カナダ・ブラックコム・スキーエリアのスキーシーズン ― 2017年12月19日 23時25分52秒
今年もやってきたカナダ、昨年は奥地のバンフだったが、-35℃の寒波に見舞われ心まで凍ってしまった 今年はやや暖かいウィスラー・ブラックコム・スキーエリアに変更した
此処はおなじみ2010年のヴァンクーヴァー・冬季オリンピックが催された場所で知られる もう20年以上前から知っているが、このオリンピックを機にいろいろ便利になった
たとえばエリアの二つの山が中腹でギネス認定の大ゴンドラで結ばれ、気楽に全山が滑られるようになった 今までは最下部まで滑り降りてまた山頂まで上り直す繰り返しだった
さて写真はこのスキーエリア最高点2284mのホストマン・ハット傍の「イヌクシュク」(イラナーク)前で記念写真を撮っているファミリーの姿である この前を通過する人の半数が記念ショットを撮っている感じである
この岩の造形物はもともと先住民が目印、案内板として各地に立てた一種の石碑である だがこれはヴァンクーヴァー・オリンピック時にシンボルとして作られたものである エリア内に4つほどある
今年のこの時期はやや雪が少なく、ブッシュや岩が露出していた 先週は良い雪だったというし、来週も雪情報があるという その谷間の私たちは「チェッ!」と言うしかないが、このシーズンの初滑りとしてはまぁまぁと言うべきか
→内部リンク:ウィスラー・ブラックコム・スキーエリア
http://konotabi.com/Photo2017/CANWhistlerSkiarea/top.html
此処はおなじみ2010年のヴァンクーヴァー・冬季オリンピックが催された場所で知られる もう20年以上前から知っているが、このオリンピックを機にいろいろ便利になった
たとえばエリアの二つの山が中腹でギネス認定の大ゴンドラで結ばれ、気楽に全山が滑られるようになった 今までは最下部まで滑り降りてまた山頂まで上り直す繰り返しだった
さて写真はこのスキーエリア最高点2284mのホストマン・ハット傍の「イヌクシュク」(イラナーク)前で記念写真を撮っているファミリーの姿である この前を通過する人の半数が記念ショットを撮っている感じである
この岩の造形物はもともと先住民が目印、案内板として各地に立てた一種の石碑である だがこれはヴァンクーヴァー・オリンピック時にシンボルとして作られたものである エリア内に4つほどある
今年のこの時期はやや雪が少なく、ブッシュや岩が露出していた 先週は良い雪だったというし、来週も雪情報があるという その谷間の私たちは「チェッ!」と言うしかないが、このシーズンの初滑りとしてはまぁまぁと言うべきか
→内部リンク:ウィスラー・ブラックコム・スキーエリア
http://konotabi.com/Photo2017/CANWhistlerSkiarea/top.html
やっと来られた秋の修学院離宮 ― 2017年11月28日 18時49分28秒
京都には宮内庁関係の建物が多くある そのなかで「王朝文化施設」と呼べる物が四つある 一番が京都御所、次が桂離宮、そして修学院離宮と仙洞御所である (東京には皇居や赤坂離宮がある)
そのうち前の二つは過年すでに訪問済みで、この秋は後ろの二つを訪問した 宮内庁の施設見学は予約が必要である 往復はがきか公式ホームページで申し込み、許可をもらってから指定された日時に見学する 一見ややこしいが、無料というのが何よりだ
今回の仙洞御所は生憎の雨、しかもしっかり降って写真撮影は苦労した それでも修学院離宮は朝から快晴で風もない撮影日和であった 上の写真はこうして撮れた これで宮内庁の四施設の撮影は終わった お疲れさん
内部リンク:修学院離宮
http://konotabi.com/Photo2017/2017JPNKyotoShugakuinRikyu/top.html#kyoto4
内部リンク:桂離宮
http://konotabi.com/Photo2016/JPNKyotoKatsuraRikyu/newpage1.html
そのうち前の二つは過年すでに訪問済みで、この秋は後ろの二つを訪問した 宮内庁の施設見学は予約が必要である 往復はがきか公式ホームページで申し込み、許可をもらってから指定された日時に見学する 一見ややこしいが、無料というのが何よりだ
今回の仙洞御所は生憎の雨、しかもしっかり降って写真撮影は苦労した それでも修学院離宮は朝から快晴で風もない撮影日和であった 上の写真はこうして撮れた これで宮内庁の四施設の撮影は終わった お疲れさん
内部リンク:修学院離宮
http://konotabi.com/Photo2017/2017JPNKyotoShugakuinRikyu/top.html#kyoto4
内部リンク:桂離宮
http://konotabi.com/Photo2016/JPNKyotoKatsuraRikyu/newpage1.html
見応えある「湖東三山」の寺 ― 2017年11月24日 19時35分53秒
ほぼ毎年訪れる京都を中心とした近畿地方の社寺であるが、今年はさらに滋賀県や北陸まで足を延ばした
京都は京都御苑では仙洞御所、京都迎賓館、修学院離宮や北野天満宮、貴船神社、大原寂光院・・・である
滋賀は湖東を中心に石塔寺、いわゆる「湖東三山」といわれる百済寺、西明寺、金剛輪寺である
また北陸は七尾城、一乗谷朝倉氏館跡、越前大野城などである
以上述べた中で時期的にも紅葉がよかったのが「湖東三山」の寺々である いずれも琵琶湖の東の山にある天台宗の古刹であるが、ロケーション的に琵琶湖と近江盆地が見渡せる位置にある
年々紅葉が遅くなる傾向がある中で、今回は「ビンゴ!」の感じであった そのうちの一つの写真が、この金剛輪寺の名勝庭園のワンショットである
詳しくは内部リンク:「このたびのたび」:金剛輪寺
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaKongorinji/top.html
京都は京都御苑では仙洞御所、京都迎賓館、修学院離宮や北野天満宮、貴船神社、大原寂光院・・・である
滋賀は湖東を中心に石塔寺、いわゆる「湖東三山」といわれる百済寺、西明寺、金剛輪寺である
また北陸は七尾城、一乗谷朝倉氏館跡、越前大野城などである
以上述べた中で時期的にも紅葉がよかったのが「湖東三山」の寺々である いずれも琵琶湖の東の山にある天台宗の古刹であるが、ロケーション的に琵琶湖と近江盆地が見渡せる位置にある
年々紅葉が遅くなる傾向がある中で、今回は「ビンゴ!」の感じであった そのうちの一つの写真が、この金剛輪寺の名勝庭園のワンショットである
詳しくは内部リンク:「このたびのたび」:金剛輪寺
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaKongorinji/top.html
備中国分寺と向日葵 ― 2017年07月22日 21時07分33秒
ここは岡山県総社市にある備中国分寺、といってもあの聖武天皇時代のものではない 国内のほとんどの国分寺で当時の物が残っている例は大変少ない
ここも南北朝時代の兵乱他で焼失し、この五重塔なども江戸期の物である 屋根の形はまさに江戸時代のもので、山口にある「日本三名塔」のひとつである瑠璃光寺のそれとは比較にはならない
それでも旧山陽道近くに立つこの寺の塔は岡山人にとっては大好きな歴史建造物の一つである 近くには日本でも十指に入る前方後円墳作山古墳と造山古墳が二つもあり、古い神社の一つ吉備津神社があり、秀吉の水攻めで知られる備中高松城祉も遠くないところにある
そういう歴史のふるさとにある備中国分寺は向日葵が真っ盛りである こうして季節ごとに植える花を変えてゆく地元の農家の方たちのご努力には頭が下がる
ここも南北朝時代の兵乱他で焼失し、この五重塔なども江戸期の物である 屋根の形はまさに江戸時代のもので、山口にある「日本三名塔」のひとつである瑠璃光寺のそれとは比較にはならない
それでも旧山陽道近くに立つこの寺の塔は岡山人にとっては大好きな歴史建造物の一つである 近くには日本でも十指に入る前方後円墳作山古墳と造山古墳が二つもあり、古い神社の一つ吉備津神社があり、秀吉の水攻めで知られる備中高松城祉も遠くないところにある
そういう歴史のふるさとにある備中国分寺は向日葵が真っ盛りである こうして季節ごとに植える花を変えてゆく地元の農家の方たちのご努力には頭が下がる
彦根城の夜景 ― 2017年07月12日 22時22分20秒
以前から行ってみたかった城(跡)が二つあった 一つは石田三成の佐和山城ともう一つは浅井長政の小谷城である
彦根には何度も行っているが、近くの佐和山城は行けていなかった 小谷城は相当むかしに行っていたが、HP用のいい写真が残っていなかった そういう訳で今回行くことにした
梅雨の合間なので、天気をみながら彦根に宿をとった 写真はそのホテルからの彦根城の夜景である 堀脇のまことにロケーションのいい宿である
閑話休題、翌日まず佐和山城に行った 登り口には龍潭(りょうたん)寺がある 井伊家が浜松から来るとき、分家したような寺で、現在も彼の地の井伊谷に同名のご本家がある
その山門脇には石田三成座像があった そこから墓地を通って山道を上がる 途中にも廓はあまり残っていない 山上の本丸跡にも何もなかった ほんの少しの石垣と井戸跡があるだけだった
関ケ原後、当地に転封された井伊直政以後、この城や他の城から材料を持って行って彦根城を作ったからである 良く言えば「廃物利用」だが滅んだものは儚い
小谷城には昼から行ったが、そこの方が廓跡や石垣が多く残っていた 城主はもちろん信長の妹「お市」の夫の浅井長政である 最後には信長に滅ぼされた この城で自害して果てた まことに儚い
それでも3人の娘たちはそれぞれ後代の歴史を作ったことがよく知られっている 戦国の世は数えきれないストーリーを持っている
(内部リンク)
近江国・石田三成居城・佐和山城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaSawayamajo/top.html
近江国・浅井長政居城・国史跡・小谷城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaOdanijo/top.html
彦根には何度も行っているが、近くの佐和山城は行けていなかった 小谷城は相当むかしに行っていたが、HP用のいい写真が残っていなかった そういう訳で今回行くことにした
梅雨の合間なので、天気をみながら彦根に宿をとった 写真はそのホテルからの彦根城の夜景である 堀脇のまことにロケーションのいい宿である
閑話休題、翌日まず佐和山城に行った 登り口には龍潭(りょうたん)寺がある 井伊家が浜松から来るとき、分家したような寺で、現在も彼の地の井伊谷に同名のご本家がある
その山門脇には石田三成座像があった そこから墓地を通って山道を上がる 途中にも廓はあまり残っていない 山上の本丸跡にも何もなかった ほんの少しの石垣と井戸跡があるだけだった
関ケ原後、当地に転封された井伊直政以後、この城や他の城から材料を持って行って彦根城を作ったからである 良く言えば「廃物利用」だが滅んだものは儚い
小谷城には昼から行ったが、そこの方が廓跡や石垣が多く残っていた 城主はもちろん信長の妹「お市」の夫の浅井長政である 最後には信長に滅ぼされた この城で自害して果てた まことに儚い
それでも3人の娘たちはそれぞれ後代の歴史を作ったことがよく知られっている 戦国の世は数えきれないストーリーを持っている
(内部リンク)
近江国・石田三成居城・佐和山城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaSawayamajo/top.html
近江国・浅井長政居城・国史跡・小谷城(滋賀県)
http://konotabi.com/Photo2017/JPNShigaOdanijo/top.html
清須城の信長と濃姫像 ― 2017年06月21日 20時52分02秒
長い間の懸案であった名古屋城、小田原城の写真を撮りに行った 途中であの「清州会議」でしられる清州城に寄った この城は江戸初期に廃城になったので当然存在しない 因みに後に造られた名古屋城には此処から移築したとされる「清洲櫓」がある
それでもなんと「立派な天守閣」があった 1989年に造られた模擬城である 場所も外観も異なる現代の城である それでも無いよりは心ときめく
本当の城は川の反対側にあった 今は清州公園になっている その小高い丘の木立の中に信長とその妻濃姫の像があった やや地味ともいえる像だったが、歴史ロマンは十分感じさせられた
此処には15c後半、守護代であった信長の父、信秀が入城した のち信長がこの城を居城にした そこから「天下布武」が始まる 彼の妻「濃姫」は文字通り「美濃の姫」、斎藤道三の娘である だが歴史には詳しい逸話は残っていない 映像の世界を含めて想像の世界である
近くに信長を祀る小さな祠があった 説明がなければ傍に来ても気が付かないようなものである 信長の墓、慰霊塔は京都を初め各地に点在する 存在の大きな人物である
清州城は関ケ原後、徳川義直が入城したが、西国大名の築城による立派な名古屋城ができると廃城となり、尾張の中心は名古屋に移った 移ろう戦国の歴史である
内部リンク・・清州城
http://konotabi.com/Photo2017/JPNAichiKiyosujo/top.html
それでもなんと「立派な天守閣」があった 1989年に造られた模擬城である 場所も外観も異なる現代の城である それでも無いよりは心ときめく
本当の城は川の反対側にあった 今は清州公園になっている その小高い丘の木立の中に信長とその妻濃姫の像があった やや地味ともいえる像だったが、歴史ロマンは十分感じさせられた
此処には15c後半、守護代であった信長の父、信秀が入城した のち信長がこの城を居城にした そこから「天下布武」が始まる 彼の妻「濃姫」は文字通り「美濃の姫」、斎藤道三の娘である だが歴史には詳しい逸話は残っていない 映像の世界を含めて想像の世界である
近くに信長を祀る小さな祠があった 説明がなければ傍に来ても気が付かないようなものである 信長の墓、慰霊塔は京都を初め各地に点在する 存在の大きな人物である
清州城は関ケ原後、徳川義直が入城したが、西国大名の築城による立派な名古屋城ができると廃城となり、尾張の中心は名古屋に移った 移ろう戦国の歴史である
内部リンク・・清州城
http://konotabi.com/Photo2017/JPNAichiKiyosujo/top.html
さりげない鴨川の春 ― 2017年04月30日 11時56分26秒
春雨の平安神宮 ― 2017年04月29日 22時04分39秒
またまた来てしまった春の京都 そしてまたまた訪れた春の平安神宮 ここは古来の神社ではないが、そのお庭が素晴らしい 足が向いてしまう
ところがこの日は曇りのち雨のお天気だった 時期的にソメイヨシノはほとんど終わっていたが、八重の枝垂れは散りかけてはいたものの何とか持ちこたえていた
庭園の池にはすでに花筏ができ、それはそれで魅力的だったが、池淵の老桜木は雨の中でまるで狩野派のような風情で立っていた それがこの写真である
内部HPリンク:「平安神宮」
http://konotabi.com/Photo2017/JPNKyotoHeianJingu/top.html
ところがこの日は曇りのち雨のお天気だった 時期的にソメイヨシノはほとんど終わっていたが、八重の枝垂れは散りかけてはいたものの何とか持ちこたえていた
庭園の池にはすでに花筏ができ、それはそれで魅力的だったが、池淵の老桜木は雨の中でまるで狩野派のような風情で立っていた それがこの写真である
内部HPリンク:「平安神宮」
http://konotabi.com/Photo2017/JPNKyotoHeianJingu/top.html
京都・桂昌院縁・善峯寺の春 ― 2017年04月28日 23時03分27秒
京都の秋は素敵である だからと言って京都の春が負けているわけではない そういう町に年二回はきちんと行ってきた 今回は日本人と外国人観光客が比較的少ない場所である 最近の京都観光の人出はやや異常ともいえる多さである
そういう中で比較的「地味」なのが「西国三十三か所」巡礼の寺である 以前、妻の「西国巡り」に付き合って訪れた寺であったが、春の様子が見たくて再訪した
この寺は京都の西の山上にあって見晴らしが大変に良い さらに五代将軍綱吉の母である桂昌院に大変な縁がある 境内にも遺髪塚をはじめ、寄進により大いに復興した様子が見て取れる
写真は「紫陽花と桜の庭」のうち「春の桜」の様子である 今年は遅かった京の春であったが、すでにソメイヨシノは終わっており紅の濃い八重の枝垂れは「春爛漫」を謳歌していた そういうすてきな光景である
内部HPリンク:「善峯寺」
http://konotabi.com/Photo2017/JPNKyotoSpYoshiminedera/top.html
そういう中で比較的「地味」なのが「西国三十三か所」巡礼の寺である 以前、妻の「西国巡り」に付き合って訪れた寺であったが、春の様子が見たくて再訪した
この寺は京都の西の山上にあって見晴らしが大変に良い さらに五代将軍綱吉の母である桂昌院に大変な縁がある 境内にも遺髪塚をはじめ、寄進により大いに復興した様子が見て取れる
写真は「紫陽花と桜の庭」のうち「春の桜」の様子である 今年は遅かった京の春であったが、すでにソメイヨシノは終わっており紅の濃い八重の枝垂れは「春爛漫」を謳歌していた そういうすてきな光景である
内部HPリンク:「善峯寺」
http://konotabi.com/Photo2017/JPNKyotoSpYoshiminedera/top.html
やはり美しい日本三名塔 ― 2017年04月11日 22時47分28秒
ここは山口市にある瑠璃光寺、この塔は国宝で三名塔のひとつ五重塔である 他の二つは法隆寺五重塔と醍醐寺五重塔である
ご存じ「大内氏の文化」である 屋根の反りは曲線的で美しく、三名塔の中でも際立っている 作家司馬遼太郎が「山口は良い塔をもっている」と絶賛した塔である
姿が美しい上、周辺の桜と相まって見た人の記憶から消えることがない景色である 写真を見ていただければ、これ以上の説明は不要であろうか そういう場所にまた来てしまった
<内部リンク>
雪舟ゆかりの山口・島根の寺社の春
http://konotabi.com/Photo2017/JPNYamaguchiShimane/top.html
ご存じ「大内氏の文化」である 屋根の反りは曲線的で美しく、三名塔の中でも際立っている 作家司馬遼太郎が「山口は良い塔をもっている」と絶賛した塔である
姿が美しい上、周辺の桜と相まって見た人の記憶から消えることがない景色である 写真を見ていただければ、これ以上の説明は不要であろうか そういう場所にまた来てしまった
<内部リンク>
雪舟ゆかりの山口・島根の寺社の春
http://konotabi.com/Photo2017/JPNYamaguchiShimane/top.html
最近のコメント