弘法大師の偉大さ ― 2012年04月01日 20時13分07秒
一昨年から始めた妻の「四国歩き遍路」に付き添って88ヶ寺中36ヶ寺が終了した それにしても空海(弘法大師)はすごい 「弘法大師」は死後贈られた名前(追贈)なので彼自身は知らない名前だ
一寺一寺歩くたびに寺境内の「修行大師像」が迎えてくれる 寺によって顔も姿も微妙に異なるが、「これが大師様」です-と言われると妙に納得してしまう 当時の写真があったならば真影は一つしかないが、奈良-平安期だけにこれは仕方がない
そういう大昔の人間が現代の人間に偉大な影響を与えているのがすごいと思う 自動車遍路組とは異なって、「歩き遍路」組には何となく「連帯感」がある 旅行で例えると「個人旅行」と「ツアー」の差である おなじ道を歩き、同じ雨に遭い、同じ花や景色を見てきたいわば「同じ釜の飯を喰った」仲間である 自ずと話と情報交換に花が咲く
「弘法大師」は雨の少ない地に大きなため池(満濃池)を作ったり、水のない所に湧き水をおこしたり、病気の人を直したり、まさにキリストやモーゼに匹敵する人物である 源義経や西郷隆盛など「国民的英雄」も死後も伝説や偉業が語り継がれる日本人も多いが、やはり空海は別格である
この回を含み、遍路道を歩いていて多くの外国人、とくに白人に出会った 彼らは基本キリスト教徒のはずだが、宗教を越えてこのある意味「苦行」に参加する意味は何なのか? 彼らのほとんどは日本人以上に装束が基本形になっていて、しかも日本人以上に生き生きしていた
四国では「遍路道を世界遺産に!」という運動も興っているが、現代人の心にそこまで生きている「弘法大師」の存在はいったい何なのだろうか? 何故何度も「遍路」を繰り返す人間が多いのか?(先達) これからも考えてみたい
一寺一寺歩くたびに寺境内の「修行大師像」が迎えてくれる 寺によって顔も姿も微妙に異なるが、「これが大師様」です-と言われると妙に納得してしまう 当時の写真があったならば真影は一つしかないが、奈良-平安期だけにこれは仕方がない
そういう大昔の人間が現代の人間に偉大な影響を与えているのがすごいと思う 自動車遍路組とは異なって、「歩き遍路」組には何となく「連帯感」がある 旅行で例えると「個人旅行」と「ツアー」の差である おなじ道を歩き、同じ雨に遭い、同じ花や景色を見てきたいわば「同じ釜の飯を喰った」仲間である 自ずと話と情報交換に花が咲く
「弘法大師」は雨の少ない地に大きなため池(満濃池)を作ったり、水のない所に湧き水をおこしたり、病気の人を直したり、まさにキリストやモーゼに匹敵する人物である 源義経や西郷隆盛など「国民的英雄」も死後も伝説や偉業が語り継がれる日本人も多いが、やはり空海は別格である
この回を含み、遍路道を歩いていて多くの外国人、とくに白人に出会った 彼らは基本キリスト教徒のはずだが、宗教を越えてこのある意味「苦行」に参加する意味は何なのか? 彼らのほとんどは日本人以上に装束が基本形になっていて、しかも日本人以上に生き生きしていた
四国では「遍路道を世界遺産に!」という運動も興っているが、現代人の心にそこまで生きている「弘法大師」の存在はいったい何なのだろうか? 何故何度も「遍路」を繰り返す人間が多いのか?(先達) これからも考えてみたい
高知・長浜地区の津波避難塔 ― 2012年04月03日 21時08分16秒
私たち「瀬戸内海沿岸生活人間」からいうと、四国歩き遍路は驚くことがたくさんある その一つが各市町村の「津波対策」である いわく沿道にある過去の安政期の「津波記念碑」、「昔ここまで津波が来ました」、多くの「海抜表示プレート」=「ここは海抜**mです もっと高い所に逃げましょう」とか「避難場所は50m向こうの**寺です」などの表示が街道に並ぶ
歩いたのは四国四県でまだ徳島、高知両県だけだが、列車の車窓からも歩きの街道からも多くの「津波避難所」が見えてくる 標高の高い村落の寺社がその場所なのは当たり前だが、海岸沿いの低い標高の場所での「盛り土+コンクリート」もある
写真の「津波避難塔」は有名な「桂浜」に近い高知市長浜地区のものだ 何と海抜数mにある完全な人工タワーである 足を止めてよく見ると壁にある海抜表示は一番上が14.5mである その上に約5m弱あるので15m未満の津波なら塔が倒れない限り何とか持ち堪えそうだ
しかし問題がある 「2011・3/11東北大地震」の最大波高は約40m、これは各検潮所の測定器が破壊されたため確実ではないのだが、まず信頼できそうな数値である もしそうであればこの塔は全く役に立たない しかし入り口も屋上出口も締め切った場合、この塔に立てこもって小一時間 くらいは持ちそうだ 「無いよりはマシ」かもしれない
あの2011年3月11日以来、私たちの遍路はいつもある種の「危機感」を持って歩いている 1、ポケットラジオをつけっぱなしで歩く 2、いつも近くの避難所を確認しながら歩く 3そこに入る道を考えながら歩く・・ということが「標準作業動作」になっている
それでもこの写真の塔はインパクトが強かった まるで現代の「バベルの塔」である 本当に耐えられるかどうかは津波が来てみなければ分からない でも来て欲しくはない それでも地域の住民からいうと塔は「心の拠り所」であろうか
残念ながら、瀬戸内海沿岸住民の津波に対する危機意識のなさ、行政の対策の遅れはいつの日にか暴露されるかもしれない 四国を歩くたびにそう感じる日々である
歩いたのは四国四県でまだ徳島、高知両県だけだが、列車の車窓からも歩きの街道からも多くの「津波避難所」が見えてくる 標高の高い村落の寺社がその場所なのは当たり前だが、海岸沿いの低い標高の場所での「盛り土+コンクリート」もある
写真の「津波避難塔」は有名な「桂浜」に近い高知市長浜地区のものだ 何と海抜数mにある完全な人工タワーである 足を止めてよく見ると壁にある海抜表示は一番上が14.5mである その上に約5m弱あるので15m未満の津波なら塔が倒れない限り何とか持ち堪えそうだ
しかし問題がある 「2011・3/11東北大地震」の最大波高は約40m、これは各検潮所の測定器が破壊されたため確実ではないのだが、まず信頼できそうな数値である もしそうであればこの塔は全く役に立たない しかし入り口も屋上出口も締め切った場合、この塔に立てこもって小一時間 くらいは持ちそうだ 「無いよりはマシ」かもしれない
あの2011年3月11日以来、私たちの遍路はいつもある種の「危機感」を持って歩いている 1、ポケットラジオをつけっぱなしで歩く 2、いつも近くの避難所を確認しながら歩く 3そこに入る道を考えながら歩く・・ということが「標準作業動作」になっている
それでもこの写真の塔はインパクトが強かった まるで現代の「バベルの塔」である 本当に耐えられるかどうかは津波が来てみなければ分からない でも来て欲しくはない それでも地域の住民からいうと塔は「心の拠り所」であろうか
残念ながら、瀬戸内海沿岸住民の津波に対する危機意識のなさ、行政の対策の遅れはいつの日にか暴露されるかもしれない 四国を歩くたびにそう感じる日々である
花の絶えない遍路道沿いの地蔵仏 ― 2012年04月05日 19時12分22秒
遍路道をずっと歩いていると、様々な石仏に出会う 小さな可愛い仏さまから立派な石仏立像までが街道沿いにおわしている 風化し苔むしたものから明らかに肌に鑿跡が残る最近のものと思われるものまで様々である
それでも共通のことがある それは人家のない田畑脇の地蔵も集落内の家屋の前の石仏にもきちんと花が供えられていることである それも枯れかけたり腐ったものはない 適当に水を換え適当に花を換えているのがよく分かる
人々の信仰心、または仏への想いがよく現れている 生活の一部になっているのが偲ばれるのである 残念なことに、わたしの住む岡山県では町外れ、路傍にあるどの地蔵仏にも花があふれていることはまずない そういう意味では四国の人々の優しい心が感じられるのである
それでも共通のことがある それは人家のない田畑脇の地蔵も集落内の家屋の前の石仏にもきちんと花が供えられていることである それも枯れかけたり腐ったものはない 適当に水を換え適当に花を換えているのがよく分かる
人々の信仰心、または仏への想いがよく現れている 生活の一部になっているのが偲ばれるのである 残念なことに、わたしの住む岡山県では町外れ、路傍にあるどの地蔵仏にも花があふれていることはまずない そういう意味では四国の人々の優しい心が感じられるのである




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