志賀高原・横手山山頂からの景色2014年02月13日 21時34分31秒

横手山頂からみる笠ヶ岳と白馬連峰
 写真は前回につづき、横手山山頂2307mからの景色である

 手前の山は笠ヶ岳2075mで、この山頂2307mよりも200mも以上低い しかしまるで笠を伏せたような落ち着いた山容とそこにある針葉樹に雪が付いた姿はなかなか絵になる 右下のエリアは志賀高原熊ノ湯スキーエリアである

 その向こうの山並みは白馬連峰で、長野オリンピック会場になった八方エリア(上左)、学生スキーのメッカの岩岳エリア、有名デモンストレーターを生んだ「馬の背」がある栂池スキーエリアを始めとする有名スキー場が連なって並ぶ

 毎年のようにはるばる遠くの県から車でやってくる私には、志賀エリアでは最も好きな光景である この開放的な風景は、やや狭いエリアに多くの山が林立する白馬のスキーエリアとは別の魅力である

大山スキー場の父と幼い息子2014年01月07日 19時48分25秒

大山スキー場のパパと息子
 ここは西日本(九州・中四国)で最大規模の大山スキー場(だいせんホワイトリゾート)である 私は2年ぶりにここに来た それは雪国の信州、北海道などのスキー場に行っていると、温暖な西日本のスキー場の雪質や規模が物足りなくなるからである

 とはいっても、私は齢四十にしてこの地で最初に板を履いた つまり私のスキー歴はここから始まった だからいくら物足らなくても一定の敬意は持っている こうしてたまに「ご機嫌伺い」をするのもまあ「故郷帰り」なのである

 このシーズンも年末年始の混雑を避けて初めて滑った 「サンデー毎日」のリタイア・オッさんはことさら平日に行くのである そうするとリフト券が祝祭日料金より600円も安くなる 此処はシルバー割はないのだがこれで十分である 更に500円の次回割引券も付いてくる スキーブーム時に1300円だった駐車場も祝祭日1000円が500円になっている 信州辺なら無料の駐車料金が有料でも、まあ~文句はない

 閑話休題、さてこの写真だが、「上の原コース」のトップである 滑り出しの斜度は27度、中上級者なら全く問題もない斜度である ところがヘルメットを被った小さな子どもがパパと一緒に上がってきた ボーゲンの足つきとヘッピリ腰から全くの初心者だと推測できた

 「パパコワイよ!」
 「大丈夫、教えたとおりに滑ればイケルから」
 「でもここは急だから・・」
 「斜めに行けばユルイから・・」

 こうしてパパから大きく遅れて股をいっぱいに開いてズリズリ下りていった ガンバレ!ちびっ子! 「いいなあ!あの子は幸せだなあ!」 小生、この子の歳にはスキーを履いたこともなかった もちろんスキー場に行ったことも・・ 

 高度経済成長時代、我々の父親はおしなべて「仕事一途」で「家庭サーヴィス」なんてものはなかった 車もなかったから「家族ドライヴ」も当然なかった 車に乗る時は急病の時のタクシーだけ・・ 

 ところが今、物はいっぱいあるし、最近の子どもは何でも与えられている 色々体験できて自分に向いたものも早く分かる・・・ 少し厳しいパパだが、この子もいつの日にかパパに感謝することが来るであろう

このたび、四国霊場歩き遍路を満願いたしました2013年12月11日 00時14分04秒

四国遍路終わりの寺、大窪寺にて
 写真は四国霊場八十八ヵ所の最後の寺、大窪寺でのものです 二つある門の新しい方の仁王門です 四国を遍路する者が目指す最後の寺はやはり長く上がった山の中にありました 「最後まで楽をさせてくれないなぁ~」という感じの終わり方でした

 それでも、この寺より11km手前にある香川県さぬき市の山中にある「おへんろ交流サロン」では歩き遍路終了証明書を兼ねた「四国八十八ヵ所遍路大使任命書」を無料で頂き、先が見えた嬉しさで少しだけ元気になってここまで辿り着きました

 話によると、歩き遍路者でも「通し打ち」という全コースを一度で回る「根性の入った信仰心の厚い」人たちは感極まって涙する人が多い・・ということです 一回で通して四国を歩く場合、雨や風はもちろん台風が来たり、マメができたり足が痛くても、体調不良で体がしんどくても毎日歩き続きなければなりません 数十日間家にも帰れませんし、家人にも会えません

 そうして四国を一周をした人たちが最後の寺に辿り着いた時の気持ちは何となく想像できます 私たちのような「区切り打ち」といういわば「細切れ遍路」でさえも慣れない歩きはいろいろ結構大変でした 足かけ4年、延べ61日、全行程約1100kmを歩くというのも人生初めての体験でした

 マメができる、足の筋肉痛、荷物が重くて肩が痛い、雨のなかで体、靴の中まで水浸し、国道にたまった水をぴしゃと車にかけられる・・・・といった辛い思いではいくらでもあります 特に豪雨の室戸岬手前の道で高知県警のパトカーに多量の水を浴びせられた時はさすがに堪えました

 それでも四国の方々のお接待を含む親切は心に残ります 近畿大・歌一洋氏を始め、善意の方々が作った多くの「お遍路さん休憩所」で休ませてももらったこと、自分の土地を無償で提供し「ヘンロ小屋第一号」を作り、毎日接待していた野村カオリさんの暖かさに触れられたこと・・

 列車内に杖を置き忘れて歩いていたカミさんに、走って追いかけてきて竹の杖を下さった徳島県の食料品店若主人、地元企業が作った「お遍路さん休憩所」で休んでいた時、通り過ぎた車が大急ぎでバックしてきて止まり、冷えたお茶カンを持ってきてくださった地元の漁師風の方、きっと彼は自分用の飲み物を下さったのでしょう 高知県室戸市のことでした

 後から声をかけてきて山のようなミカンを下さった野良のお婆ちゃんたち、仕事中に道の駅でわざわざ走り寄ってきて二人に500円ずつを下さったトラック・ドライヴァーの方、この方とは別の寺で巡り会うことになりました 三日後のことでした 一緒にいたお母さんに「あの遍路さんたちももうこの辺を歩いている頃だなあ」と言っていた後だそうです 不思議な縁(えにし)です

 愛媛のミカン畑の山道を歩いていると、収穫を終えたミカン農家の車が止まり、たくさんのミカンを下さったおばちゃんとお婆ちゃん、ミカンの箱の間には女の子たちが二人いて、「がんばってね」と手を振ってくれました あまいあま~いミカンでした

 屋島登山口で自転車で追いかけてきてニコニコして1000円を下さったお婆ちゃんはこう仰いました 「お遍路さんはお大師様だ こうすること(お接待)で私も一緒に遍路させてもらっているのだ 有り難いことだ」と

 彼女は一見した所、年金生活者のように見えました その方がいわれるには「あなた方が今日の3組目ですよ たまたまお金を持っていたので団体の方たちにも差し上げました」 「アカの他人」にたぶん潤沢でもない彼女がお金を施して「有り難い」というのです 本当はもらった方が「有り難い」というのですが・・ 四国にはこういう風土があるのです

 四国の皆さん、本当にほんとうに有り難うございました お陰様で結願できました 頂いた食べ物はすべて食し、頂いたお金はすべてお寺の賽銭にさせていただきました 来春は最後の仕上げに高野山に参ります

 四国の魅力は弘法大師の足跡、偉業の場所だけでなく、自然の素晴らしさ、そして人々のたいへん温かい心<お接待のこころ>です これがある限り「お遍路さん」はなくなりません この場所を借りて御礼申し上げます 合掌!

内部リンク:四国歩き遍路トップページ:
      http://konotabi.com/HenroShikoku88/top.htm

岡山県新見美術館の紅葉2013年11月30日 22時18分46秒

新見美術館の秋
 岡山県北の高梁市成羽美術館のエミール・ガレとドーム兄弟のガラス展を見た後、車を飛ばして新見美術館の特別展を見に行った 上村松園、横山大観、伊東深水らの小品展である

 地方の小振りな美術館ではあるが、時に魅力的な特別展をやってくれる 此処は通常、富岡鉄齋の優れた作品が展示されている

 美術館下の庭園部は小振りだがなかなか素敵なお庭である そこの紅葉終わりかけの光景である


 →内部リンク:「新見美術館の秋」
  http://konotabi.com/photo2013/JPNOKJNiimiMuseum/top.htm

弘法大師に後光が射す2013年11月22日 15時41分00秒

弘法大師に後光が射す光景
 私たちの「四国霊場歩き遍路」も終わりが近づきつつある 「区切り打ち」の今回は第84・85番の屋島寺と八栗寺である 残りはあと三ヶ寺になった

 屋島はご存じ「源平屋島合戦」の舞台である 屋島寺はその頂上部にある そこから歩いて八栗寺に向かう 「合戦場」を横目に見ながら五剣山を目指す 頂上部の大岩真下に八栗寺がある

 その八栗寺は視界が素晴らしい場所である 高松市も屋島も壇ノ浦古戦場も見渡せる 私たちが行ったのは午後も遅めの時間、陽光は西に傾いていた そういう瞬間の写真がこれである

 寺の「お迎え大師像」の向こうに天空から光が射し込んだ 弘法大師は歴史上大切な人物で、四国では大変有り難い僧である その真上から光が射したのである 思わずシャッターを切った そういう写真である

 →内部リンク:四国霊場歩き遍路の旅・八栗寺
   http://konotabi.com/HenroShikoku88/Henro20/top.htm#No85

野良猫の夫婦?2013年11月15日 13時06分30秒

岡山県玉野市「道の駅深山公園」の野良猫
 全国展開の国交省管轄「道の駅」の一つ、岡山県玉野市の「深山公園」である この道の駅は県内では人気が高く、県南各地から車が集まる 私たちは世界を旅しているが、「道の駅」は珍しくお役所のヒットである ドイツ・アウトバーンのレストエリアよりも一部を除いて「進化」している

 まずは「産直市」:地元の漁協の婦人部が朝に揚がったばかりの鮮魚を売っている そして「英国ガーデン」:小規模ながらイギリスにいる感覚が味わえる そして最も魅力的なのは道の駅奥にある小さな池、ここには住み着いた水鳥だけでなくたくさんの漂鳥が立ち寄る

 それを知っている人たちは家からパンクズや野菜クズを持ち寄る 子どもはそれを放り投げて喜んでいる 鳥たちも大喜びだが人間も大変癒されている

 そういう場所の奥には広場や多くの池や散歩道がある 散歩道は木々に囲まれ親子連れや老夫婦、自転車の子どもたちが見かけられる

 ところがなぜか道々たくさんの猫たちが現れる 人間の姿を見ても逃げもしないし向かっても来ない 自然体である 人間の都合で捨てられた猫とその子孫であろうか

 写真の猫はカップルだが兄弟か夫婦かは分からない もし夫婦だとすればどちらが夫でどちらが妻だろうか 色から言うと黒がオスのようだが、態度から見ると右が旦那のように見える 皆さんのご意見は如何?

四国霊場第80番國分寺の幼松2013年11月14日 20時56分26秒

親松の根から生えた幼い松
 写真は四国霊場第80番國分寺の境内にある松の根から生えた幼い小さな松である だが生きている木からその幼木が生えるのは決して珍しくはない
 
 九州の屋久島でも寿命を終え倒れた大杉の幹から小さな杉の木が育っていた いずれは親の養分を吸って大きくなり、代替わりをするのであろう 健気に懸命に大きくなろうとしているその幼木を応援したい気持ちになっていた

ロンドンのヘタッピーな大道芸人2013年09月08日 23時07分32秒

ロンドンのヘタッピーな大道芸人
 写真はロンドン・トラファルガー広場でのものである 此処はロンドンでも有数の観光スポットで、海外からの観光客、地元の学生、デート中の若者たちが集う場所である

 広場にはナポレオン戦争時の海軍提督であるネルソン像が立つ 奥にはイギリスでも有数の「ナショナル・ギャラリー」という美術館があり、大英博物館と並ぶ有名美博物館である 美術・歴史ファンには堪えられない場所だ

 そういう広場には外国都市ではお馴染みの大道芸人がいる これは「柳葉刀(通称青龍刀)」のイミテーションをたくさん放り上げてくるくる回している最中である

 ところが見ているとこれが本当に下手なのである 5つくらい刀を上げるのだが、3つくらいを取り落としている たまたまかと思いきや、何度やってもうまくゆかない 刀そのものを怖がっているのである 

 そうこうしていると観客もだんだん白けてくる 最後は「失笑状態」であった 他人に芸を見せて金をもらうのなら、もっと自宅で練習して来いよ!!

瑠璃光寺の五重塔は最高美の一つ2013年08月28日 17時28分57秒

瑠璃光寺の五重塔
 写真は山口市にある瑠璃光寺の国宝・五重塔である 私は主に西日本の神社・仏閣の写真を撮っているが、それらの中でも特に美しい姿である

 誰が決めたのかは分からないが、「日本三名塔」で検索すれば、法隆寺、醍醐寺と並んでこの瑠璃光寺の五重塔が出てくる すべて訪問し写真を撮った私だが、屋根の線の美しさでいうと瑠璃光寺のものが最高である 「三名塔」とも桜が近くにあり、春の光景は最高である

 この塔は嘉吉二年(1442)の建立で、室町中期の傑作であると共に、大内文化を代表する物の一つである 高さは31.2mで、一位の京都東寺の54.8m、二位の興福寺の50.1mにははるかに及ばない

 それでもその屋根の反り返った曲線は何となく女性的で艶めかしいし、前にある池と合わせて素晴らしい光景となっている 三名塔の一つ醍醐寺の印象も女性的であるが、更に優しい感じがする

 この塔の脇には司馬遼太郎の石碑が建っている

(長州はいい塔をもっている)
 と惚れぼれする
 おもいであった。
 長州人のやさしさと
 いうものは、
 山口に八街九珀を
 つくった大内弘世や、
 ザビエルを保護した
 義隆などの大内文化を
 知らねばわからないよ
 うな気もする
    「街道をゆく」(一)長州路より

  →内部リンク:「瑠璃光寺と洞春寺」
    http://konotabi.com/photo2013/JPNRurikojiSesshu/top.htm

かわいいアヒルのヒナ2013年08月28日 16時31分56秒

大分県山中集落のアヒルのヒナたち
 最近行った九州の大分県日田市に小鹿田焼(おんたやき)という窯元がある その起こりは宝永二年(1705)というから全国の名だたる窯・焼き物からいうと若干歴史が若い

 ただここは民芸運動の創始者、柳宗悦が昔ながらの朝鮮風伝統が残ったこの焼き物に着目した場所で、バーナード・リーチも訪問してここで作陶、濱田庄司も応援した歴史がある

 その小鹿田焼の窯元が並ぶ田舎の集落にたった一軒だけ飲み屋がある その入り口にビニール・プールがあり水が張ってあった その中にアヒルのヒナがたくさんいた その動作を見ているとけっこう面白い 一匹一匹に個性がある そういう他愛もないショットである