三大宗教が仲良く同居する台北空港2010年10月24日 22時23分35秒

台北空港の三大宗教の礼拝室
 写真は台北空港の隅にあるイスラム教・キリスト教・仏教という「世界三大宗教」の礼拝室である 他の国の空港でも似たような状況である しかしわが日本国内の国内線空港ではあまり見かけない そういう意味ではこういった景色は日本人には目新しい

 日本人は歴史上「神仏混淆」を通してきた時代が長かった 現在は憲法で「信仰の自由」が明記されてからは、公の場では宗教色が希薄になった また公共の場でお祈りする人々の姿を見ることはあまり無くなった

 しかし世界中のイスラム教徒が一日五回はマッカ(メッカ)の方向に向いて実際に礼拝(お祈り)をしている どこにいても何をしていても祈る(ことになっている) 例え旅行中でも例外ではない これは「戒律」だから当然である

 以前、韓国の仁川空港でモスレム(イスラム教徒)が解放空間の広い待合いスペースの片隅で携帯用じゅうたんを広げて一所懸命祈っていた アジアのハブともいえるこの大空港の「礼拝室」がないとは思えないが、きっと見つけられなかったのだろう

 そういう意味では、この写真の場所は彼らにとって「大事な場所」なのである ここでは仏教徒とモスレムとクリスチャンが同時に祈ることもあるだろう 祈りは「世界の平和」であればいいが・・ 

 因みにアラビア語の「サラマレイコム」(こんにちわ)は「あなたに平和・平安を」という意味であるし、イスラエル語の「シャローム」も同義である

少しだけ前進した今年の広島平和式典2010年08月07日 00時06分06秒

 「マグサイサイ賞:秋葉・広島市長受賞 被爆者たちの活動評価
 秋葉忠利・広島市長は<大変光栄。核兵器のない世界に向けた被爆者や平和市長会議などによる世界的規模の活動が評価された結果と受け止めている。被爆者・被爆地、そして平和市長会議を代表して受賞させていただきます。核兵器のない世界を(平和市長会議が掲げる目標の)2020年までに実現するため、より一層力を尽くしたい>とコメントした。」(毎日jpより転載)

 数日前のニュースである ノーヴェル平和賞とはいかないまでも、「核廃絶」の努力をする広島市長がこういう賞をいただいたことは、一日本人としても喜ばしい さらに本日の広島平和式典に国連事務総長のバン・ギムン氏(韓国)が出席し演説したことも、一歩前進といえる また米英仏の代表が初めて出席したことも注目に値する

 米国の代表である駐日ルース米大使が広島式典に参加したのは、オバマ大統領の意図(指示)らしい クリントン国務長官がTVで話していた しかしTV画面では大使はずっと仏頂面でスピーチもなかった どうやら本意ではないらしい

 米国内でも米大使の平和式典参加にかなりの反発があるという TVのニュースによると、原爆投下の機長ポール・ティベッツの遺族は「何で大使を式典に出したんだ?」と反発していた 今でも米国民は99%が「原爆投下は戦争終結に必要だった」と心から思っているという

 こうした米国民の認識が間違いということは、歴史的事実が証明している 当時の米大統領トルーマンは戦後の来るべき「米ソ冷戦」に備えて、原爆実験・原爆投下に「GO」サインを出したという 

 当時すでに日本の敗色は濃厚で、反撃する人的物的資源は失われていた 情報戦に秀でていたアメリカは、何も知らされずにいた日本国民以上にそれを知っていたはずだ いくら日本が始めた戦争とはいえ、広島・長崎市民は死傷させられる必然性は全くなかったのである

 いずれにしても、すでに終戦(敗戦)から65年が経過し、風化している「悲惨な戦争体験」だが、今年は少しだけ「前が開けた」感じがするのは筆者だけだろうか? 終わりに「秋葉市長のマグサイサイ賞受賞は故佐藤栄作首相のノーヴェル平和賞受賞より遙かに値打ちがある」ことを付け足しておく

外部リンク:「マグサイサイ賞」(Wikipedia):
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%A4%E8%B3%9E
外部リンク:「秋葉忠利」(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%BF%A0%E5%88%A9

先住民アボリジニの聖地、カタジュタ2010年05月28日 18時31分31秒

オーストラリアの巨岩群・カタジュタ
 写真はオーストラリア中心部 砂漠の中にある巨大な岩石群、カタジュタである 先住民の言葉で「多くの頭」という意らしい 白人たちはオルガと言ってきた ユネスコ世界遺産である

 此処は先住民の聖地で夜間に儀式が行われるという ここからは最も有名な一枚岩・ウルル(白人はエアーズ・ロックと呼ぶ)も直ぐ近くで、頂上まで登ることが出来るウルルからは一望できる 

 この二つの世界遺産の地域には「国立公園入山料」が必要である その一部は先住民にも「還元」されるらしい 公園口にはレンジャー駐在小屋があり金を払う レンジャーはあちこちで仕事をしており、ガイドの役目も果たす

 カタジュタは正確には一枚岩ではなく、巨岩群と言った方がよい 岩の間は長い谷になっており、散歩用トレックがあって展望所も設置されるが、いわゆる「風の谷」は植生も含めチャーミングなスポットになっている

 日本人にはよく知られる「エアーズロック」と違って、リピーター以外にはさほど知られていない アニメ「風の谷のナウシカ」のモデルか?とも騒がれたこの場所だが、スタジオ・ジブリは否定しているという

 写真は2001年にキャンピングカーでラウンドした時の物で、日没直前の写真である この美しさは今でも忘れられない オーストラリアへお行きの方は是非、世界最小大陸中央部の「ウルル・カタジュタ国立公園」へお行きになることをお薦めする

→内部リンク:オーストラリア一周・キャンピングカーの旅
http://konotabi.com/homepictures/picture3aus.htm

アンネ・フランクをサポートした「ミープ」さんが死去2010年01月21日 22時52分49秒

 「アンネ・フランク」の名前を知らない者はこの国では少ない 中高年のたいていの人は、学校時代の授業などでその名を聞き、また課題でレポートなどを書いた(今の若い人たちのことは知らないが・・)

 筆者もオランダ・アムステルダムの「アンネの家」を訪問したし、また別の機会にポーランド・アウシュヴィッツ収容所を訪れた それらの印象・感想は親HPに書いてある

 マイHP「アウシュヴィッツ強制収容所」:
http://konotabino-tabi.sakura.ne.jp/auschwitz/toppage.htm
 
 マイHP「旅にまつわる話・アンネ=フランクの家」:
http://konotabi.com/niceshortstory/story21/AnneFrankHuis.htm

 またハリウッド映画やTV番組や多くのドキュメンタリーを見てきた アンネの家族以外にそういう中に必ずでてくるのが、家族を支えてくれた人たちである いくつか作られた映画の中で必ず登場するのが、「ミープ」Miep Gies (ミープ・ヒース) である 

 屋根裏でナチや住人たちの目を避けて暮らすアンネたちに、何かにつけて援助・協力したのがミープであった 彼女のおかげでファミリーの一部は「生き残った」 その一人の父の尽力で「アンネの日記」が刊行され、世界にナチの残虐性などが喧伝された

 残念ながらアンネも姉マルゴットも強制収容所内で病死したが、ユダヤ人でもないミープたちの愛と優しさは人々の心に焼き付いたのである

 マイHP「アンネたちの墓(ベルゲン・ベルゼン強制収容所)」
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/auschwitz/explantn/top.htm

 その「ミープ」が2010年1月11日亡くなった アムステルダムで100歳で死因不明だそうである(AP・日経) それにしても、アンネをかばってもナチに殺されずよくも生き延びたものである いずれにしても歴史上の彼女の役割は大変大きい 彼女が隠し持って保管していたのが「アンネの日記」原本なのであったから・・ 

今は彼女の冥福を祈るばかりである

ポンペイのなにやら怪しい「案内板」2010年01月04日 17時07分33秒

イタリア・ポンペイ・「売春宿」の案内サイン
 写真は火山噴火で滅亡したイタリア・ポンペイのメインストリートである ・・となるとそれだけだが、実はなにやら怪しいマークが彫られているのだ どうやら「男性のシンボルマーク」らしい そのものの形である つまりこの方向に「男性快楽のお宿」がある-というわけである

 こう書き出すと、読んでいる方は「何が始まるの?」と思われるだろうが、それだけのことである トルコのエフェス・ローマ遺跡にも同様なサインがあった(下の内部リンク参照) この様な「施設」は世界中の「ローマ遺跡」にはすべてあると思われる

 ただエフェスではその表記法は違っている 現代の「地図記号」のような物はなかったのだろうか? 写真を見ていただくと分かるが、そこでは石版に丸い穴が開けられてそばに棒のような石刻があり足形が彫ってあった 上二者ともその向きが「快楽の舎」の方向を示しているのである 「歩道上に娼婦の館が刻印表示」されているのが現代だったら・・と考えてみるとどうだろうか

 現代的・キリスト教的な考え方からいうと、「不謹慎」と言うべき物ではあろう しかし古代ではこれも社会の一部であり、今よりもっとおおらかであったと推察できる 日本でも「儒教道徳」が入ってくるまでの古代・中世では「性」はもっと開放的であっただろう あの「源氏物語」なぞその例だ 神世の「天の岩戸」の頃もそうだった

 それにしても「石の文化」はスゴイ! 2000年も後の時代に「娼婦の館のマーク」が残っているとは・・ 歴史上、世界中に同様な物はあっただろう 江戸の吉原も有名であったが、たった二~四百年前だ しかも今の東京に当時のこんなマークの表示は残っていない

 そう意味では「世界最古の職業」かどうかは分からないが、それに近いだろう ここポンペイにはパン屋や肉屋、浴場など多くの商店、施設の跡も残っているからである 「娼館」は古代バビロニアにもあったらしい 

 もっと驚くのは、この写真の場所よりすこしり離れた所に、「本当のその場所」がそのまま残っていることである 内部はいくつかの個室があり、そこには石のべッドが残っており、壁には何枚もの「男女のその場面」の絵が鮮やかな色彩を残していた

 ここもヴェスヴィオ火山の火山灰や溶岩流が襲ったはずの場所である やはり石の文化はスゴイのである それは日本では、「漢奴倭国王の金印」の時代の話だ やはり「ローマは偉大」なのである 

 内部リンク:トルコ・エフェスのローマ遺跡:
http://konotabino-tabi.sakura.ne.jp/photoalbum/turkefes/efes.htm
 内部リンク:世界遺産・ポンペイ遺跡:
http://konotabi.com/photoalbum/2009ITAPompei/canon.htm

パドヴァのサン・アントニオ2009年12月21日 12時15分02秒

アルベッロ・ベッロの聖堂の聖人サン・アントニオ
 この写真は幼子キリストと聖人の像である 場所は南イタリア・アルベロ・ベッロ丘上の聖堂 聖人とは「サン・アントニオ」、「リスボンのアントニオ」ともいわれる 彼は1195年生、1231年没の人である カトリック教会の聖人、教会博士の一人である ポルトガルのリスボンで生まれた

 ほとんどが「非キリスト教徒」の日本人だが、旅行などで仏・伊・西などのカトリック国に行くと、こういった像は多く目にする 「非教徒」の筆者もこういう場所では、若干厳かな気持ちで拝ませてもらっている

 それにしてもキリスト教の「聖堂」「教会」とも内部の照明が上手である 何となく信仰心が湧いてくる 日本の寺社も大好きで写真も撮りに行くが、ご本尊は「御簾」の奥で鎮座されていることが多い そしてたいてい中は薄暗い 中には「ン十年に一度」ご開帳という仏様もある

 そう意味では日本人は「演出が上手」なのだろうか? 信州・善光寺などは近年全国から多くの「善男善女」が集まった それでも毎日の信仰心を高めるためには、一日の始め・終わりにこういう「お姿」を拝ませる方が良いような気がする もっとも私は地中海沿岸キリスト教国の可愛い「マリア様」の方が好きだが・・・

アマルフィ土産店のプレゼピオ(キリスト生誕人形)2009年12月20日 23時17分03秒

イタリア・アマルフィ・土産店のプレゼピオ
 南イタリアへ行って来た 「南伊」といってもそこはやはり「冬」、雨と寒さの二重攻撃であった 流石いくら「安いツアーで世界遺産が満載」といっても、写真を撮る私にはいささか辛いものがあった あるイタリア人に聞くと、「イタリアのベストシーズンは5月」と即答してきた

 それはともかく、この時期になるとヨーロッパ中にあふれるのが、上写真のようなプレゼピオ=「キリストの生誕を人形で表した模型人形」である 肝心の教会にもあるし、土産屋にも店先の店頭にもデコレーションとして並んでいる まあ日本の「おひな様」みたいな物であるが、もっと宗教的である

 スペイン・マドリッドのマヨール広場のクリスマスにも、素晴らしい大きなプレゼピオがどんと鎮座していたし、フランス、ドイツ都市の広場にもそれなりの物が置かれ、またチロルの雪の積もった小さな村にも、路傍に木製の質素なそれがあって、人々はそれを背景に写真を撮っていた 大変雰囲気があり、「非キリスト教徒」の私たちでも一瞬厳かな気持ちになる

 世界でいちばん有名なのが、カトリック総本山ヴァティカン(ヴァチカン)・サン・ピエトロ広場の「巨大なプレゼピオ」である この近くでパパ(教皇)の演説があるし、それが世界中に中継放送される 

 今回も二十数年ぶりにヴァティカンに行ったが、テントに囲まれて「準備工事中」であった 残念!! 記憶ではそれぞれの人形が等身大くらいはあった この写真の物は今日本人に知られたアマルフィの土産物屋の安物だが、この時期にヨーロッパ旅行をした者には「よいスーヴェニア」になるのだ

参考写真:1984年クリスマス時ヴァティカンのプレゼピオ
http://konotabi.com/photoalbum/VAT1984_85/vatican.htm

アメリカにジョン万次郎記念館ができた!2009年05月11日 00時19分09秒

 毎日、ネットのニュースを追いかけている人にはすでに旧聞である
去る7日、米東部マサチューセッツ州フェアヘーブンで、江戸末期に漂流の末助けられて米国に渡ったジョン万次郎を記念する「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」の開館式典が開かれた

 「ホイットフィールド」は万次郎を助けた捕鯨船の船長、記念館もその船長のものだった家である 荒れ果てて売りに出ていた家を、聖路加国際病院の名物長寿理事長・日野原氏が修復を提案、募金を集めて買い取り修復を進めていたという

 有名な話だが、万次郎は彼の地で教育を受けて帰国し、後にペリーが来航したとき「隠れ」通訳、条約の締結他の重要な仕事を事実上担当した 少し長いが、以下は「Wikipedia日本版」の引用(「」部分)である

「 ・・嘉永6年(1853年) - 帰国から約2年後に何とか土佐に帰ることができたが、当時ペリーの来航によって幕府はアメリカの知識を必要としていたことから、幕府に召聘され江戸へ行き直参の旗本となった。この際、生れ故郷の地名を取って「中濱」の姓が授けられた。英会話書『日米対話捷径』の執筆、『ボーディッチ航海術書』の翻訳、造船の指揮、講演、通訳、船の買付など精力的に働く。
 
 「繰り返される召し上げ(徴用)と放免(解任)」
藩校「教授館」の教授に任命されるが、やがて野に下された(役職を離れ庶民に戻る)。理由の一つには、もともと士族の生まれでない万次郎が、アメリカ人とも臆することなく、対等に交友することをやっかむ者も多かったことも挙げられる。また当時、英語をまともに話せるのは万次郎一人だったため、ペリーとの通訳に適任とされたが、(オランダ語を介しての)通訳の立場を失うことを恐れた老中がスパイ疑惑を持ち出したため、結局ペリーの通訳の役目から下ろされたが、実際には日米和親条約の平和的締結に向け、陰ながら助言や進言をし尽力した。
 
 万延元年(1860年) - 日米修好通商条約の批准書を交換するための遣米使節団の一人として、咸臨丸に乗ってアメリカに渡る。船長の勝海舟が船酔いだったため、万次郎は彼に代って船内の秩序保持に努めた。(ここでも彼はアメリカ人との対等な交友を日本人船員にそねまれることを恐れ、付き合い方には注意していたとされる)アメリカで恩人ホイットフィールドと再会し、身に着けていた日本刀を贈った。(この刀は後にアメリカの図書館に寄贈され、第2次世界大戦の最中であっても展示されていたが、後に何者かに盗難され現在は行方不明である)
 
 明治維新(1868年)後 - 開成学校(現・東京大学)の教授に任命される。・・・」 (以上Wiki引用部分)

 こう見てくると、万次郎は「日本の近代化」に多大に寄与した人間の一人であったと確実に言えよう 同時に、身分制社会での周辺の「心の狭い日本人」の姿も浮き彫りされてくる きっと当時の万次郎はいつも心の中で苦々しく笑っていたに違いない

 また売りに出ていた旧家を買い取って保存、日米友好の架け橋にしようとした日野原先生もお見事と言うしかない これをお読みになっている方で歴史がお好きな方は、機会があれば訪問してみては如何かと思う

(ニュースの出所:日経新聞2009/5/8)

とうとう日本牛肉がイスラム圏に輸出される?!2009年02月28日 13時18分42秒

アルジェリア、アルジェ市、市場の肉屋店頭
 アサヒ・コムにこの様な見出しがあった(2/28)
「国産牛、中東マネーを狙え イスラム式に処理して輸出」
内容は以下の通り
国産牛の安値がつづく中生産者は海外輸出に目を向けた ベトナム、香港、米国につづいて中東の富裕層を当て込む
「イスラム法に則った処理」を施してから輸出する この様なイスラム教徒が食べられるものを「ハラール」という そのためその設備資格検査にアラブ首長国連邦から職員が来日した・・・というもの

すでに日本人も知っている事実は「イスラムでは豚肉は食べない」(ブタがタブー!)ということだが、牛、鳥、魚、羊などは問題ない 筆者もイスラム国アルジェリアに3年ほど在住した その時の記録も親HPに載せている いずれにしても「互いの文化を知る、互いの文化を尊重する」姿勢は世界平和にとっても大切なことである

外部リンク:アサヒ・コム
http://www.asahi.com/national/update/0227/TKY200902270187.html

内部リンク:「私たちのアルジェ生活1980's」
http://konotabi.com/algerdiary/dailylife/top.htm

内部リンク:「ライードエルアドハ(羊祭り)」
http://konotabi.com/algerdiary/algerdiary6/diary6.htm#fetedmouton