アウシュヴィッツとパレスティナ・ガザ ― 2024年02月22日 15時41分04秒
最近パレスティナ・ガザ地区に関する報道がかしましい ほぼ毎日のようにガザ地区の無辜の民、市民が殺される画像や事柄が報道される それを見ても心が痛くなる 女性、幼児、老人の痛ましい姿は「これをするのが同じ人間か!?」と思う
世界からあれだけの非難、抗議を受けてもユダヤ人の国家イスラエルは侵略、殺戮をやめない どこまですれば攻撃は止むのだろうか?
かなり前のことだが、私はリュックを背に汽車を乗り継いでポーランドの「アウシュヴィッツ強制収容所」を訪れたことがあった 内部の施設や展示、ガス室、絞首台などつぶさに見て回った それはそれまで見た、聞いた、読んだ事柄以上にショッキングであった
狂気のナチスの仕業とはいえ、こんなことができる人間は罪深い 今では博物館になっているこの収容所を出たときは頭がボーとしていた いちばん殺されたのはユダヤ人であったが、他にもジプシー、社会主義者、パルチザン、スラブ人などなど数限りなかった
自分たちの気に入らない人間は皆殺し・・・というのは戦後80年が過ぎた現代でもかぎりない 海外ニュースを見てもそんなことばかりである
とくにナチスの迫害の最大の被害者であったユダヤ人が自分たちがされたことをそのままやっている それが「彼らの正義」なのであろうか?
「汝の敵を愛せ」とまでは言わなくても、「隣人とは仲良く」できないユダヤ人がある意味憐れである 殺せば殺すほど平和は遠のき、永遠に恨みは増し続いてゆく 神も仏もない世が悲しい
よかったら・・・
(内部関係リンク)「アウシュヴィッツ収容所」
http://konotabi.com/auschwitz/toppage.htm
世界からあれだけの非難、抗議を受けてもユダヤ人の国家イスラエルは侵略、殺戮をやめない どこまですれば攻撃は止むのだろうか?
かなり前のことだが、私はリュックを背に汽車を乗り継いでポーランドの「アウシュヴィッツ強制収容所」を訪れたことがあった 内部の施設や展示、ガス室、絞首台などつぶさに見て回った それはそれまで見た、聞いた、読んだ事柄以上にショッキングであった
狂気のナチスの仕業とはいえ、こんなことができる人間は罪深い 今では博物館になっているこの収容所を出たときは頭がボーとしていた いちばん殺されたのはユダヤ人であったが、他にもジプシー、社会主義者、パルチザン、スラブ人などなど数限りなかった
自分たちの気に入らない人間は皆殺し・・・というのは戦後80年が過ぎた現代でもかぎりない 海外ニュースを見てもそんなことばかりである
とくにナチスの迫害の最大の被害者であったユダヤ人が自分たちがされたことをそのままやっている それが「彼らの正義」なのであろうか?
「汝の敵を愛せ」とまでは言わなくても、「隣人とは仲良く」できないユダヤ人がある意味憐れである 殺せば殺すほど平和は遠のき、永遠に恨みは増し続いてゆく 神も仏もない世が悲しい
よかったら・・・
(内部関係リンク)「アウシュヴィッツ収容所」
http://konotabi.com/auschwitz/toppage.htm
リトアニア・ビルニウス・聖ペテロ-パウロ教会のマリア像 ― 2016年05月04日 21時32分38秒
「このたびのたび」はバルト三国に行ってきた そのうちの一つリトアニアは最も中世の雰囲気が残っている国である その首都ヴィルニウスも静かな落ち着いた町である
その新市街に「聖ペテロ&パウロ教会」がある 「バロックの町」ヴィルニウスを代表する記念碑的な教会である 1668年から40年足らずでつくられた 外見もすてきだが内部はさらに美しい 漆喰装飾のついた白い壁の優雅な教会である
その中に写真のマリア像が建っている 比較的新しい感じの像だが端正な顔、優しい面影は一瞬にして見るものを惹きつける しばらく見とれていた
海外、特に西ヨーロッパでは多くの聖堂、教会を見てきたが、磔刑のキリスト像と同じくらいマリア像そしてマリアと幼子キリスト像が並ぶことが多い スペインを中心としたカトリックで「マリア信仰」があった マリアは「キリストの母」であると同時に、男性の「理想の母」「理想の女性」である
そのため何処のマリア像も優しいし美しいし上品である 美化された女性の極致である そういう多くのマリアのなか此処でもすてきなマリアに会った 「マドンナ」、「ノートルダム」である まさに「私の女性」「私たちの女性」である
(内部リンク)
リトアニア・世界遺産・ヴィルニウス歴史地区:
http://konotabi.com/Photo2016/BaltCountriesLietuvaVilnius/top.html
世界のマリア様:
http://konotabi.com/photoalbum/marias/notredame.htm
その新市街に「聖ペテロ&パウロ教会」がある 「バロックの町」ヴィルニウスを代表する記念碑的な教会である 1668年から40年足らずでつくられた 外見もすてきだが内部はさらに美しい 漆喰装飾のついた白い壁の優雅な教会である
その中に写真のマリア像が建っている 比較的新しい感じの像だが端正な顔、優しい面影は一瞬にして見るものを惹きつける しばらく見とれていた
海外、特に西ヨーロッパでは多くの聖堂、教会を見てきたが、磔刑のキリスト像と同じくらいマリア像そしてマリアと幼子キリスト像が並ぶことが多い スペインを中心としたカトリックで「マリア信仰」があった マリアは「キリストの母」であると同時に、男性の「理想の母」「理想の女性」である
そのため何処のマリア像も優しいし美しいし上品である 美化された女性の極致である そういう多くのマリアのなか此処でもすてきなマリアに会った 「マドンナ」、「ノートルダム」である まさに「私の女性」「私たちの女性」である
(内部リンク)
リトアニア・世界遺産・ヴィルニウス歴史地区:
http://konotabi.com/Photo2016/BaltCountriesLietuvaVilnius/top.html
世界のマリア様:
http://konotabi.com/photoalbum/marias/notredame.htm
フランスにもあった「アラビア式トイレ」 ― 2014年06月26日 20時00分07秒
写真はフランス、ブルターニュ地方、カルナック巨石博物館の駐車場トイレである 皆さんは一見して「それがどうしたん?」と思われるだろうが、よく見ていただきたい
まず「西洋では便座のある水洗トイレ」と思っている方、これは「旧日本式しゃがみトイレ」に類似するのだ ただ日本式と違う点はしゃがむ向きが反対である まず入室してから入り口側を向いて屈む そしてあの「**隠し」もない
話は飛ぶが、むかし友人から「飛行機のトイレは大変狭いが、太った人は大変だ 相撲取りは中で方向転換できないから、入室時の体の向きで「大小」のいずれかが分かりやすい」と聞いたことがあった 私は帰宅してもその姿を想像するたびに笑いが止まらなかったことがある
そういう意味では、「日本と逆向き」といってもこのスペースでは楽である ただ「足のせ」の幅が狭いので少しは緊張する 水で濡れていれば滑って足が中に落ちるかもしれない
しかしこれはまだマシな方である なぜか? ロール紙が常備されているからだ しかしこういう「学説」がある 曰く「世界で事後に紙で拭く人間は半分もいない」というのだ いったい誰がどうやって調べたのか?
筆者がむかしアフリカのアルジェリアにいた頃、やはり現地人用トイレはおしなべて「日本式」、ただ向きがやはり逆方向、これを筆者は「アラブ(アラビア)式」と名付けた しかし何とロール紙がなかった 中にあるのは空き缶だけで、たまに内部に水栓ががついていた 水洗がない場合は入室時に水の入ったカンを持つ
結論から言うと、「事後、右手に持った空き缶の水を左手を使って局部を洗う」らしい 「らしい」というのは私はその「現場」を見たことがないからだ まさか、トイレ内で空き缶の水を飲むはずがない! 私は職場の先任者から「此処では左手で握手はするな!」と教えられていた
さて写真に戻ろう ここは「日本式」ではなく「アラビア(アラブ)式」だ だがロール紙があるということで「西洋式・アラビア式折衷型」といえる 東西文化の融合だ! さらに水洗式でもある ススンでいる
こういうタイプはこのフランスだけでなく、南イタリアやスペインなどの南ヨーロッパ、中近東のトルコ、UAEなどでしばしば見かけた あなたも「ウンが良ければ」あちこちの旅行先で目にするかもしれない
内部リンク:「世界各地のトイレの話」
http://konotabi.com/toiletstory/top1.htm#algeria
まず「西洋では便座のある水洗トイレ」と思っている方、これは「旧日本式しゃがみトイレ」に類似するのだ ただ日本式と違う点はしゃがむ向きが反対である まず入室してから入り口側を向いて屈む そしてあの「**隠し」もない
話は飛ぶが、むかし友人から「飛行機のトイレは大変狭いが、太った人は大変だ 相撲取りは中で方向転換できないから、入室時の体の向きで「大小」のいずれかが分かりやすい」と聞いたことがあった 私は帰宅してもその姿を想像するたびに笑いが止まらなかったことがある
そういう意味では、「日本と逆向き」といってもこのスペースでは楽である ただ「足のせ」の幅が狭いので少しは緊張する 水で濡れていれば滑って足が中に落ちるかもしれない
しかしこれはまだマシな方である なぜか? ロール紙が常備されているからだ しかしこういう「学説」がある 曰く「世界で事後に紙で拭く人間は半分もいない」というのだ いったい誰がどうやって調べたのか?
筆者がむかしアフリカのアルジェリアにいた頃、やはり現地人用トイレはおしなべて「日本式」、ただ向きがやはり逆方向、これを筆者は「アラブ(アラビア)式」と名付けた しかし何とロール紙がなかった 中にあるのは空き缶だけで、たまに内部に水栓ががついていた 水洗がない場合は入室時に水の入ったカンを持つ
結論から言うと、「事後、右手に持った空き缶の水を左手を使って局部を洗う」らしい 「らしい」というのは私はその「現場」を見たことがないからだ まさか、トイレ内で空き缶の水を飲むはずがない! 私は職場の先任者から「此処では左手で握手はするな!」と教えられていた
さて写真に戻ろう ここは「日本式」ではなく「アラビア(アラブ)式」だ だがロール紙があるということで「西洋式・アラビア式折衷型」といえる 東西文化の融合だ! さらに水洗式でもある ススンでいる
こういうタイプはこのフランスだけでなく、南イタリアやスペインなどの南ヨーロッパ、中近東のトルコ、UAEなどでしばしば見かけた あなたも「ウンが良ければ」あちこちの旅行先で目にするかもしれない
内部リンク:「世界各地のトイレの話」
http://konotabi.com/toiletstory/top1.htm#algeria
ヴァティカンの聖人・フランスの守護神ジャンヌ・ダルク ― 2014年06月14日 22時14分44秒
写真はパリのルーブル美術館近くにあるジャンヌ・ダルクの像である 金色に塗られた像は甲冑を身にまとい意気揚々と前を向いている ロアール川流域のオルレアンの町にも彼女が滞在した家とともに大きな騎馬像が町中にあった
世界に多くある銅像はほとんどが男性で、女性はキュリー夫人、マリア・テレサなどわずかで、我が国でも山内一豊の妻など少数である しかもフランスではこの「オルレアンの少女」ジャンヌ・ダルク像や絵画は数え切れないほど存在する 特にノルマンディー、パリを含むイルドフランスの北フランス一帯ではどこの聖堂、教会にも彼女の像がある
私たち日本人のほとんどは「フランスの片田舎ドン・レミ村で生まれた娘がイギリスに攻められたフランスを救うため国王と会い、軍を率い活躍したが、捕らえられて売り渡され、宗教裁判にかけられたあげく、火炙りの刑に処せられた」くらいしか知らないことが多い
この国を旅行すると分かるが、彼女はただの「愛国少女」ではなかった まず各地の街角に騎馬像があったり、教会内には彼女の像、彼女の絵や彼女のチャペル(礼拝堂)がまずある あの世界遺産パリのノートルダム大聖堂にも大きな祈る像がある
それらの説明では「イギリスとの百年戦争で我がフランスを救った英雄、フランスだけでなくカトリックの大聖人、フランスの守護神の一人」と最大級の賛辞、表現をしている それほどフランスの偉人、大恩人なのである しかし今回の旅で多くのフランス人にあったが、彼らの話を聞くのを忘れていた
世界に多くある銅像はほとんどが男性で、女性はキュリー夫人、マリア・テレサなどわずかで、我が国でも山内一豊の妻など少数である しかもフランスではこの「オルレアンの少女」ジャンヌ・ダルク像や絵画は数え切れないほど存在する 特にノルマンディー、パリを含むイルドフランスの北フランス一帯ではどこの聖堂、教会にも彼女の像がある
私たち日本人のほとんどは「フランスの片田舎ドン・レミ村で生まれた娘がイギリスに攻められたフランスを救うため国王と会い、軍を率い活躍したが、捕らえられて売り渡され、宗教裁判にかけられたあげく、火炙りの刑に処せられた」くらいしか知らないことが多い
この国を旅行すると分かるが、彼女はただの「愛国少女」ではなかった まず各地の街角に騎馬像があったり、教会内には彼女の像、彼女の絵や彼女のチャペル(礼拝堂)がまずある あの世界遺産パリのノートルダム大聖堂にも大きな祈る像がある
それらの説明では「イギリスとの百年戦争で我がフランスを救った英雄、フランスだけでなくカトリックの大聖人、フランスの守護神の一人」と最大級の賛辞、表現をしている それほどフランスの偉人、大恩人なのである しかし今回の旅で多くのフランス人にあったが、彼らの話を聞くのを忘れていた
国もいろいろ、ペットもいろいろ ― 2014年06月05日 18時38分36秒
この写真はウサギです 「そんなこと説明がなくても分かるわ!」とおっしゃるでしょう ところが首輪がしてあってそのひもを人が持っていたのです
此処はフランスのオヴェール・シュール・オワーズという田舎町です この名を聞いても余程の絵画好きでなければピンとこないかもしれません 実はあのゴッホが死ぬ前の三ヶ月だけ住んだ村なのです
それにもかかわらず、彼は存外と多くの作品を残しました 有名な物では「オーヴェールの教会」や「ガシェ医師像」、「カラスのいる麦畑」などです 彼の医師であったガシェ氏も彼の家(といっても安い宿の一番安い部屋!)の近くに家がありました
そしてゴッホの墓もこの村の丘上の墓地にあり、同じ墓に弟テオと一緒に並んで眠っています でも二人ともこれは最初の墓ではありません 共に二番目の墓です(その墓はページ最下部のリンクの写真でみてください)
墓地に行くには絵にも出てきた教会前の坂をトロトロ上がってゆくのです 私たちもそうして墓に辿り着きました いえ大して長い距離ではありません
「墓参り」がすむと、畑の中の田舎道をしばらく歩きます そうすると「カラスのいる麦畑」を描いた場所に出ます といってもホントに何にもありません 麦もなければカラスも一羽もいない ただその場所は説明板が立っているのですぐに分かります
このオヴェール・シュール・オワーズという村にはこういう説明板が何十枚もあります ということはゴッホは死の直前に「狂ったように」多くの絵を描いたことになります ゴッホファンからいうと、「死なずにもっと描いていてくれたら・・」と思うのですが・・
そうそう写真のことですが、その「麦畑」から丘を下って村に帰る途中の小径で中年夫婦がペットの散歩をさせていました 何気なしに「白い子犬」を思っていたらビックリしました 「白いウサギ」だったのです ウサギは草むらに入って好きな草を食べて嬉しそう そういう散歩もあるんです
そういえば、日本のわたしの家のある団地内を中年夫婦が首輪とリートをつけた猫を散歩させているのを思い出しました その猫はふつうの犬のようにトコトコと歩いていました 次は何の散歩がやってくるのでしょうか?
<内部リンク>「ゴッホの終焉の地・オヴェール・シュール・オワーズ」
http://konotabi.com/FranceDrive2014/Auvers/top.html
此処はフランスのオヴェール・シュール・オワーズという田舎町です この名を聞いても余程の絵画好きでなければピンとこないかもしれません 実はあのゴッホが死ぬ前の三ヶ月だけ住んだ村なのです
それにもかかわらず、彼は存外と多くの作品を残しました 有名な物では「オーヴェールの教会」や「ガシェ医師像」、「カラスのいる麦畑」などです 彼の医師であったガシェ氏も彼の家(といっても安い宿の一番安い部屋!)の近くに家がありました
そしてゴッホの墓もこの村の丘上の墓地にあり、同じ墓に弟テオと一緒に並んで眠っています でも二人ともこれは最初の墓ではありません 共に二番目の墓です(その墓はページ最下部のリンクの写真でみてください)
墓地に行くには絵にも出てきた教会前の坂をトロトロ上がってゆくのです 私たちもそうして墓に辿り着きました いえ大して長い距離ではありません
「墓参り」がすむと、畑の中の田舎道をしばらく歩きます そうすると「カラスのいる麦畑」を描いた場所に出ます といってもホントに何にもありません 麦もなければカラスも一羽もいない ただその場所は説明板が立っているのですぐに分かります
このオヴェール・シュール・オワーズという村にはこういう説明板が何十枚もあります ということはゴッホは死の直前に「狂ったように」多くの絵を描いたことになります ゴッホファンからいうと、「死なずにもっと描いていてくれたら・・」と思うのですが・・
そうそう写真のことですが、その「麦畑」から丘を下って村に帰る途中の小径で中年夫婦がペットの散歩をさせていました 何気なしに「白い子犬」を思っていたらビックリしました 「白いウサギ」だったのです ウサギは草むらに入って好きな草を食べて嬉しそう そういう散歩もあるんです
そういえば、日本のわたしの家のある団地内を中年夫婦が首輪とリートをつけた猫を散歩させているのを思い出しました その猫はふつうの犬のようにトコトコと歩いていました 次は何の散歩がやってくるのでしょうか?
<内部リンク>「ゴッホの終焉の地・オヴェール・シュール・オワーズ」
http://konotabi.com/FranceDrive2014/Auvers/top.html
変わりつつあるニセコ・スキーエリア ― 2014年02月24日 23時57分28秒
写真は北海道のニセコスキー場のニセコヴィレッジ(旧東山)コースです 毎年のように滑りに来る「ニセコ」もかれこれ二十数年になります その間に色んなことが変わりました
最初の頃は同じヒラフコースでも場所がはずれると、リフトが別会社の管理になり別のリフト券が必要でした 今はそういうことはありませんし、「全山券」であればすべてのコースが滑れます
当時はアンヌプリコース下に元気だった日航のホテルがありました 隣の東山コース(現ニセコヴィレッジ・コース)はこれまた元気だったプリンスホテルの支配下にあり、本館と新館がありました 現在は両方ともそれぞれ明治海運グループとヒルトンホテルグループの経営になっています
また最初はなかった「花園エリア」も新しくでき、ボーダーを中心に若い人たちが滑っています ここも現在はオーナーが香港資本のレゾートになっています 館内のアナウンスも中国語、英語が入っています
最初の頃は老舗ヒラフコース下付近には多くの民宿風山荘や個人経営のロッジがありました この頃は宿の予約を取るのも大変でした のちにペンションも増えました ところが、スキーブームが終わると「閑古鳥」が鳴き始め、個人経営の宿は経営を止め、国内大資本やオーストラリアなどの資本に譲渡するようになりました 私が「愛用」した山荘も消滅しました
客もオーストラリア人がゲレンデに溢れ出しました レストランやスキー場内のレストハウスも日本語に英語を併記するようになりました やがて韓国人や中国人も増えだしアジア人も多くなりました
今はやはりオーストラリア人が個人、団体も含めて重要な地位を占めていますが、昨今は国際情勢の変化で中国本土人、韓国人が大幅に少なくなった感じがします 反対に香港人、台湾人、そして東南アジアの人がたくさんいるような気がします さらに時々ロシア語が聞こえてきます
以前、あるロシア人に訊いたことがあります・・・・
「ロシアも今は冬なのになぜわざわざ日本に来るのか?」
「私はシベリアだがスキー場が小さいし良いコースがないのだ」
「カムチャツカ半島にスキー場があると聞いたが・・?」
「あそこは寒くて氷ばかりでスキーしても楽しくないのだ」
「日本に来るには時間もお金もかかるが・・?」
「それでもニセコは気に入っている 良い雪で滑りたい 食べ物も旨い」
・・・・こういうお話でした
平日のニセコは外国人ばかりです 彼らは本国でも箸は使っているらしく、「玉子丼」や「月見うどん」や「カレーライス」をすべて箸で上手に食べています フォークやスプーンではありません 日本食は「ヘルシーフード」でも知られ、外国人にも好評です
ここで話は二週間前に行った信州の野沢温泉スキー場に変わります
リフトの上で若いオーストラリア人カップルと話しました・・・・
「なぜ日本でいちばん有名なスキー場に行かなかったの?」
「初めて日本に来たが、たまたま本に載っていたのでここに来た」
「近くに白馬八方と志賀高原というメジャーなスキー場がある 次はそこが良いよ」
「知らなかった いろいろ情報有り難う」
「初めての日本の感想はどうか?」
「雪も良いし、食べ物も旨い 日本人も親切だ 日本が好きだ」
「それを聞いて嬉しい 私も貴国に何度も行ったが大好きだ・・」
外国人たちはおしなべて「ニセコの雪が良い」「日本食は美味しい」「日本人は親切」「温泉が好きになった」・・と褒めるのです お陰で地元も潤うし、日本に外貨も入ってきます 彼らは大切なお客様です きっとリピーターになるし、次は家族や友人も連れてくるでしょう
もともと自己宣伝が下手で苦手な日本(人)ですが、これは良い方向に向かいそうです いずれ「東京オリンピック」が開かれます 今後、英語表記や他言語表記を増やし、交通機関の連携をすすめ、宿泊施設、社会資本を充実させてゆくことは肝要です
また各国語による案内図、マップ、観光ガイドなども大量に必要でしょう さらに外国語を話す人が増えれば言うことはないでしょう 最後は人間同士の交流ですから・・・・
→内部リンク:「ニセコ・ユナイテッド・スキーエリア」
http://konotabi.com/photo2014/JPNNisekoSki/top.htm
最初の頃は同じヒラフコースでも場所がはずれると、リフトが別会社の管理になり別のリフト券が必要でした 今はそういうことはありませんし、「全山券」であればすべてのコースが滑れます
当時はアンヌプリコース下に元気だった日航のホテルがありました 隣の東山コース(現ニセコヴィレッジ・コース)はこれまた元気だったプリンスホテルの支配下にあり、本館と新館がありました 現在は両方ともそれぞれ明治海運グループとヒルトンホテルグループの経営になっています
また最初はなかった「花園エリア」も新しくでき、ボーダーを中心に若い人たちが滑っています ここも現在はオーナーが香港資本のレゾートになっています 館内のアナウンスも中国語、英語が入っています
最初の頃は老舗ヒラフコース下付近には多くの民宿風山荘や個人経営のロッジがありました この頃は宿の予約を取るのも大変でした のちにペンションも増えました ところが、スキーブームが終わると「閑古鳥」が鳴き始め、個人経営の宿は経営を止め、国内大資本やオーストラリアなどの資本に譲渡するようになりました 私が「愛用」した山荘も消滅しました
客もオーストラリア人がゲレンデに溢れ出しました レストランやスキー場内のレストハウスも日本語に英語を併記するようになりました やがて韓国人や中国人も増えだしアジア人も多くなりました
今はやはりオーストラリア人が個人、団体も含めて重要な地位を占めていますが、昨今は国際情勢の変化で中国本土人、韓国人が大幅に少なくなった感じがします 反対に香港人、台湾人、そして東南アジアの人がたくさんいるような気がします さらに時々ロシア語が聞こえてきます
以前、あるロシア人に訊いたことがあります・・・・
「ロシアも今は冬なのになぜわざわざ日本に来るのか?」
「私はシベリアだがスキー場が小さいし良いコースがないのだ」
「カムチャツカ半島にスキー場があると聞いたが・・?」
「あそこは寒くて氷ばかりでスキーしても楽しくないのだ」
「日本に来るには時間もお金もかかるが・・?」
「それでもニセコは気に入っている 良い雪で滑りたい 食べ物も旨い」
・・・・こういうお話でした
平日のニセコは外国人ばかりです 彼らは本国でも箸は使っているらしく、「玉子丼」や「月見うどん」や「カレーライス」をすべて箸で上手に食べています フォークやスプーンではありません 日本食は「ヘルシーフード」でも知られ、外国人にも好評です
ここで話は二週間前に行った信州の野沢温泉スキー場に変わります
リフトの上で若いオーストラリア人カップルと話しました・・・・
「なぜ日本でいちばん有名なスキー場に行かなかったの?」
「初めて日本に来たが、たまたま本に載っていたのでここに来た」
「近くに白馬八方と志賀高原というメジャーなスキー場がある 次はそこが良いよ」
「知らなかった いろいろ情報有り難う」
「初めての日本の感想はどうか?」
「雪も良いし、食べ物も旨い 日本人も親切だ 日本が好きだ」
「それを聞いて嬉しい 私も貴国に何度も行ったが大好きだ・・」
外国人たちはおしなべて「ニセコの雪が良い」「日本食は美味しい」「日本人は親切」「温泉が好きになった」・・と褒めるのです お陰で地元も潤うし、日本に外貨も入ってきます 彼らは大切なお客様です きっとリピーターになるし、次は家族や友人も連れてくるでしょう
もともと自己宣伝が下手で苦手な日本(人)ですが、これは良い方向に向かいそうです いずれ「東京オリンピック」が開かれます 今後、英語表記や他言語表記を増やし、交通機関の連携をすすめ、宿泊施設、社会資本を充実させてゆくことは肝要です
また各国語による案内図、マップ、観光ガイドなども大量に必要でしょう さらに外国語を話す人が増えれば言うことはないでしょう 最後は人間同士の交流ですから・・・・
→内部リンク:「ニセコ・ユナイテッド・スキーエリア」
http://konotabi.com/photo2014/JPNNisekoSki/top.htm
英国は犬を飼うのも「先進国」 ― 2013年08月27日 19時59分08秒
写真は英国・スコットランドのアバディーン郊外にあるダシーパークのものである 一見した方は「なんじゃ、これは?」と思われるであろう 公園にあるゴミ箱二種である
最近の日本もペットブームで、特にワンちゃんに服を着せて家族同様に愛している方も多い ブランド物の犬用洋服もあるという 犬もきっと「自分は人間の仲間で家族だ」と思っているかもしれない
しかし犬を飼ってきた歴史は「狩猟民族」であるヨーロッパの諸民族の方が長い その分、犬の飼い方もスマートでこなれている レストランでも犬が家族がステーキを食べているテーブルの下でじっと大人しく待っている レストラン入り口までしか入れない店でも、吠えもせず静かに待っている
どこかの国のように可愛いばかりに甘やかし、結果的に周りの人に迷惑をかける国とはレベルが違う 可愛いが故に幼犬の頃からきちんとしつけ、社会に適応させる努力をしている そのむかし、私が習った教師が言ったことがあった 「民主主義とは他人に迷惑をかけないことだ」と
犬を飼う人たちの中には「飼う資格」がないひとが多い 散歩にも連れて行かず、犬は欲求不満でワンワン吠えまくったり、土手で平気で糞をさせそのまま放置する人も多い
さて本題に戻ろう 写真の右側は要するに「犬の糞を入れるゴミ箱」である 私は地方に住んでいるが、この様な箱は見たことがない 我が国では川の土手に「犬の糞は責任を持って処理しましょう」という意味の立て札が目につくことがある その通りなのだが、何かステレオタイプである
我が国にもこういう「犬の糞捨て箱」があったらどうであろうか? 余程の「無神経人間」以外はその箱の中に糞を入れてくれるであろう 行政や町内会も含めて、こういうもう一歩踏み込んだ対策を立てて欲しいものである
最近の日本もペットブームで、特にワンちゃんに服を着せて家族同様に愛している方も多い ブランド物の犬用洋服もあるという 犬もきっと「自分は人間の仲間で家族だ」と思っているかもしれない
しかし犬を飼ってきた歴史は「狩猟民族」であるヨーロッパの諸民族の方が長い その分、犬の飼い方もスマートでこなれている レストランでも犬が家族がステーキを食べているテーブルの下でじっと大人しく待っている レストラン入り口までしか入れない店でも、吠えもせず静かに待っている
どこかの国のように可愛いばかりに甘やかし、結果的に周りの人に迷惑をかける国とはレベルが違う 可愛いが故に幼犬の頃からきちんとしつけ、社会に適応させる努力をしている そのむかし、私が習った教師が言ったことがあった 「民主主義とは他人に迷惑をかけないことだ」と
犬を飼う人たちの中には「飼う資格」がないひとが多い 散歩にも連れて行かず、犬は欲求不満でワンワン吠えまくったり、土手で平気で糞をさせそのまま放置する人も多い
さて本題に戻ろう 写真の右側は要するに「犬の糞を入れるゴミ箱」である 私は地方に住んでいるが、この様な箱は見たことがない 我が国では川の土手に「犬の糞は責任を持って処理しましょう」という意味の立て札が目につくことがある その通りなのだが、何かステレオタイプである
我が国にもこういう「犬の糞捨て箱」があったらどうであろうか? 余程の「無神経人間」以外はその箱の中に糞を入れてくれるであろう 行政や町内会も含めて、こういうもう一歩踏み込んだ対策を立てて欲しいものである
英国の「パブ」はチョー便利 ― 2013年08月27日 18時41分43秒
写真はこの6月に行った英国のパブのディッシュである 右のトグロを巻いたソーセージは「カンバーランド・ソーセージ」という 全てが長い一本である 食べ甲斐があって小食の人はこれだけで満腹になりそうだ トップのはオニオンリングで衣が厚い 左のサラダが付いて一品である
私は英国は三回目だが、これまでは食事は主にレストランであった 今回は庶民の「飲み食いどころ」であるパブを中心に食事+酒を頂いた パブは小さな町でも大学町でもどこでもある 評判の店は外から覗くとすぐに分かる 満席だけでなく立って並ぶ行列も長い 時間があればそれに並ぶのも一興だ
むかし読んだ本によると、パブにも種類があるらしい 階級社会が厳然と残る英国では、パブも「上流階級、ホワイトカラー」用パブと「労働者、ブルーカラー」用パブがあるという しかし今回色々観察したが、私には確認できなかった
パブの魅力は何と言っても酒と食事がリーズナブルな価格でできることである もちろん酒(ビール)だけでも良いし、食事だけでも良い 好きな物だけ頼める気楽さ、そして座っても立っても良い グループで盛り上がって大声になっても誰も気に留めないし注意しない レストランでは無いことである
現地の人の様子を見ていたら、仕事帰りの男たちがビールとつまみだけで一時間以上も盛り上がっていた また女性のお友達が部屋の隅で静かにワインを傾けたりしていた
すでにパブを体験された方はご存じであろうが、店に入るとまずカウンターで注文し、受け取って金を払う それから席を見つけて酒食する 恥ずかしいことに、私たちはこの当たり前のことをせずに、滅多に通らないウェイトレスを捜し続け、注文をして持ってきてもらっていた
「郷に入りては郷に従え」なのであった 誠に不勉強であった
"When in Rome, do as the Romans do."
→内部リンク:英国での私たちの食事とお宿
http://konotabi.com/GBDrive2013/BBmeal/top.htm
私は英国は三回目だが、これまでは食事は主にレストランであった 今回は庶民の「飲み食いどころ」であるパブを中心に食事+酒を頂いた パブは小さな町でも大学町でもどこでもある 評判の店は外から覗くとすぐに分かる 満席だけでなく立って並ぶ行列も長い 時間があればそれに並ぶのも一興だ
むかし読んだ本によると、パブにも種類があるらしい 階級社会が厳然と残る英国では、パブも「上流階級、ホワイトカラー」用パブと「労働者、ブルーカラー」用パブがあるという しかし今回色々観察したが、私には確認できなかった
パブの魅力は何と言っても酒と食事がリーズナブルな価格でできることである もちろん酒(ビール)だけでも良いし、食事だけでも良い 好きな物だけ頼める気楽さ、そして座っても立っても良い グループで盛り上がって大声になっても誰も気に留めないし注意しない レストランでは無いことである
現地の人の様子を見ていたら、仕事帰りの男たちがビールとつまみだけで一時間以上も盛り上がっていた また女性のお友達が部屋の隅で静かにワインを傾けたりしていた
すでにパブを体験された方はご存じであろうが、店に入るとまずカウンターで注文し、受け取って金を払う それから席を見つけて酒食する 恥ずかしいことに、私たちはこの当たり前のことをせずに、滅多に通らないウェイトレスを捜し続け、注文をして持ってきてもらっていた
「郷に入りては郷に従え」なのであった 誠に不勉強であった
"When in Rome, do as the Romans do."
→内部リンク:英国での私たちの食事とお宿
http://konotabi.com/GBDrive2013/BBmeal/top.htm
ナチによるブッヘンバルト強制収容所 ― 2011年08月22日 10時40分05秒
5月から6月にかけてレンタカーでドイツ・チェコを回った いろいろ見たのだが、その中の「異色」はドイツ・ナチによるKZ・強制収容所(記念館)である
強制収容所といえば、フツーの日本人は「アウシュヴィッツ」しか知らない人が多い 実は何十もの収容所が作られ、殺された数も多大だが現在に至るまで正確な集計はできていない 一説によれば約280万人とも言われるが、もっと多いと言う研究もある
人と話していると、意外にも「アウシュヴィッツはポーランドにある」ということを知らない方も多い 私は2003年に一人でリュックを背負って列車旅をした 大変時間が掛かったが、やはり行って良かったと思った 「良いものを見た」のではなく、「見なければならない物だった」からである
さて今回の旅である かつて「ドイツで歴史上もっとも優れた憲法」が作られた町がある その町ヴァイマール(日本語ではワイマール)から車を走らせてしばらく、山の中にその強制収容所跡はあった 名はKZ・ブッヘンヴァルトと言う
二次大戦中ドイツ国内にも多くの収容所が作られたが、ここは大変町に近い場所にあった ここではアウシュヴィッツとは異なり、やや「軽度の囚人」を入れたらしい 戦争末期、SS親衛隊は他の収容所に囚人を移動させたが、アメリカ軍が解放したときには、21000人は生きて残り、55000人が死体になっていたという
私たちが此処に来たときに、入り口に大きなポスターが掲示されていた その写真が上の物である それを見て不思議に思ったことがあった 全員が比較的穏やかな顔をしているのだ 「殺される前にしては・・・・・?!」と思っていたら、何と解放されたばかり(1945/4/16)の姿らしい 道理で怪訝ながらも穏やかな顔をしているわけだ
収容所跡の主な建物はすでに破壊され撤去されているが、一部は残っている それをこの国は費用をかけて整備し無料で一般公開している 金もかかるがそれでも他の収容所も含めてこれらを維持している それは 目にしたくない物でも「歴史の教訓」として後世に残す必要があるからである
ドイツでは今でも「ナチ」「ヒトラー」などを口にし文字にし、ハーケンクロイツ(鈎十字)などを使用することは法律で禁止されている そしてドイツ政府は長い間ユダヤ人たち犠牲者の多額の賠償をしてき、近年それが終了したそうである
どこかの国のある政治家のように、最近「A級戦犯は戦争犯罪人ではない・・」などと言って近隣の国の神経を逆なでにはしない ドイツはかつて酷いことをした国だが、今は「良識のある国」になっていると言えよう そういうことを考えさせられる旅であった
内部リンク:ブッヘンヴァルト強制収容所
http://konotabi.com/photoalbum2/2011DB_CZ_Buchenwald/top.htm
内部リンク:アウシュヴィッツ強制収容所
http://konotabi.com/auschwitz/toppage.htm
強制収容所といえば、フツーの日本人は「アウシュヴィッツ」しか知らない人が多い 実は何十もの収容所が作られ、殺された数も多大だが現在に至るまで正確な集計はできていない 一説によれば約280万人とも言われるが、もっと多いと言う研究もある
人と話していると、意外にも「アウシュヴィッツはポーランドにある」ということを知らない方も多い 私は2003年に一人でリュックを背負って列車旅をした 大変時間が掛かったが、やはり行って良かったと思った 「良いものを見た」のではなく、「見なければならない物だった」からである
さて今回の旅である かつて「ドイツで歴史上もっとも優れた憲法」が作られた町がある その町ヴァイマール(日本語ではワイマール)から車を走らせてしばらく、山の中にその強制収容所跡はあった 名はKZ・ブッヘンヴァルトと言う
二次大戦中ドイツ国内にも多くの収容所が作られたが、ここは大変町に近い場所にあった ここではアウシュヴィッツとは異なり、やや「軽度の囚人」を入れたらしい 戦争末期、SS親衛隊は他の収容所に囚人を移動させたが、アメリカ軍が解放したときには、21000人は生きて残り、55000人が死体になっていたという
私たちが此処に来たときに、入り口に大きなポスターが掲示されていた その写真が上の物である それを見て不思議に思ったことがあった 全員が比較的穏やかな顔をしているのだ 「殺される前にしては・・・・・?!」と思っていたら、何と解放されたばかり(1945/4/16)の姿らしい 道理で怪訝ながらも穏やかな顔をしているわけだ
収容所跡の主な建物はすでに破壊され撤去されているが、一部は残っている それをこの国は費用をかけて整備し無料で一般公開している 金もかかるがそれでも他の収容所も含めてこれらを維持している それは 目にしたくない物でも「歴史の教訓」として後世に残す必要があるからである
ドイツでは今でも「ナチ」「ヒトラー」などを口にし文字にし、ハーケンクロイツ(鈎十字)などを使用することは法律で禁止されている そしてドイツ政府は長い間ユダヤ人たち犠牲者の多額の賠償をしてき、近年それが終了したそうである
どこかの国のある政治家のように、最近「A級戦犯は戦争犯罪人ではない・・」などと言って近隣の国の神経を逆なでにはしない ドイツはかつて酷いことをした国だが、今は「良識のある国」になっていると言えよう そういうことを考えさせられる旅であった
内部リンク:ブッヘンヴァルト強制収容所
http://konotabi.com/photoalbum2/2011DB_CZ_Buchenwald/top.htm
内部リンク:アウシュヴィッツ強制収容所
http://konotabi.com/auschwitz/toppage.htm
チェコはイイ国、ビールも食い物も安い!が・・・ ― 2011年06月16日 22時51分37秒
私(たち)が今回チェコとドイツを回ったのはもちろん目的がある
1 二国の世界遺産をできるだけ訪れる
2 クラシックの音楽家関連の家、施設などを訪問する
3 久しぶりにヨーロッパをドライヴする
4 歴史ある教会、城を見て回る ・・・などの他に
5 チェコの由緒あるビール会社を訪れ美味いビールをいただく
6 大好きなシュニッツェル(ポークカツ)をできるだけ食べる
・・・という欲張ったものであった
それらについては親HPとこのブログで掲載中である
さて写真はドイツの世界遺産ヴァイマールの酒場で呑んだ生である これ自体はどういうこともなく、特に感想もない 概してドイツのビールはあっさり系で、特に有名なものでなければ味は平均的である
ところがチェコに入るとビールの味が変わってくる 私好みの味のビールが増えてくる コクと風味があり、ポップが利いている 前回の旅で訪れた「ピルズナー・ウルケル」(ピルズナービールの元祖の意)の本社工場地下レストランでは感動して盃を重ね、千鳥足でホテルに戻っていた
チェコでは全般的に物価が安く、ビールは日本円換算で約100-160円くらい(生500ml)、庶民レストランで2人で合計1500円ー2000円くらいで満足していた ところがドイツでは同じ物がビール300円前後とチェコの2倍、合計が2000円ー2500円くらいと2割増し位だった ところが不思議なことにシュニッツェルだけはともに日本円900-1000円以下で価格の差はなかった
ホテルは私たちはいつも安いペンション中心で、時に三つ星ホテルを使うこともあった ざっと比較すると、チェコで一泊二人で6000円ー8000円くらい、ドイツでは少し高く7000円ー10000円位であった(基本朝食付)
以上からチェコの方が安くつくことが分かるが、喜んでばかりはいられない ガソリンが高い 日本円換算で170-190円で、「日本は高い」と思っていた私たちは驚いた 反してドイツは150-170円くらいで日本よりちょっと高いくらいである
もうひとつ驚かされたことがある チェコもEUに加盟し、高速道も続いていて国境検問所もないが、なんとチェコの高速道では有料だった これについてのエピソードはまた別の機会に書く
1 二国の世界遺産をできるだけ訪れる
2 クラシックの音楽家関連の家、施設などを訪問する
3 久しぶりにヨーロッパをドライヴする
4 歴史ある教会、城を見て回る ・・・などの他に
5 チェコの由緒あるビール会社を訪れ美味いビールをいただく
6 大好きなシュニッツェル(ポークカツ)をできるだけ食べる
・・・という欲張ったものであった
それらについては親HPとこのブログで掲載中である
さて写真はドイツの世界遺産ヴァイマールの酒場で呑んだ生である これ自体はどういうこともなく、特に感想もない 概してドイツのビールはあっさり系で、特に有名なものでなければ味は平均的である
ところがチェコに入るとビールの味が変わってくる 私好みの味のビールが増えてくる コクと風味があり、ポップが利いている 前回の旅で訪れた「ピルズナー・ウルケル」(ピルズナービールの元祖の意)の本社工場地下レストランでは感動して盃を重ね、千鳥足でホテルに戻っていた
チェコでは全般的に物価が安く、ビールは日本円換算で約100-160円くらい(生500ml)、庶民レストランで2人で合計1500円ー2000円くらいで満足していた ところがドイツでは同じ物がビール300円前後とチェコの2倍、合計が2000円ー2500円くらいと2割増し位だった ところが不思議なことにシュニッツェルだけはともに日本円900-1000円以下で価格の差はなかった
ホテルは私たちはいつも安いペンション中心で、時に三つ星ホテルを使うこともあった ざっと比較すると、チェコで一泊二人で6000円ー8000円くらい、ドイツでは少し高く7000円ー10000円位であった(基本朝食付)
以上からチェコの方が安くつくことが分かるが、喜んでばかりはいられない ガソリンが高い 日本円換算で170-190円で、「日本は高い」と思っていた私たちは驚いた 反してドイツは150-170円くらいで日本よりちょっと高いくらいである
もうひとつ驚かされたことがある チェコもEUに加盟し、高速道も続いていて国境検問所もないが、なんとチェコの高速道では有料だった これについてのエピソードはまた別の機会に書く
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