温故知新:儒学者・山田方谷に学ぶ2007年03月19日 14時58分53秒

 先日、写真を撮りに岡山県高梁市を訪ねた メインは国重文の備中松山城、現存する天守閣を持つ全国12城の一つで、最高海抜430mの「日本三山城」の一つでもある この城への登り道の途中に「山田方谷・私塾跡」という石碑があった

備中高梁あれこれ・方谷私塾跡写真:
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/BichuTakahashi/miscellaneous.htm

松山城写真:http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/BiMatsuyamaJo/Gagyuzan.htm

 江戸後期1805年ここの城下で生まれた方谷は、朱子学を学んだ後、21歳で藩主板倉氏より奨学金をもらう英才であった のちに彼は藩の郡奉行や元締や執政などの要職を歴任する ところが儒学者だった彼が偉大なのは、その政治手法と内容である 

 藩主から信頼の厚かった方谷は、借金だらけだった藩財政を立て直す そのときの手法が詳しく下のサイトに載っている
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%96%B9%E8%B0%B7

 お読みになれば分かるが、すばらしい政治姿勢・手法である 自分の身の回りもきれいにして毅然と財政改革に取り組んだのである 昨今のある国の首相やある大臣の????が付く発言や「せこい手法」は真っ赤になる内容である 現代の日本には「平成の方谷」は居ないのだろうか?

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