おじさんが最近気になる「現代用語または使用法」その一・「父兄」「子女」2007年05月12日 11時54分07秒

この欄は「旅ブログ」のたび内容ではありません 番外です
それは「言葉の乱れ」「言葉の揺れ」です だからといって「最近の若い者は!」とかは言いません 「ベービー・ブーマー」のわたしたちがまだ若かってころも、年長者から「それおかしいぞ!」とか言われていたし、マクロ的に歴史的に言うと,すでに平安・鎌倉期からそういう問題が、言われていたからです

もちろん言葉も生き物ですから、時代とともに変遷して当たり前のことです 問題は使っている人、グループにしかその言葉が通用しないことが問題でしょう また時代の変化に対応できない「古い方」がいるのも事実です

さて第一回は有名な「(ご)父兄」という語について書いてみましょう
(中高年・マスコミがなぜか多用)

「ご父兄」・・正確には「保護者」である 時に教育関係者などで「父母のみなさん」とかいって少し進化したような表現をしているが、今のこの世の中子供を育てるのは父母以外に祖父母もオジ叔母も兄姉もいるし、施設にいる子も多くいる 

いま離婚(バツイチ)・育児放棄・貧困など社会問題が多く存在する またご父兄の父は文字通り父、兄は年長の男だ 封建的な言葉だ 母や姉のような女性は家庭教育を代表することさえ認められていないのか?

以前、私の身近な学校の校長が参観日に「ご父兄のみなさん・・」と何度も呼びかけていた 会場には祖母も祖父も来ていた 朝のテレビ報道番組で、酒の大好きな陽に焼けた顔のいつも高額所得番組に登場する名物大司会者が「ご父兄はね・・」と言っていた さすがにコメンテーターが「保護者です」と小さな声で補足していたが・・ そういう世の中をリードする方たちがその程度の認識である

さて「海外子女教育」という官製の封建的な語がある 日本経済の発展にともなって日本人技術者・ビジネスマン数十万人が海外に生活・活動した そのうちの一部が家族連れであった 当然子供の教育が問題となる 一部の在留日本人が多い町には「日本人学校・補習校」が設置された そこから帰国した児童生徒や現地校卒業者は帰国後ずっと「帰国子女」と呼ばれている その帰国はまだしも「子と女」は少々ひっかかる 

「子」とは子供の総称だが、男子の敬称、大人でも学問上一家をなしたもの(孔子など)もいう だが「女」は性による分類で尊称ではないらしい むしろ姓名の後に女をつけて「下」においていた(「藤原○○の女」など) 当時女性は名前さえ残せなかった とにかく「子女」という言葉自体が古い

 それならいっそのこと、「帰国留学生」または「帰国児童生徒」と言えばよい だいたい外国に住んでいたものを「特別扱い」する発想は「外国人」を「ガイジン」と呼ぶのに通じているように思う

 このようなグローバルな時代、日本と外国を明瞭に分けて、はっきり区別しようとする発想自体が大変古い 幕末明治からあまり進んでいない みなさんはいかが思われるだろうか

私の大好きなシュニッツェル!2007年02月09日 11時36分14秒

うんまいシュニッツェル
みなさんはシュニッツェルてご存じか? 簡単に言うと、要するに「たたきのめして平たくした薄型カリカリ豚カツ」と思って欲しい

私が初めて食したのが、今から27年前のウィーンのレストランであった 揚げたてのカリカリの「ウィンナ・シュニッツェル=ウィーン風豚カツ」にレモン汁をたっぷりかけ、フライドポテトといっしょに食べた

この場合、飲み物は断じて地ビールしかない! これでワインを頼む人はどうかしてる・・というのは私の独断と偏見であるが・・ まあこれが合う合う!どうしてもビールは「ノッホ・アインマル(もういっぱい)」ということになる

もともとシュニッツェルはビーフだったらしいが、豚が安いのでいつの間にか本場でも豚になっている だから特別に頼まないと、ポーク・シュニッツェルが出てくる 実は私もビーフは食べたことがない それでもいっこうに構わない

わたしは「幼少」のころからカレーと豚カツが大好きで、一週間食べても平気な人間であった だからヨーロッパにも「擬豚カツ」があったのには驚いたし嬉しかった それ以来、行く度にウィーンだけでなくオーストリアでは「シュニッツェル」を頼む 決して高級料理ではないが、それだけで幸せである

今回隣の北イタリアに行って滑った ところがこのパスタとピザの国に「シュニッツェル」があったのだ それも2000mを越えたスキー場のロッジで! 私は歓喜した 写真如く、子どもの草鞋大の物が出てきた ああああー、ビールでのどがなるなる!

ここは国境を境にオーストリア・チロル地方である さすがに料理も影響しあっているのだ こういう国際交流はたいへん良い ただイタリアの名誉のためにいっておくが、スキー場ロッジの中には、うんまいピザを食べさせる所もあった これも大変美味であった とにかくイタリア人はグルメといって良いのだ ただ滑るだけがスキー場ではない 不味いスキー食を食わせる日本のスキー場も早くマネて欲しいものだ

めずらしいヴェネズエラ発信の日本人ブログ2007年02月06日 11時57分09秒

めずらしいブログがある 南米のヴェネズエラ在住者によるブログである 
http://venevene.at.webry.info/

今世界に住む又は長期旅行の日本人は軽く100万人を越えるというから、小さな県の人口より多い だからドイツとかアメリカとかの在住者または留学生のブログはたくさんある それぞれが経験や異文化体験を書いていて、それなりにおもしろい

しかし日本人が少ない地域、国のHPやブログは当然少ない 情報がほしい-と思っても、英語、フランス語、スペイン語、中国語などができなければそれもままならない まあ最低、英語くらいは辞書片手に意味が分かっても、他の言語はお手上げだ 

そういうなかで、南米のヴェネズエラという「ふつうの日本人」になじみの薄い国で生活されている「元OLさんの生活日記」は、かの地の生活の様子が分かって異文化理解にも役立つ 旅行を予定されている方にも情報として助かる部分もある

特に食べ物については、どうも筆者にこだわりがあるみたいで具体的である もっと言うと、レシピや写真まで付いているので、日本にいてもほとんど「再現」できる 「ほとんど」というのは、一部日本で手に入らない材料があるからである それにしても「食べること」は彼女の人生の重要な部分らしい

文に必ずつく写真も上手に撮れていてキレイだし、文章も軽妙で読みやすい 現地に住む日本人の目から見るので、「日本人としての立場・見方」からは抜け出せていないが、日本文化との相違そのものはよく分かる これに客観性を持たせればさらに読みやすくなるだろう

また最近では「水道管破裂」とか「金持ちの見分け方」などというこれから赴任する人にも何らかの形で役立ちそうな情報もある 「そういう国だ」という予備知識があれば「カルチャー・ショック」は少ないかもしれない

そういう私もアフリカのアルジェリアに3年暮らしたことがあるが、当時はネットもなく、あまりにも情報が少なすぎて、当初は相当の「カルチャー・ショック」があった ヴェネズエラの国そのものに関心がある方、彼の地に訪問予定がある人や南米文化に興味がある方は、このブログを覗いてみたらいいだろう

魅力的だったハンガリーの墓地2006年12月02日 16時14分11秒

ファルカシュレート墓地
 最近また秋の写真を撮って載せている ここで一年前を思い出した 東欧ハンガリーの秋色の中でリュックを担いで一人で歩いていたのだった あの時の秋色は素晴らしかった しかし日本の秋は最近なぜか色が悪いのだ

 彼の地のそういういう秋景色で特に感動したのが、「墓地」だった 日本では墓地を好きでない人は多いが、西洋の墓地は美しくて明るいかまたは清潔で、墓石も日本のように威圧的でも画一的でもない アメリカの墓地は芝生がいっぱいで、石は地面に埋め込まれている 子どもが走ったりキャッチボールが出来るし、弁当持参でピクニックも出来る

 ハンガリーの首都ブダペシュトのファルカシュレート墓地は歴史が古いので、アメリカのように明るくピクニック的ではない その代わり自然の中で、歴史を感じさせる趣や、花があふれるほど素晴らしく多くて「また見に行こうか」という風情がある そして墓が石だけでなく、故人の職業や人柄を表す彫刻やレリーフ、オブジェなどになっている だから、私のような通りすがりの「アカの他人」が見ても楽しめる

 写真の墓も「これって本当に墓なの?」と言うくらい素敵である まるで公園のオブジェだ きっと故人も喜んでいるだろうし、子孫も自然と墓参りに行きたくなるだろう またそのまわりが素晴らしい紅葉だった 秋色を見ると自然とその墓地を思い出してしまう ハンガリーは魅力的な国である

写真リンク:「ハンガリーの墓地」
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/photoalbum/hungarycemetery1/farkasreti.htm

たぶん今年最後の月下美人2006年11月01日 10時28分05秒

月下美人
 朝晩が少し肌寒い感じの昨今、今年最後の「月下美人」が咲きました この株は十年くらい前に、知人からいただいた物 夏は日陰、冬は温室でまあ大事にしてきました 液肥を与えるくらいで、取り立てて何かはしていませんが、毎年数回に分けて計20つ以上咲きます 今回は7つ一斉です

 咲く時は前日から蕾が急に大きくなって、「ああ明日だな」と感じられます 当日の朝はますますふくらんで、「これは今晩だ」とはっきり分かります 夕方になると、両手を合わせたような蕾が少しずつほどけていく感じで、期待がふくらみます 開花は必ず夜の8時以降で、9時、10時くらいがピークの感じですが、毎回少しずつピークが変わっているようです 

 その澄んだ白色は、蓮の白よりも美しいと思うくらいです 香りは強烈で、まるで南国の香りを身につけた貴婦人が近くにいる感じなのです 思わず花の前まで鼻を持っていってしまいます

 しかしこの花の寿命はとても短いのです 夜半には窄みはじめ、朝には萎びた哀れな姿になってしまいます これはもう見たくない姿 それでも昨夜の美しさと香りはまだ鮮烈に脳裏に残っています こういう儚い花は好きです 「また来年きっと咲いてね」と私はつぶやくのです

アルクマール市庁舎の結婚の席(オランダ)2006年10月31日 08時43分20秒

アルクマール市庁舎の市長席
 上はオランダのアルクマール市庁舎にある小ホールである そして市長側から見た結婚カップルの席である ヨーロッパでは、町の中心に大きな広場がある(「市場広場」という名前が多い) その広場に面してあるのが、市庁舎と教会(聖堂)である

 結婚する二人は当然ながら教会において、牧師(神父)と親族・友人の立ち会いで式を挙げる これは神と「身内」の前で、「永遠の誓い」をすることを意味する 正確には「神と二人の契約」で、親族は立会人なのであろうか 

 その後で同じ広場にある市庁舎に歩いてゆき、ここで市長立ち会いのもとで、結婚の届け(結婚の誓い)をする 当然、市長の人生訓やサインをもらうことになる こうして若い二人は、「コミュニティーの一員」になったことを、自ら確認するのである ここに、「市民」が町を動かしてきた歴史が仄かに見える

 日本でも最近、市長室でそういうことをする所もあるというが、一般的には、二人の代理で親族が市民課の窓口に事務的に申請することも多い 民間式場と市役所が遠かったり、式と披露宴の後にすぐ新婚旅行に出てしまうからである

 もう一つの相違は宗教である ヨーロッパでは宗教(主にキリスト教)は「生活の規範」となっている 聖書はその国の言葉で書かれていて、誰でも読めば意味が分かるし、身近な生活に応用できる ところが日本では信者など一部の人々は別として、普通の人は宗教がなかったり、熱心でなかったりする また「祝詞」や「般若心経」は読んでもすぐには意味が不明であるから、あまり社会規範にはならない

 そうなると、結婚式の時だけ「にわか信者」になって、神社であげたり民間の式場に神主に来てもらって式を挙げる(神道) たまに「仏前結婚」というのがあるが、法事とは別であまり人気はない(仏教) それらが「ダサイ」という人たちは、キリスト教徒でもないのに「ニセ信者」として式を挙げる

 だからこういう一連の作業のなかで、日本で役に立つ「ありがたい話」は、披露宴の時の「来賓の祝辞」だけである しかしこれを聞いている人は少なく、たいていは酒を注いでいるか飲んでいる しかも最近は金を出す親の見栄などもあってか、披露宴ばかりが妙に派手になっている

 もちろん社会や親戚づきあいのあり方、社会状況、文化、歴史が違うので、これ日本型が悪いとは一概には言えないが、私にはなにか新婚の二人が「本当の主人公」に見える質素なヨーロッパ型が好ましく思われる

秋といえば「新蕎麦」、「新蕎麦」といえば出雲2006年10月28日 23時12分47秒

出雲の新蕎麦
 秋は食べ物が美味しい 秋になって思い出すのは、数年前に行った出雲(島根県)で食べた新蕎麦である 取れたての蕎麦も混ぜる比率で、口当たりがまったく違う そば粉の比率が高くなると、口当たりは滑らかではなくなる その代わり、蕎麦のあの香りがつよく口中を漂う それでいて素朴な香りは絶品である

 おかずも何もなくても、軽く二、三杯はいけるのだ 最近はヨーロッパで旅行していたので、日本的な食べ物が特に恋しい 大韓航空の機内食のビビンバも決して悪くはないが、日本人ならやはり日本蕎麦である 札幌ラーメンも悪くはないのだが、歳とともに日本蕎麦がなぜか食べたくなる また蕎麦を山陰に食べに行こうと考えている昨今である

大韓航空の「おめざ」はライス・ポリッジ<米粥>2006年10月26日 12時25分17秒

大韓航空のお粥
 写真はコリアン・エアーの朝一番の機内食である 一見粗末に見えるが、これが最高の機内朝食だと思う 十時間以上飛行機に揺られて、運動量はゼロに近く、体もまだ目覚めていない こういうときは、ハムエッグもドレッシングをたっぷりかけたサラダも要らない お粥だけで良い しかも大韓航空では例のキムチが付いている

 お粥の歴史は古く、中国では中華粥、韓国でも病人老人食だけでなく、薬膳として今でも日常食である わが日本でも、稲作が始まった縄文後期からすでに存在したらしい 平安以降は上流階級は米の白粥、中流以下は雑穀粥で「愛用」していた

 ところが、いつの間にか我が国では、「粥」は老人、病人または貧しい人が中心的に食べる物になってしまった だからイメージがやや悪い ところがこんなに「消化・吸収」の良い食べ物はない 韓国でも中国でもその種類は多く、滋養になる物を混ぜたりつけ加えている 

 「飽食」「過栄養」「西洋化した食事」「成人病気味」の日本人も、そろそろこういう素朴で歴史の長い食べ物を見直す時を迎えているのではないか 修行中の僧侶が、これで命を保っていることを考えれば、むしろ「体の軽量化」のためには、むしろ「現代人の望ましい食事」といえないだろうか?

「せこい」ベルギー・ブリュッセルのパーキング2006年10月25日 11時10分10秒

駐車違反の車
 写真はベルギーの首都ブリュッセルの中央駅近くにあるパーキングの車である ワイパーに挟んであるのは、「おなじみ」の違反切符である こういう光景は日本でも多いが、ここのはやや「せこい」感じがするのだ

 それはこういうことだ 私もここまで車を運転してきて、観光や換金のために停めようとしていた ここも日本同様、駐車券を買って窓に貼り付けるようになっている ところがまわりにある販売機はすべてキャッシュのコインが「使用不能」になっていた

 私もコインが何度も返ってくるので、近くの4台ある機械すべてに挑戦したが無駄だった 困っていると親切な男性が、カードであっけなく買ってくれた 機械は専用カードでしか買えなかったのだ だが、機械にはそういう表示も掲示もなかった

 →その辺のことはマイHPで:
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/BeneluxDrive/Benelux5_8/Day5_8.htm#Day7

 話は戻る 上の写真は私に車ではなく、販売機の真ん前に駐車してあった車である だからこのドライヴァーは「販売機があることを知らなかった」のではなく、たまたまコインの持ち合わせがなかったのだろう そうすると、専用カードで買うしかないが、近辺には売店もなにもない場所である 仕方なく、ついそのままにしたのだろう 見ると近くにも同様の車が何台もあった 

 ベルギーは小さな国である ドイツ、オランダからも数時間で来ることが出来る 当然旅行者は「カード」などは持っていない コインが使えないようにしてあるので、ここで駐車するのを止めるか、無視して駐車するしかない

 それにもかかわらず、警察は定時に検査にやってくる そうなると写真のようなことが起こってくる 実は私はすでに前日にアントワープという町で、レッカー車に持って行かれたばかりであった 「わが人生初のレッカー車」であった それにしても、ここの警察はやり方がセコイ

 →その辺のことはマイHPで:
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/BeneluxDrive/Benelux5_8/Day5_8.htm#Day6

「介助犬」が活躍する国2006年10月10日 18時33分37秒

列車の中の介助犬(オランダ)
 この写真はオランダの列車内のものである。割に「二階建て列車」が多いこの国の国鉄だが、そのため床はフラットではない。乗車すると、階段で上がるか、下りるかである。それでも足の悪いこの老婦人は、「よいしょ」と二階に上がってきた。入り口に座っていた人が、当たり前のように席を譲った。

 いっしょにいる犬は「介助犬」だろう。その婦人が「座りなさい」と言った(と思う)ら、静かに伏せて吠えもしない。ただじっとしている。ただ耳と目だけが動いている。起きあがっても静かである。私はまずこれに感心する。

 外国を旅行すると、いつも生活の中の犬が目につく。盲導犬、介助犬である。よく訓練されている。レストランのテーブルの下に伏せて主をじっと待つ。テーブルでは、飼い主がステーキを食べている。きっと鼻の良い犬には「拷問」だろう。もちろん「ワンワン」とも鳴かないし、「肉をくれ」とおねだりもしない。そしてそういう犬を受け入れるレストラン、公共施設が多い。

 日本ではこういう犬が少ないし、受け入れる店などが少ない。また介助犬でない犬も受け入れているレストランが多い外国と違って、日本ではそういう店も少ない。いちばん問題は、日本の飼い主が犬を甘やかしているため、まわりに迷惑をかけていることだ。日本人は「愛すること」と「甘やかす」ことを混同している。これは子どもの教育にも言えるかも知れない。