉原を取材したコーナーがあった オーストラリア人やカナダ人、アメリカ人も多かった 彼らは「北海道で滑ってから東京に来た」と言った なんでも、その国では高価で入手困難なゲームソフトを買いに来たらしい 「秋葉原は安い」と言いながら、一人で同じソフトを十本も買っていた やはり旅行パターンの「多様化」が進んでいたのだ

ラクダ警官と騎馬警官2006年10月27日 15時49分45秒

エジプト・ギザのラクダ警官
 上の写真は、エジプト・ギザのラクダ警官である ピラミッド近辺の交通整理をしていたが、なかなか良いものである この場所には無骨なパトカーよりよく似合う もっと欲を言えば、映画「ベン・ハー」に出てきた戦車や、映画「十戒」にでてきたエジプト軍の二輪戦車に乗った警官の方がもっとぴったりする どうせこういう場所では、スピード違反の車の追跡はないからである 観光客も喜んで写真を撮ってくれる

 こういう類の警官、たとえば「騎馬警官」などは、先進国でもよく眼にする カナダの諸都市やワシントンDCやニューヨーク、パリや、ローマでも見かけた 彼らの制服がまたカッコイイのだ それに乗っているのが、ハンサムな長身の警官がなぜか多い 若い女性の中には、その姿に一目惚れしてしまう女性もいるかもしれない それでいて警備が手薄になる訳ではない

 日本の警察官の制服はなぜか野暮ったい デザインなのか彼らの体型なのかは分からない いっそのこと、首都東京の銀座や新宿、六本木や、大使館の多い港区ではこういう騎馬警官を増やしたらどうか? 警察に対する市民の親近感も増すと思われるが・・ 

 そして北海道の札幌では、「道産子馬警官」や「日高のサラブレッド馬警官」が札幌ドームの日ハム戦を警備してみたら如何? また、熊本県警の「阿蘇の放牧馬警官」、宮崎の「都井岬野生馬警官」もやってみたら、人気が出るかも知れない 宮崎などはむかし宮崎交通が椰子やシュロをいっぱい海岸線に植え「南国」を売り物にして、「新婚旅行のメッカ」にしたことがあるくらいだから・・

オランダの道路・交通事情と人々の生活(2)2006年10月11日 17時31分23秒

オランダの自動車道
 オランダの町中では、ぶっ飛ばしている車を見ることは殆ど無い。それどころか、おとなしくマナーが良い車が多い。歩行者はけっこう横断歩道以外でも渡っている。車はクラクションを鳴らすでもなく、スピードを落とす。だから、横断歩道を渡りかけている人がいると、問題なくすっと止まる。日本のように、横断者の脇を「プー」と鳴らしながら、脇を走り抜けることはない。日本では、横断歩道はあって無いに等しい。「先進国」では日本は悪い方だ。

 また、「この国は自転車が多い」と前に書いたが、その自転車もマナーが良い。おばさんといえる中年女性が、右左折するときにちゃんと律儀に手信号をしている。女学生も同様だ。日本では、学校の「交通安全」の時間には、全員がきちんと手信号はするが、ふつうの道路でしている生徒を見ることはまれである。いわんや、大人においておや-である。しかし、この国の自転車乗りはすごい。公式の「自転車専用道」が、ほとんどの道にもあるのもすごいが・・。

 また、オランダを車で走ると、道路整備がすばらしいことがよく分かる。中世からあるような歴史のある町の旧市街は、ほとんどが石畳で雨の日は滑りやすく、また道幅が極端に狭い。だから、一方通行が多く、「目的の教会は遠くから見えているのに、なかなか近づけない」-というようなもどかしさがある。この事情はベルギー、ルクセンブルグでも似たようなものだ。

 しかしいったんアムステルダムの環状道路や郊外にでると、幹線は最低でも片側二車線、大都市近郊では5車線はある。土地が狭いはずのこの国で、道路占有部分のスペースにゆとりがある。さらに自動車道の出入り口などアクセス部分はスムーズで、道路標識も完備している。

 ただ問題は、日本のように、標識が「英語併記」でないことが多いので、意味不明なのが外国人には不便である。これは改善の要があるだろう。またこの国は基本的には「有料道路」がない。ドイツのアウトバーンと同じで、「社会資本」の充実がすばらしい。それ比べて、日本の道路は優良でしかも高い。

 このように、道路環境が充実したこの国であるが、いったん「自動車道」に出たドライヴァーたちのマナーは非常に悪い。120kmの道で、半数以上は140~160km位は出している。流れが極端に速い。また日本と同様、車線変更ではウィンカーは出さない。まだこれは良い方だ。車線を変えるとき、後ろから来ている車の直前にウィンカーなしで割り込む。私が100km以上で追い越し車線を走っていたとき、目の前に急に車が割り込んだ。危険なのでパッシングライトをつけたら、いきなり急ブレーキを踏んだ。追突しそうなので、私も急ブレーキを踏んだ。何とか回避できた。どうもわざとやったらしい。後で追い越しざまに見ると、案の定若い男だった。

 また片側5車線ある高速道路で、いちばん左端からウィンカーを出さずに、一直線に斜めに45度で右端の車線まで突っ切った車を、何回も見た。目の前でそれをやられると、びっくりする。全体的には運転のうまい車が多いのだが、「運転は荒い」といわざるを得ない。日本でもそういう車はたまにいるが、大体いかにも「あぶないくるま・あぶないひと」のことが多い。オランダ人は「自動車専用道」に出ると、「人格が変わる」感じがする。日本同様、国が狭く人口密度が高いから、ストレスの発散を運転で晴らすのだろうか?それとも他に原因が・・?

オランダの道路・交通事情と人々の生活(1)2006年10月05日 17時37分41秒

アムステルダムの歩道
 上はオランダの首都、アムステルダムの古い地区である。取り立ててどうということもない写真のようだが、日本と違う所がいくつかある。もちろん「車が右側通行」とか言うことではない。道路造りのコンセプトの話である。

 写真の左半分を見ていただきたい。左端が歩行者専用、その右の色が濃い部分が自転車道、たまにバイクが走っていたりする。その右はトラックが荷物を下ろしたり、人が乗降する場所だ。

 さらに外の灰色のえぐれた部分はパーキングで、ここの場合は無料。もっと町の中心部では、駐車券を自動販売機で買い、車の窓に張っておく。駐車部分のしきり方が、日本とは違って数台ずつになっている。ここの人の駐車技術は絶品で、車長+60cmあればハンドルを切り返しながら何とか入れてしまう。これは38年運転している私にもできない。

 このように、日本で言う「歩道部分」が縁石つきではっきり色分けし、なおかつスペースにゆとりがある。日本ではそれが一緒だから、「メールを打ちながら片手でハンドルを握る」若者が、老人にぶつかって死なせた・・とかいう事故(事件)が起こる。このくらいスペース区分帯があると、事故も起こりにくそうだ。

 さらに気がつくのは、この国が「自転車王国」ということだ。走る自転車が多い。また、自転車をつなぐスペースがたくさんある。これで「違法駐車」が防げる。もちろんこの普及も、この国の最高地点が58mとかいう「完全平坦地」のおかげもあるが、さらに健康志向とスローライフのライフスタイルがあると思われる。

 この国はもともと国土が狭く、そのため歴史的には海外進出をし、現在でも海外移民の多い国である。土地の狭さはまた干拓をもたらした。学校時代に社会科で、「オランダ=干拓=ポルダー・・」などと習った記憶もあるであろう。そういう土地が狭く、人口密度の高い国でも、こういう「社会資本」のスペースは「贅沢」につかう。

 歴史も町作りの歴史も違うから一概にはいえないが、日本人から見るとうらやましい。日本は「物がないのを、精神で置き換えた」文化である。オランダ人も決して豊かでは無かったから、「外食」はしなかったらしい。今でもレストランは少ないように思える。

 こうことから、外国人から「オランダ人はケチ」と見なされ、「ダッチ・アカウント」という「ネガティヴ」な表現をされてきた。しかし、このような町作りのコンセプトは、決して「ケチ」ではない。ここに彼らの合理性を見る。

 週末にヨットで運河を走り、夏の夕方にマイボートで町中の小さな運河で夕涼みをする、休みの日は家族で自転車を連ねて、「自家製サンド」を持ってピクニック、キャンピングカーを持つ人はみんなでキャンプ場などという生活は、彼らが本当の「ケチ」ではなく、金の使い方が違うだけだ。

 日本人は「家族で外出」になると、必ず「ファミ・レス」に寄る。また家族で何万円も出して「テーマ・パーク」で遊ぶ。また学生が携帯を打ちながら歩いている。さらに若い子がいわゆる「ブランド・バッグ」を当たり前に持っている。

 今回の旅では、上のようなオランダ人はほとんど見かけなかった。どちらが豊かな生活なのだろうか?「本当の豊かさとは何か」を、日本人はもっと考える必要があるかもしれない。