わ~4年ぶりの信州白馬村! ― 2024年01月31日 20時30分50秒
三大稲荷・豊川稲荷のお狐様たち ― 2019年12月09日 23時24分31秒
私の趣味は基本は旅だが、また「三大」とか「十二」とか「五大」とか頭に接頭辞?が付くものが大好きだ 例えば「三大山城」とか「現存十二天守」とかいう類である
今回は「三大稲荷」である そのトップは京都の伏見稲荷だが、あとはこの愛知・豊川稲荷や岡山・高松稲荷である ただこういうものは必ず「諸説があります」という
稲荷といっても神社ではなく寺である 豊川稲荷は曹洞宗の妙厳寺という もとは稲荷は稲を象徴する農耕神で今は商業の神でもある 稲荷のシンボルは「お狐様」である
その狐を祀るのが霊狐塚で、なんと無数の狐像が並んでいる 昼なら何ということもないが、夜なら不気味である 化かされそうである 不思議な空間である
今回は「三大稲荷」である そのトップは京都の伏見稲荷だが、あとはこの愛知・豊川稲荷や岡山・高松稲荷である ただこういうものは必ず「諸説があります」という
稲荷といっても神社ではなく寺である 豊川稲荷は曹洞宗の妙厳寺という もとは稲荷は稲を象徴する農耕神で今は商業の神でもある 稲荷のシンボルは「お狐様」である
その狐を祀るのが霊狐塚で、なんと無数の狐像が並んでいる 昼なら何ということもないが、夜なら不気味である 化かされそうである 不思議な空間である
「荒城の月」の岡城は良い城 ― 2019年05月09日 19時09分07秒
全国の城巡りが好きな筆者も九州の城にはなかなか行けてなかった この春やっと北半分の城を回れた
まずは小倉城、福岡城、唐津城、名護屋城、佐賀城、吉野ケ里遺跡、原城、島原城と岡城まで行けた どの城も良い城たちだが、とくに岡城は魅力的であった
といっても天守はもちろん、櫓の一つも残ってはいない 岡藩はたった七万石でその割にはスケールがでかい まずは標高325mの山城であること、縄張りが広く雄大であること、そして石垣が高いこと特に二の丸の石垣は25mもあるという
説明板にはあの穴太衆が関わったとあった あの安土城をはじめとして多くの建造物を造った石工集団である 関西から呼び寄せたらしい 道理で迫力がある
もうひとつ、行った時期が桜満開の時で、景色に彩を与えていた
また「荒城の月」の滝廉太郎像も二の丸跡にあった 彫刻家朝倉文雄の作だという
そういう訳で大満足の山城であった
内部リンク:岡城
http://konotabi.com/Photo2019/JPNKushuOkajo/top.html
まずは小倉城、福岡城、唐津城、名護屋城、佐賀城、吉野ケ里遺跡、原城、島原城と岡城まで行けた どの城も良い城たちだが、とくに岡城は魅力的であった
といっても天守はもちろん、櫓の一つも残ってはいない 岡藩はたった七万石でその割にはスケールがでかい まずは標高325mの山城であること、縄張りが広く雄大であること、そして石垣が高いこと特に二の丸の石垣は25mもあるという
説明板にはあの穴太衆が関わったとあった あの安土城をはじめとして多くの建造物を造った石工集団である 関西から呼び寄せたらしい 道理で迫力がある
もうひとつ、行った時期が桜満開の時で、景色に彩を与えていた
また「荒城の月」の滝廉太郎像も二の丸跡にあった 彫刻家朝倉文雄の作だという
そういう訳で大満足の山城であった
内部リンク:岡城
http://konotabi.com/Photo2019/JPNKushuOkajo/top.html
ニュージーランドの晩秋ドライヴ ― 2018年06月08日 23時19分01秒
何年も暖めていたニュージーランド・ドライヴがやっと実現した それというのも、ニュージーランド航空の格安券がこの春先に出たからであった ご存じのように航空券の価格は需給で決まっている だから航空会社はローシーズンに空席で運行するよりは、安くしても席を埋めたい
そういう訳で国内線を乗り継いでも、十万円でもおつりが来るという安値で予約できた もちろんこれは直行便の場合で、LCC(格安航空)やアジアの航空会社の券を探せば安いのがあったかもしれないが、時間的や荷物重量などの制約がある
レンタカーも航空会社公式サイトの提携リンクなので、かなり安くなっており、車種選びなども問題はなかったので、すぐに予約した
前置きが長くなったが、こうして「晩秋ドライヴ」が始まった ただこの時期はAirNZは深夜の羽田発だったが、機体に問題点があって日が変わって翌日の真夜中に出発というとんでもないことになった 「まあ安いからなあ」と諦めることにした
さて肝心のドライヴだが、この国は日本とおなじく「左側通行」なので割と運転はしやすい ただいくつかの違いがあり、これに注意しなければならない まずは「ラウンドアバウト」という円形交差点である なんと信号機がない だから右から来る車が優先になっている これも慣れで何とかなる
ドライヴそのものは15日間で3100kmを走ったが、これでもこの国の半分しか回れていなかった また「秋の紅葉」も終わりかけているうえ、日本の様な真っ赤の美しい紅葉はほとんど無かった それでも宿のファミリーなど親切な人々のおかげで思い出深い旅となった
詳しい写真と説明は下のページにあるので、興味ある方は覗いて見て頂きたい
「ニュージーランド気ままドライヴ」
http://konotabi.com/NZDrive2018/top.html
そういう訳で国内線を乗り継いでも、十万円でもおつりが来るという安値で予約できた もちろんこれは直行便の場合で、LCC(格安航空)やアジアの航空会社の券を探せば安いのがあったかもしれないが、時間的や荷物重量などの制約がある
レンタカーも航空会社公式サイトの提携リンクなので、かなり安くなっており、車種選びなども問題はなかったので、すぐに予約した
前置きが長くなったが、こうして「晩秋ドライヴ」が始まった ただこの時期はAirNZは深夜の羽田発だったが、機体に問題点があって日が変わって翌日の真夜中に出発というとんでもないことになった 「まあ安いからなあ」と諦めることにした
さて肝心のドライヴだが、この国は日本とおなじく「左側通行」なので割と運転はしやすい ただいくつかの違いがあり、これに注意しなければならない まずは「ラウンドアバウト」という円形交差点である なんと信号機がない だから右から来る車が優先になっている これも慣れで何とかなる
ドライヴそのものは15日間で3100kmを走ったが、これでもこの国の半分しか回れていなかった また「秋の紅葉」も終わりかけているうえ、日本の様な真っ赤の美しい紅葉はほとんど無かった それでも宿のファミリーなど親切な人々のおかげで思い出深い旅となった
詳しい写真と説明は下のページにあるので、興味ある方は覗いて見て頂きたい
「ニュージーランド気ままドライヴ」
http://konotabi.com/NZDrive2018/top.html
カナダ・ブラックコム・スキーエリアのスキーシーズン ― 2017年12月19日 23時25分52秒
今年もやってきたカナダ、昨年は奥地のバンフだったが、-35℃の寒波に見舞われ心まで凍ってしまった 今年はやや暖かいウィスラー・ブラックコム・スキーエリアに変更した
此処はおなじみ2010年のヴァンクーヴァー・冬季オリンピックが催された場所で知られる もう20年以上前から知っているが、このオリンピックを機にいろいろ便利になった
たとえばエリアの二つの山が中腹でギネス認定の大ゴンドラで結ばれ、気楽に全山が滑られるようになった 今までは最下部まで滑り降りてまた山頂まで上り直す繰り返しだった
さて写真はこのスキーエリア最高点2284mのホストマン・ハット傍の「イヌクシュク」(イラナーク)前で記念写真を撮っているファミリーの姿である この前を通過する人の半数が記念ショットを撮っている感じである
この岩の造形物はもともと先住民が目印、案内板として各地に立てた一種の石碑である だがこれはヴァンクーヴァー・オリンピック時にシンボルとして作られたものである エリア内に4つほどある
今年のこの時期はやや雪が少なく、ブッシュや岩が露出していた 先週は良い雪だったというし、来週も雪情報があるという その谷間の私たちは「チェッ!」と言うしかないが、このシーズンの初滑りとしてはまぁまぁと言うべきか
→内部リンク:ウィスラー・ブラックコム・スキーエリア
http://konotabi.com/Photo2017/CANWhistlerSkiarea/top.html
此処はおなじみ2010年のヴァンクーヴァー・冬季オリンピックが催された場所で知られる もう20年以上前から知っているが、このオリンピックを機にいろいろ便利になった
たとえばエリアの二つの山が中腹でギネス認定の大ゴンドラで結ばれ、気楽に全山が滑られるようになった 今までは最下部まで滑り降りてまた山頂まで上り直す繰り返しだった
さて写真はこのスキーエリア最高点2284mのホストマン・ハット傍の「イヌクシュク」(イラナーク)前で記念写真を撮っているファミリーの姿である この前を通過する人の半数が記念ショットを撮っている感じである
この岩の造形物はもともと先住民が目印、案内板として各地に立てた一種の石碑である だがこれはヴァンクーヴァー・オリンピック時にシンボルとして作られたものである エリア内に4つほどある
今年のこの時期はやや雪が少なく、ブッシュや岩が露出していた 先週は良い雪だったというし、来週も雪情報があるという その谷間の私たちは「チェッ!」と言うしかないが、このシーズンの初滑りとしてはまぁまぁと言うべきか
→内部リンク:ウィスラー・ブラックコム・スキーエリア
http://konotabi.com/Photo2017/CANWhistlerSkiarea/top.html
見応えある「湖東三山」の寺 ― 2017年11月24日 19時35分53秒
ほぼ毎年訪れる京都を中心とした近畿地方の社寺であるが、今年はさらに滋賀県や北陸まで足を延ばした
京都は京都御苑では仙洞御所、京都迎賓館、修学院離宮や北野天満宮、貴船神社、大原寂光院・・・である
滋賀は湖東を中心に石塔寺、いわゆる「湖東三山」といわれる百済寺、西明寺、金剛輪寺である
また北陸は七尾城、一乗谷朝倉氏館跡、越前大野城などである
以上述べた中で時期的にも紅葉がよかったのが「湖東三山」の寺々である いずれも琵琶湖の東の山にある天台宗の古刹であるが、ロケーション的に琵琶湖と近江盆地が見渡せる位置にある
年々紅葉が遅くなる傾向がある中で、今回は「ビンゴ!」の感じであった そのうちの一つの写真が、この金剛輪寺の名勝庭園のワンショットである
詳しくは内部リンク:「このたびのたび」:金剛輪寺
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaKongorinji/top.html
京都は京都御苑では仙洞御所、京都迎賓館、修学院離宮や北野天満宮、貴船神社、大原寂光院・・・である
滋賀は湖東を中心に石塔寺、いわゆる「湖東三山」といわれる百済寺、西明寺、金剛輪寺である
また北陸は七尾城、一乗谷朝倉氏館跡、越前大野城などである
以上述べた中で時期的にも紅葉がよかったのが「湖東三山」の寺々である いずれも琵琶湖の東の山にある天台宗の古刹であるが、ロケーション的に琵琶湖と近江盆地が見渡せる位置にある
年々紅葉が遅くなる傾向がある中で、今回は「ビンゴ!」の感じであった そのうちの一つの写真が、この金剛輪寺の名勝庭園のワンショットである
詳しくは内部リンク:「このたびのたび」:金剛輪寺
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaKongorinji/top.html
彦根城の夜景 ― 2017年07月12日 22時22分20秒
以前から行ってみたかった城(跡)が二つあった 一つは石田三成の佐和山城ともう一つは浅井長政の小谷城である
彦根には何度も行っているが、近くの佐和山城は行けていなかった 小谷城は相当むかしに行っていたが、HP用のいい写真が残っていなかった そういう訳で今回行くことにした
梅雨の合間なので、天気をみながら彦根に宿をとった 写真はそのホテルからの彦根城の夜景である 堀脇のまことにロケーションのいい宿である
閑話休題、翌日まず佐和山城に行った 登り口には龍潭(りょうたん)寺がある 井伊家が浜松から来るとき、分家したような寺で、現在も彼の地の井伊谷に同名のご本家がある
その山門脇には石田三成座像があった そこから墓地を通って山道を上がる 途中にも廓はあまり残っていない 山上の本丸跡にも何もなかった ほんの少しの石垣と井戸跡があるだけだった
関ケ原後、当地に転封された井伊直政以後、この城や他の城から材料を持って行って彦根城を作ったからである 良く言えば「廃物利用」だが滅んだものは儚い
小谷城には昼から行ったが、そこの方が廓跡や石垣が多く残っていた 城主はもちろん信長の妹「お市」の夫の浅井長政である 最後には信長に滅ぼされた この城で自害して果てた まことに儚い
それでも3人の娘たちはそれぞれ後代の歴史を作ったことがよく知られっている 戦国の世は数えきれないストーリーを持っている
(内部リンク)
近江国・石田三成居城・佐和山城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaSawayamajo/top.html
近江国・浅井長政居城・国史跡・小谷城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaOdanijo/top.html
彦根には何度も行っているが、近くの佐和山城は行けていなかった 小谷城は相当むかしに行っていたが、HP用のいい写真が残っていなかった そういう訳で今回行くことにした
梅雨の合間なので、天気をみながら彦根に宿をとった 写真はそのホテルからの彦根城の夜景である 堀脇のまことにロケーションのいい宿である
閑話休題、翌日まず佐和山城に行った 登り口には龍潭(りょうたん)寺がある 井伊家が浜松から来るとき、分家したような寺で、現在も彼の地の井伊谷に同名のご本家がある
その山門脇には石田三成座像があった そこから墓地を通って山道を上がる 途中にも廓はあまり残っていない 山上の本丸跡にも何もなかった ほんの少しの石垣と井戸跡があるだけだった
関ケ原後、当地に転封された井伊直政以後、この城や他の城から材料を持って行って彦根城を作ったからである 良く言えば「廃物利用」だが滅んだものは儚い
小谷城には昼から行ったが、そこの方が廓跡や石垣が多く残っていた 城主はもちろん信長の妹「お市」の夫の浅井長政である 最後には信長に滅ぼされた この城で自害して果てた まことに儚い
それでも3人の娘たちはそれぞれ後代の歴史を作ったことがよく知られっている 戦国の世は数えきれないストーリーを持っている
(内部リンク)
近江国・石田三成居城・佐和山城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaSawayamajo/top.html
近江国・浅井長政居城・国史跡・小谷城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaOdanijo/top.html
京都・桂昌院縁・善峯寺の春 ― 2017年04月28日 23時03分27秒
京都の秋は素敵である だからと言って京都の春が負けているわけではない そういう町に年二回はきちんと行ってきた 今回は日本人と外国人観光客が比較的少ない場所である 最近の京都観光の人出はやや異常ともいえる多さである
そういう中で比較的「地味」なのが「西国三十三か所」巡礼の寺である 以前、妻の「西国巡り」に付き合って訪れた寺であったが、春の様子が見たくて再訪した
この寺は京都の西の山上にあって見晴らしが大変に良い さらに五代将軍綱吉の母である桂昌院に大変な縁がある 境内にも遺髪塚をはじめ、寄進により大いに復興した様子が見て取れる
写真は「紫陽花と桜の庭」のうち「春の桜」の様子である 今年は遅かった京の春であったが、すでにソメイヨシノは終わっており紅の濃い八重の枝垂れは「春爛漫」を謳歌していた そういうすてきな光景である
内部HPリンク:「善峯寺」
http://konotabi.com/Photo2017/JPNKyotoSpYoshiminedera/top.html
そういう中で比較的「地味」なのが「西国三十三か所」巡礼の寺である 以前、妻の「西国巡り」に付き合って訪れた寺であったが、春の様子が見たくて再訪した
この寺は京都の西の山上にあって見晴らしが大変に良い さらに五代将軍綱吉の母である桂昌院に大変な縁がある 境内にも遺髪塚をはじめ、寄進により大いに復興した様子が見て取れる
写真は「紫陽花と桜の庭」のうち「春の桜」の様子である 今年は遅かった京の春であったが、すでにソメイヨシノは終わっており紅の濃い八重の枝垂れは「春爛漫」を謳歌していた そういうすてきな光景である
内部HPリンク:「善峯寺」
http://konotabi.com/Photo2017/JPNKyotoSpYoshiminedera/top.html
20年ぶりのツェルマットとマッターホルン(スイス) ― 2016年02月23日 23時39分35秒
本当に久々にツェルマットを訪れた たぶん前回は1995年頃であったであろう その頃はまだネットもホープページ(HP)もやっていなかった 私が自分のHPを始めたのが2000年の冬、その頃初めてデジタルカメラを買った 今考えるととんでもない低性能のデジタルカメラだった
それまでに、仕事でいたアフリカからヨーロッパにはちょくちょく行っていた スイスも何度か行ったが、後になっていざHPに載せる写真というとアナログ写真ばかりであった そのため「あのマッターホルンのデジタル写真をHPに載せる」というのが長年の懸案であった
前置きが長くなったが、とうとう今回スキーでツェルマットに行った もちろんスキーも堪能したが、「あのマッターホルンの写真が撮れた」という満足でいっぱいである 写真に興味ない人からいうと「くだらないこだわり」であろうか
町は以前より開けた感じだが、ガソリン・ディーゼル車は禁止ーというコンセプトは変わっていなかった 電気自動車と馬車が町を走りまくる あくまで「自然保護」が大切という姿勢だ 日本人も見習いたいところだ
さてそういう長年の思いで撮った写真がいくらかある 上手くはないが興味のある方はどうぞご覧いただきたい
>内部リンク:2016年のマッターホルンの写真
http://konotabi.com/Photo2016/SwissZermattSkiarea/top.html
http://konotabi.com/Photo2016/SwissZermattSkiarea2/top.html
http://konotabi.com/Photo2016/SwissZermattSkiarea3/top.html
>参考内部リンク:1984年のマッターホルンの写真
http://konotabi.com/photoalbum/CH1984zermatt/zermatt.htm
それまでに、仕事でいたアフリカからヨーロッパにはちょくちょく行っていた スイスも何度か行ったが、後になっていざHPに載せる写真というとアナログ写真ばかりであった そのため「あのマッターホルンのデジタル写真をHPに載せる」というのが長年の懸案であった
前置きが長くなったが、とうとう今回スキーでツェルマットに行った もちろんスキーも堪能したが、「あのマッターホルンの写真が撮れた」という満足でいっぱいである 写真に興味ない人からいうと「くだらないこだわり」であろうか
町は以前より開けた感じだが、ガソリン・ディーゼル車は禁止ーというコンセプトは変わっていなかった 電気自動車と馬車が町を走りまくる あくまで「自然保護」が大切という姿勢だ 日本人も見習いたいところだ
さてそういう長年の思いで撮った写真がいくらかある 上手くはないが興味のある方はどうぞご覧いただきたい
>内部リンク:2016年のマッターホルンの写真
http://konotabi.com/Photo2016/SwissZermattSkiarea/top.html
http://konotabi.com/Photo2016/SwissZermattSkiarea2/top.html
http://konotabi.com/Photo2016/SwissZermattSkiarea3/top.html
>参考内部リンク:1984年のマッターホルンの写真
http://konotabi.com/photoalbum/CH1984zermatt/zermatt.htm
真田氏の城・松代城(海津城)と町はいい雰囲気である ― 2016年02月23日 21時58分22秒
今NHK大河ドラマ「真田丸」の人気が高まっている 最近のNHKドラマとしては珍しく「戦国時代」が舞台で動きも早く、何より達者な役者を使い、さらに三谷の脚本がとにかくおもしろいのだ あの草刈正雄がまたうまい!「吉田松陰」は飛んでしまう
前置きはさておき、このたび「信州スキー」の合間に松代に立ち寄った あの真田信幸(信之・信繁「幸村」の兄)が上田城から移封されて以後、明治まで真田家はしぶとく生き残った 「さぞや大河ドラマの真っ最中、人が溢れているだろう」と思いきや、冬の平日で薄ら寒い日のことで観光客は疎らであった 写真を撮る私には「渡りに船」であったが、やや拍子抜けもした
歩くと町のあちこちに「真田六文銭」の旗がはためいている この町(長野市松代町)は真田無くしては存在し得ない感がある 全体にタイムマシーンで遡ったような雰囲気があり、名所旧跡の保存整備もしっかりしている 城も真田館も文武学校も想像力があれば雰囲気に浸れる
「真田館」の受付嬢(元?)に尋ねると、「二人のようさんが撮影に来ました」という 信之(信幸)役の大泉洋と正室役の吉田羊だそうだ 写真を撮っていったという ただ「ここではまだNHKの撮影本隊は来ていません」という 「なぜこんなに観光客が少ないのか?」と訊くと、「上田城に客を取られています なにせ大きな城ですから・・」と仰った
私も以前に上田城に写真を撮りに行ったが、なるほど城の構えも大きく縄張りも広い さらにあの真田昌幸が圧倒的に少ない兵で徳川秀忠の大軍を打ち負かした事実がある おかげで秀忠は関ヶ原に間に合わなかった 真田側から言うと「してやったり!」だ だから「真田といえば上田城」となるのも無理はない
それでも徳川方について真田という家を最後まで「守りきった」兄も評価されるべきであろうか 負け戦に華々しく戦って、散って名を残すのよりも遙かに難しいことである 今は上田に負けている長野市もこれからもっと宣伝すべきであろうか? フレフレ長野!
>内部リンク「松代城」
http://konotabi.com/Photo2016/JPNMatsusirojoCastle/top.html
>内部リンク「上田城」
http://konotabi.com/PhotoAlbum3/2012JPNUedajo/top.htm
前置きはさておき、このたび「信州スキー」の合間に松代に立ち寄った あの真田信幸(信之・信繁「幸村」の兄)が上田城から移封されて以後、明治まで真田家はしぶとく生き残った 「さぞや大河ドラマの真っ最中、人が溢れているだろう」と思いきや、冬の平日で薄ら寒い日のことで観光客は疎らであった 写真を撮る私には「渡りに船」であったが、やや拍子抜けもした
歩くと町のあちこちに「真田六文銭」の旗がはためいている この町(長野市松代町)は真田無くしては存在し得ない感がある 全体にタイムマシーンで遡ったような雰囲気があり、名所旧跡の保存整備もしっかりしている 城も真田館も文武学校も想像力があれば雰囲気に浸れる
「真田館」の受付嬢(元?)に尋ねると、「二人のようさんが撮影に来ました」という 信之(信幸)役の大泉洋と正室役の吉田羊だそうだ 写真を撮っていったという ただ「ここではまだNHKの撮影本隊は来ていません」という 「なぜこんなに観光客が少ないのか?」と訊くと、「上田城に客を取られています なにせ大きな城ですから・・」と仰った
私も以前に上田城に写真を撮りに行ったが、なるほど城の構えも大きく縄張りも広い さらにあの真田昌幸が圧倒的に少ない兵で徳川秀忠の大軍を打ち負かした事実がある おかげで秀忠は関ヶ原に間に合わなかった 真田側から言うと「してやったり!」だ だから「真田といえば上田城」となるのも無理はない
それでも徳川方について真田という家を最後まで「守りきった」兄も評価されるべきであろうか 負け戦に華々しく戦って、散って名を残すのよりも遙かに難しいことである 今は上田に負けている長野市もこれからもっと宣伝すべきであろうか? フレフレ長野!
>内部リンク「松代城」
http://konotabi.com/Photo2016/JPNMatsusirojoCastle/top.html
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http://konotabi.com/PhotoAlbum3/2012JPNUedajo/top.htm
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