卒業してから38年、そして三十年?ぶりの3人同窓会2007年07月02日 13時10分03秒

 一昨日、泊まりがけの同窓会に行った 同窓会といってもたった3人、もちろん学校も同窓会組織とも無縁である そして3人が大学を卒業したのが昭和44年3月、そういう私たちは昭和21~22年生まれの団塊世代第一期生である

 卒業後3人はそれぞれ故郷に帰って同じ職種を選んだ 何年も経ってから大分県のK君から、「家を買った 愛媛のO君と来ないか?」と誘いがあった もちろん行かないわけがなかった K君は別府市内在住だったが、行ってみて驚いた 「風呂は24時間入れるから・・」という 温泉付きの建て売りだった 羨ましいやら驚くやらで、しばらくは堪能させてもらった

 あれからいつの間にか数十年が経った 私は海外勤務も経験し、後の二人は最後に「一国一城の主」にもなった その間年賀状や手紙は細々とながら続いていた 年賀状の下にはいつも「今年は会いたいですね」と書きあっていた それもいつの間にか「慣用接尾辞」のようになっていた

 昨年末から今年にかけて、マスコミも「2007年問題」とかで、技術の伝承が途絶えるとか、組織の再構成とか、高齢化社会が進むとか、生き甲斐のある老後、退職金の運用・・と喧しかった 私はすでに定年に8年も早くリタイアしていたので、関係ないことではあったが、「同級生たちがもうすぐ出てくるなあ」という認識はあった

 そういうなか、5月になって定年退職の挨拶状が数葉来た  その中にO君K君からの物があった 「どうしているかな?会いたいなあ」と思った矢先、K君から電話があった 「どうしてる 一回会わないか?O君も入れて・・」もちろん異存はなかった それどころかこちらから電話しようかとさえ思っていたのだ

 話はすぐに進展し、再会が決まった 私とK君は今や完全フリーだが、O君は嘱託のような一種の名誉職で再雇用され、しかも自家田圃の田植えがあった そのため、「繁忙期後に実施」ということでここまで延びていた 場所は3人の中間地点でO君の今治市になった

 実は私には不安があった もう30年も会ってはいない 子育てや仕事上のいろいろ、長い年月云々で、すでに学生時代のようなお互いに「すーと入っていける」感じではないような気がしていた 「会ったら何から話そうか?」「どんな話題が良いのだろうか?」などを案じ、「昭和22年生まれ」という本を持参することにした  

 JR今治駅にはO君が迎えに来てくれた K君は自家用車に乗って九州からフェリーで駆けつけた それぞれ顔にしわはでき、カミや頭も年輪を感じさせたが、一端話し出すとタイムマシーンを回したように、昔の感覚、昔の話し方で話題が進んでいった 案ずるよりも産むが安しであった そこには仕事場所でのような一種の気配りや遠慮や気を回すというような物はいっさい要らなかった

 こうして話に花が咲き、風呂も忘れてホテルで夜中まで話し込み、旧交を温めたのは言うまでもない そして、次回の「同窓会」は大学と我々の下宿のある町に決まった 短いけれど長い,そして長いけれど短い二日間であった

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