沖縄県民のこころは?2007年09月30日 22時58分49秒

 今日の読売新聞の記事にこういうのがあった 少し長いが引用する
「教科書検定・沖縄11万人撤回要求 【集団自決】県民集会」 「沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったとする表現を修正させた高校日本史の教科書検定問題を巡り、検定意見撤回を求める超党派の沖縄県民大会が29日、同県宜野湾市の宜野湾海浜公園を主会場に開かれた 同時開催の石垣、宮古島両市会場と合わせて約11万6000人(主催者発表)が参加し、『集団自決が日本軍の関与なしに起こりえなかったことを伝えるのは我々の責務』とする決議を採択した・・・」

 戦争中という異常で極限まで追いつめられた状況とはいえ、いったい誰が自ら死のうとするのか? みなさんはご自分をその状況に当てはめてみるとよく分かるだろう どんな状況でも人は死にたくない 「生きたい!」と思うのが自然の摂理だ アメリカ軍が艦砲射撃をし、爆弾が雨あられと降ってくるとき、県民は逃げまどい、防空壕に隠れようとしたという その時、自分を守ってくれるはずの「(旧)大日本帝国陸軍」はこう言ったという 「ここは国を守る兵士がいる場所だ おまえたちは足手まといになるから死になさい・・」と こう言って指揮官は手榴弾を渡したという

 こうして死んでいった沖縄県民は無念だったに違いない そういうことを伝え聞いた沖縄同胞たちは泣きくれたであろう そうして戦後、沖縄だけがアメリカに占領、統治され、土地は基地に取られた 婦女子は米兵に陵辱された 苦労の末日本に帰った時も米軍基地は残ったまま、本土の「身代わり」になった

 いったいだれが今頃になってこういう集会を開くだろうか?当たり前の本当のことさえ「教科書」の記述さえ削られ、「そんなことはなかった」ことになろうとしている 彼らの死は無駄になるのだろうか 戦争をした兵士でさえ「靖国神社」で祀られ、歴代の首相が参拝している それなのに手榴弾を渡された県民の死はまったく認められない-こんなことがあって良いのだろうか?

 ことの発端は政治を放りだし、投げ出したあの「A首相」が「美しい国」と言って、「今までの歴史を見直す」ことから始まった しかしその首相はぜんぜん「美しく」なかった むしろ醜かった こういう人が「見直した歴史」は「事実の歪曲」であった 沖縄県民が怒るのは無理がない 「超党派」という事実がそれを物語る 

 なぜ政府はここまでするのか? なぜ「旧軍は悪くない」とするのか? なぜ軍隊をかばうのか? 今の自衛隊とどういう関係なのか? 何を目指しているのか? 冷静に見つめ考えたいものだ ここで少し歴史を巻き戻したい 本当に日本が「美しい国」になるために

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