ポンペイのなにやら怪しい「案内板」2010年01月04日 17時07分33秒

イタリア・ポンペイ・「売春宿」の案内サイン
 写真は火山噴火で滅亡したイタリア・ポンペイのメインストリートである ・・となるとそれだけだが、実はなにやら怪しいマークが彫られているのだ どうやら「男性のシンボルマーク」らしい そのものの形である つまりこの方向に「男性快楽のお宿」がある-というわけである

 こう書き出すと、読んでいる方は「何が始まるの?」と思われるだろうが、それだけのことである トルコのエフェス・ローマ遺跡にも同様なサインがあった(下の内部リンク参照) この様な「施設」は世界中の「ローマ遺跡」にはすべてあると思われる

 ただエフェスではその表記法は違っている 現代の「地図記号」のような物はなかったのだろうか? 写真を見ていただくと分かるが、そこでは石版に丸い穴が開けられてそばに棒のような石刻があり足形が彫ってあった 上二者ともその向きが「快楽の舎」の方向を示しているのである 「歩道上に娼婦の館が刻印表示」されているのが現代だったら・・と考えてみるとどうだろうか

 現代的・キリスト教的な考え方からいうと、「不謹慎」と言うべき物ではあろう しかし古代ではこれも社会の一部であり、今よりもっとおおらかであったと推察できる 日本でも「儒教道徳」が入ってくるまでの古代・中世では「性」はもっと開放的であっただろう あの「源氏物語」なぞその例だ 神世の「天の岩戸」の頃もそうだった

 それにしても「石の文化」はスゴイ! 2000年も後の時代に「娼婦の館のマーク」が残っているとは・・ 歴史上、世界中に同様な物はあっただろう 江戸の吉原も有名であったが、たった二~四百年前だ しかも今の東京に当時のこんなマークの表示は残っていない

 そう意味では「世界最古の職業」かどうかは分からないが、それに近いだろう ここポンペイにはパン屋や肉屋、浴場など多くの商店、施設の跡も残っているからである 「娼館」は古代バビロニアにもあったらしい 

 もっと驚くのは、この写真の場所よりすこしり離れた所に、「本当のその場所」がそのまま残っていることである 内部はいくつかの個室があり、そこには石のべッドが残っており、壁には何枚もの「男女のその場面」の絵が鮮やかな色彩を残していた

 ここもヴェスヴィオ火山の火山灰や溶岩流が襲ったはずの場所である やはり石の文化はスゴイのである それは日本では、「漢奴倭国王の金印」の時代の話だ やはり「ローマは偉大」なのである 

 内部リンク:トルコ・エフェスのローマ遺跡:
http://konotabino-tabi.sakura.ne.jp/photoalbum/turkefes/efes.htm
 内部リンク:世界遺産・ポンペイ遺跡:
http://konotabi.com/photoalbum/2009ITAPompei/canon.htm

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