五輪スキー三冠王・トニーザイラーの死を悼む2009年08月26日 09時48分47秒

オーストリア・アルプス
 あのトニーザイラーがインスブルックで亡くなった 享年七十三 高年者でスキーが好きな方なら名前くらいはご存じだろう 彼出演のスキー映画「白銀は招くよ」は日本でも大評判になり、そのハンサムな顔と優しそうな雰囲気と素晴らしいスキーの技量に、当時のスキーファンは酔いしれた

 彼は1956年冬、イタリア・コルチナダンペッツォ五輪の回転・大回転・滑降の三競技に立て続けに優勝し、大きなニュースとなった その時の回転で次いで二位になり、日本初の冬季五輪メダリストになったのが、現IOC副会長である猪谷千春氏である

 ザイラーは日本とも縁が深い 1959年には日本の映画祭に参加したあと5ヶ月も滞在した 彼が設計したスキー場は数多く、「八ヶ岳ザイラーヴァレースキー場」(現シャトレーゼリゾート)、白山瀬女高原、安比高原などが知られる

 さてまた「白銀は招くよ」にもどる あのときの相手役がまた美人であった 彼女の名はマルギット・ニュンケ ミス・ドイツ、ミス・ヨーロッパで、1955年ミス・ユニヴァースで4位になった人で、派手ではないが知的な美しさが当時の日本人にも受けた そして何よりも同名の主題曲が訳されて日本でも大ヒットした スキーをしない人もメロディーだけは耳にしているかもしれない

 私個人は年齢的には少し下なので、当時公開された映画は見ていず、後になってロードショウやDVDで見ることになった 今からみると板は大昔の木製板で、恰好もクラシック、滑り方も現在の洗練されたそれではない それでも「懐かしい青春時代」を見るようである

 過年スキーツアーでオーストリアへ行った 何よりも映画に出てきた場所である 心は弾む 映画ではレッヒ(タール)が舞台であった そこでも滑った 下部にある町の観光案内所で尋いた 答えはこうであった 「実際の映画はキッツビューエルで撮りました・・」と 来るまではほんとにレッヒで撮っていると思っていた 彼が仕事の本拠地にしていたキッツで撮っていたのだった

 また別の時に、イタリアのコルチナダンペッツォに行ったときには、彼が優勝した時の急なコースを降りたことがあった 「ここをあのザイラーや猪谷が競って滑っていった!」と思うと感無量であった それら諸々を思いだしながら、スキーの大ヒーロー・トニーザイラーの冥福を祈りたい

内部リンク:
イタリア・コルチナダンペッツォ:
http://konotabi.com/photoalbum/ITDolomiteSuperski/Superski1.htm
オーストリア:アールベルクのスキーエリア:
http://konotabi.com/photoalbum/austriastanton2/stanton2.htm

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