「自動車の化石」・・旧東ドイツの名車?トラバント2008年07月19日 13時54分51秒

往年の名車?旧東ドイツのトラバント
この写真は数年前、ハンガリーを旅した時、ブダの王宮城壁脇に駐車していた「旧東ドイツの名車・トラバント」を撮った物である この車は「東西冷戦時代」の社会主義圏の工業力を象徴していた車であった <「2サイクルエンジン」で煙を吐きながら走る非力の「段ボール製」の自動車>と言われていた 詳しくは「Wikipedia」にあるので、引用しよう
(以下引用)

 「ボール紙のボディの車」といわれることがあるが、実際は長いモデルライフを通じて、ボディの基本材料は繊維強化プラスチック(FRP)である。東ドイツ末期に製造品質が下がってくると表面の質感がボール紙のように見えた事から、低い仕上げ品質を揶揄した表現である。ただし、末期は製造コスト低減のため、実際にプラスチックに紙パルプを混ぜ込んでいた。ベルリンの壁崩壊の直後からは、最新式のフォルクスワーゲン・ゴルフと古色蒼然としたトラバントが、肩を並べて走るようになり、双方のドライバーとそれらを見比べた者に強烈なカルチャーショックを与えた。東側諸国の人々がトラバントに乗って国境検問所を続々と越える光景は、東欧における共産主義体制終焉の一つの象徴的シーンともなった。生産中止後10年以上を経過し、走行性能・安全性・環境性能が数十年前の水準ということもあって、旧東ドイツ地域および周辺諸国においては、急激に淘汰されている。」

(以上引用)
 
 ポーランド、チェコ、ハンガリーなど「旧東欧圏」を旅すると、減りつつはあるが必ず目にする車である 日本やヨーロッパなど「自動車先進国」では決して「受け入れられない(売れない)車」である 「国家独占企業で競争のない社会」でしか生産され得なかった「工業製品」である

 日本の車は「世界先進レヴェル」として、世界中で受け入れられているのは衆知の事実であるが、それというのも「過当ともいえる価格と品質競争」に打ち勝って現在の地位を得てきたのである こうして見れば、「トラバント」は「競争のない社会が如何に社会の進歩を停滞させる」かを証明して見せたのだ

 翻って、「すべて平等が美徳、競争は罪悪」という戦後の教育が近年の日本の教育レベル低下に「貢献」してきたことが明白に分かるのである すべての子どもの「それぞれの良いところを見つけ、能力を最大限に伸ばさなかった」ツケはまことに大きいと言わざるを得ない

外部リンク:(Wikipedia):「トラバント」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88

注:この記事はマイHP「このたびのたび」の「旅の話題」から転載しました

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